19.恋時雨
「悠樹、その……今日はよろしくね。」
「お、おう。」
どうやら一日目のトップバッターは時雨になったようだ。俺は幼稚園から時雨の幼馴染だが、二人で遊んだことはなかった。いつも他に友達がいて四、五人くらいで遊んでいた。だから正直俺にはハードルが高いように感じる。
「じゃあ行こうか。」
「うん……その前に手つなご。」
「あっ……ごめん。気づかなくて。」
「いいよ、ほら。みんな来ちゃうし……」
どこかぎこちない会話だ。だが時雨は強がってただけで俺が転校する前まではこんな感じだったと思う。歳を重ねるにつれて、だんだんと距離が開いていった。それでも関係が終わらなかったのは鈴音や大雅がいたからだと思う。
お互いに無言で歩いていた時、≪ドン≫という音と共に小さい女の子が時雨とぶつかる。
女の子は反動で地面にしりもちをついてしまった。
「大丈夫?怪我してない?」
時雨が心配そうに聞く。女の子は涙目だ。よほど痛かったのだろう。
「そういえばお父さんやお母さんはどこにいるの?」
「言われてみれば確かに……」
女の子は涙をぬぐいながら言う。
「わかんない……りん、気づいたら一人だった。」
「りんちゃんって名前なんだ、大丈夫だよ。私がお母さんのところに案内してあげるからね。」
時雨はりんちゃんの頭をなでる。
「悠樹、いいかな?」
「勿論だよ。じゃあ最初は迷子センターに行こうか。」
「そうだね。よし、りんちゃん……あれ?りんちゃんはどこ?」
「えっ、本当だ。一体どこに……」
「あっ。あそこだ。」
ジェットコースターの前にいたりんちゃんを捕まえる。
「もー。一人でどっかに行っちゃだめでしょ?」
「……ごめんなさい。」
「ほんと心配したんだからね。」
時雨はりんちゃんの頭を撫でてやさしくほほえむ。その表情はすこし俺のお母さんに似ていたような気がした。
「りんちゃん、これ乗りたいの?」
「……うん。」
「じゃあ身長制限ギリギリ大丈夫みたいだし、乗ってみよっか。」
「いいの?」
「勿論だよ、いいかな?時雨。」
「いいよ。一緒に遊ぼう、りんちゃん。」
「やった!」
そうしてりんちゃんとジェットコースターに乗った俺たちは痛い目にあう。
「お姉ちゃん?お兄ちゃん?」
「…………」
「ねえってば。」
「…………」
「次はコーヒーカップに乗りたいー。」
「……ハッ!」
意識が何処かに飛びかけていた。危ない、危ない。
「勿論だよ、時雨おねえちゃんが一緒に乗ってくれるってさ。」
「お兄ちゃんも一緒じゃなきゃや。」
「……おにいちゃん今最高にコーヒーカップに乗りたい気分だよ。今逃したら後悔で夜寝れなくなりそうなくらいだ。」
「ほんと!?やった!じゃあお兄ちゃんも一緒に乗ろうね!」
「あ、ああ。当然だろ。」
「……悠樹、あとで何かおごってよね。」
「すまなかった。」
こうしてりんちゃんに振り回されて吐きかけること十二回。もうあたりが暗くなってきた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん。りん、観覧車乗りたいなー。」
「観覧車?勿論いいよ。」
なにより絶叫系のアトラクションじゃないし。時雨も最後まで乙女でいられることに安心したのか、ほっと胸をなでおろしていた。
そうして列に並んでいる時、後ろから声をかけられた。
「すみません、うちの娘がお世話になっているみたいですね。」
「お父さん!」
りんちゃんはお父さんに抱きつく。
「お父さん、このお姉ちゃんたちがりんと遊んでくれたの!」
「……そうか。うちの娘が世話になったね。」
見た目は帽子とマスクしているからわからないけど、声からして若い男性のようだ。
「いいえ、こちらこそ楽しかったです。また遊ぼうね、りんちゃん。」
「うん!じゃあね。お姉ちゃんたち。」
帰っていくりんちゃんたちを俺たちは手を振って見送る。
「このまま観覧車乗ろっか。」
「……そうだね。」
少し寂しかった。そう感じたのはきっと時雨もだろう。
そうして俺たちが乗っているカゴが頂上へ着いた、その時だった。
暗闇に現れたジェットコースターやメリーゴーランド。青や緑に光る木々。白やピンクの草原。全てが魅力的だった。
「……綺麗だな。」
「うん……そうだね。」
時雨は窓の外をじっと見つめている。
「ねえ、悠樹……私は悠樹のことが誰よりも好き。けど……悠樹はかすみちゃんのほうが好きなんだよね。私、どうすればいいのかな。何度も悠樹のこと諦めようと思った。けどやっぱり悠樹のこと諦めきれない。……私、悠樹のこと支えたい。悠樹が辛い時だって悠樹のそばにいたい、助けたい。悠樹、私とずっと一緒にいよ?」
そんなこといわないでくれ。俺はかすみと結婚したいんだ。けど……それを言ってしまったら俺は……大切な人を泣かせてしまう。
「俺は一体どうすれば……」
「悠樹……観覧車から降りたら少し付き合って。行きたい場所があるの。」
「……わかった。」
観覧車を降りて時雨とともに花宮殿を出た。そして時雨に促されるままにバスに乗り、途中のバス停で降りた。暗くてあまりよくわからないが、時雨は俺の手を握って迷わず歩き進める。階段を一段ずつ登り、錆びたガードレールのようなものの前にたどり着く。
「着いた。」
「ここって……」
「うん、私と悠樹が小学校低学年の頃よく来てた場所だよ。」
俺のお母さんが生きていた頃はここら辺に住んでたもんな……。
「どうかな、この景色。」
「懐かしいな。」
夜を照らす町並み。懐かしくて温かい景色。人の営みを映し出す空。ただあの頃と違うのはライトアップされている花宮殿が見えていることだ。
「私、言ったよね。この景色は私たちのものだけにしようって。……けどしばらくして悠樹はかすみをここに連れてきた。」
「……そうだったよな。時雨、凄い怒って一ヶ月くらい話聞いてくれなかったんだっけ。」
「当たり前でしょ?私と悠樹の間に知らない女がいきなり入ってきて悠樹のこと奪っていったんだから。私許せなかった。かすみちゃんも、かすみちゃんにホイホイ付いていった悠樹も。けどすぐに気づいたの。私のほうが遅かったって。悠樹の幼馴染って言ってるけど、本当はかすみちゃんのほうがずっと悠樹と一緒にいたんだって。私、何にもわかんなくなった。悠樹のこと一番わかってるって思ってた。けど違った。かすみちゃんのほうが悠樹のこと分かってた。だから私は悠樹の幼馴染だって一歩引いてた。」
そして時雨は俺を見つめる。
「だけど私が本当になりたかったものは幼馴染なんかじゃない! 私は悠樹の彼女になりたい!!」
俺は駄目だとは言えなかった。そんな強くはなかったのだ。
「……いいよ。」
「ありがと……」
俺と時雨の距離はもうない。俺は……罪を重ねた。
「……俺はこれからどうすればいいんだ。」
「悠樹……今は私のことだけ考えて。私が悠樹のヒロインなんだから。」
俺は時雨と付き合うことになった。その先に待っているものが何か俺にはわからない。受け入れることだけが優しさではない、そんなことはわかっている。だが俺は先のわからない未来のためだけに目の前にいる大切な女の子を傷つけることは出来なかった。
後ろから刺されないといいですね




