Scene1
「さぁ、実験の時間だよー!」
嗚呼、まただ、またこの時間だ。
なんで僕ばっかりこんな事…
「誰か助けてよ…」
そんなことを言ったって無駄なことは承知している。
無機質な部屋の中に響く高らかな声。
右手に持つ、毒々しい色合いの液体の入った注射器。
そして、僕の首に添えられている左手。
顔面に貼り付いている狂気的な笑顔。
あいつのことを、僕は「サイエンティスト」と呼ぶ。
僕に毒を与えることを「実験」と呼ぶから。
また、今日もこれだ。今日は注射の日か。
毒を塗られる時もあれば、液体を飲まされた時もあった。
あるときなんかは食料に毒が入ってたらしく、病気にもなった。
ずっと放ったらかしで服も汚れた。
毎日暴力ばっかりで傷もついた。
心の痛覚さえも鈍った。
足にある無数の痣。
腕の刺し傷・切り傷。
首元の注射の跡。
肌にある裂挫創。
口の中の血の味。
抗うと殺される恐怖…
「やめ、て……」
「はえー、まだ抵抗できたんだなー」
昔はもっと必死に抵抗していた気がする。
顔面蹴飛ばしたり、引っ掻いたりした。
だけど、暴れたら罰として、鈍器で殴られたり、切られたり、刺されたり、打つ毒を増やされたりした。
「いや、だ……」
「大丈夫。暴れなかったらこれで済むからね」
「や……」
言いかけた言葉は言葉にはならなかった。
僕の肩にあった左手は、いつの間にか僕の口を塞いでいた。
強く押されて、後ろの壁に頭を打つ。
僕の口を塞いだサイエンティストは注射器を一度床に置き、黒衣の裏地にある無数のポケットから刃物を取り出し、僕に向き直った。
これにも驚かなくなった。
また腕、切られるんだろうな。
もしここから出ることが出来たら、自傷行為じゃないかと疑われるんじゃないか。そんなことを考える余裕もあった。
今日はもうこれ以上抵抗はしなかったため、傷は一桁で済んだ。
「全く、抵抗するんじゃないよ」
僕は無言で首を捧げた。
首の大動脈に刺さるこの感覚と血液では無い何かが体内に流れ込んでくる気持ち悪さ。
今日はどんな毒だろうか。
「……゛うっ、゛おえ…」
即効性。
昨日よりもずっと吐き気が強い。
まぁ、何も食べてないから吐くものなんてないんだけれど。
吐きたい。その方がずっと楽になれるって知ってるのに。
もし吐けても胃酸を口から出せるくらい。
しばらくの間、このままもがき苦しむしかないのだろう。
「おぉ〜、こんな早く効くのかぁ……」
サイエンティストは感心したように、倒れ込んだ僕を見た。
僕はずっとうつ伏せになりながら、過呼吸で、楽になれるまで待っていた。
「゛ゔえっ…、がっ…」
口の中に香る酸の香りに気持ち悪くなり、口に指を入れ、無理矢理でも吐こうとした。
そんな僕をサイエンティストは冷静に観察していた。
『落ちろ』
どこからか声が聞こえた気がした。
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いつからここにいるのだろう。
気づいたら僕はこの部屋にいた。
真四角の角砂糖みたいな部屋だ。
部屋には何もない。
サイエンティストはいつの間にか入ってきて僕に毒を贈る。
もう親の顔なんて覚えていない。
それでも一縷の望みをかけて僕は記憶を探っている。
サイエンティストは僕を殺すつもりは無いのだろう。
僕は彼の奴隷である以前に、毒の効能を確かめる機械のようなものなのだから、大切な実験体を彼は捨てるつもりはないだろう。
もう何年、陽の目を見ていないだろうか。
恐らく三年、いや軽く五年は、いってるかもしれない。
外の世界ではずっと紛争や戦争の繰り返しらしい。
いつもサイエンティストはぶつぶつと愚痴をこぼしている。
この戦争社会の中、貴族どもは関係なしにお茶会ばかりやりやがって、今すぐ紅茶にこの毒を仕込んで殺してやれたら。などと。
だから僕は、その毒の実験とか、戦争に使うやつとかの効能実験だと思っていた。当たり前だろう。誰だって実験体を失いたくはないのだから。
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いつしか僕はもうサイエンティストに逆らわなくなった。
そして、閉じ込められてから八年目、僕は痛覚を失った。そして十年が経った頃、快楽を覚えた。
いつからかは分からない。
とある日から、ふらっと「実験」が心地よく感じるようになったのだ。
「さぁ、実験の時間だよー!」
そのサイエンティストの声に、僕は目を輝かせた。
今日もこの御方が僕を苦しめて下さる。
そんな快楽が全身を走り、ゾクゾクと身体を震わせた。
「さーて、今日は…」
「早く頂ダイ」
僕は食い気味で言う。もう、一刻も早く贈り物が欲しい。
昨日の贈り物は弱かった。けれども持続力は長くて、弱い苦しみが朝から夜まで続いた。
まぁ、窓もないこの部屋では光を感じることは不可能だけれど。
今日はどんな贈り物だろう。わくわくしながら、縦横無尽に伸びた髪をはらい、サイエンティストに首を差し出した。
「今日は特別な贈り物だよ」
そう言って差し出されたのは、黒薔薇の模様が描かれたティーカップ。中身は分からない。なんだか懐かしいような匂いがする。
僕はカップをしばらく見つめ、どういうこと?と聞くようにサイエンティストを見上げた。
「お飲み」
サイエンティストはそう言ったので、僕は一口、ゆっくり飲み込んだ。
「゛うおっ…゛え…」
今まで感じたことのない、これまでとは桁違いの苦痛。キモチイイ。
麻痺・悪寒・発熱・嘔吐・痺れ・腹痛・咳・息苦しさ・呼吸困難・関節痛・痙攣
麻痺・悪寒・発熱・嘔吐・痺れ・腹痛・咳・息苦しさ・呼吸困難・関節痛・痙攣
麻痺・悪寒・発熱・嘔吐・痺れ・腹痛・咳・息苦しさ・呼吸困難・関節痛・痙攣
全ての症状が代わる代わる僕の体を襲う。
デモ
もっと欲しい、待ちきれない。
倒れ込んで痙攣する僕の顔は笑っていた。
僕を見るサイエンティストは顔に憎しみを浮かべていた。
『堕ちろ』
もう、苦しくて、毒を飲むこともできない。
段々と意識が朦朧としてきて、前も見えなくなってくる。
僕のダイ好きな痣も傷も、もう見ることができない。
それでも
「もっとモッとチョウダイ」
僕は狂ってしまったのだろうか。
心に刺さった釘に問う。