62話 これは勇者を救う物語
話し終えたルーティ様は、じっと天井を見上げていた。
頬が赤いのはお風呂にのぼせたからではないだろう。
「ルーティもそうだったんだ」
リットさんも天井を見ていた。
記憶を思い出そうとしているようだ。
「シサンダンに、師匠も、私を信じて協力してくれた近衛兵団の人達や冒険者達も殺されて、私は絶望していた。私の国は私達自身で守るって、あなた達に啖呵切ったのにね。私はあの時、私なんて生まれてこなければ良かったんじゃないかって思ってた。私のせいでこうなったんだって」
「そう」
「そんな時にレッドが助けてくれた。私のためにルーティ達が到着するより早くシサンダンの前に飛び出し戦ってくれた。後悔するより仇を討てって励ましてくれた」
ロガーヴィア公国での騒乱の話だろう。
強力な軍事力を持つロガーヴィア公国は、魔王軍が侵攻を開始する前に、隣国と国境の川の利用権を巡って小競り合いを起こしていたこともあり、単独で魔王軍との戦いを続けていた。
だが、アスラデーモンのシサンダンに率いられた魔王軍は、ロガーヴィアの軍事力を支えていた大量の燃料を供給する山の民を攻撃し壊滅的な損害を与え、供給を断った。
ロガーヴィア兵の強さは良質な武具にあった。それを生産するためには大量の燃料を使って工房を稼働させなくてはならない。
ロガーヴィア軍は勢いを失い、城を包囲されることとなった。
この裏にはシサンダンが、ロガーヴィア王から信任の厚い近衛兵団長ガイウスにすり替わり暗躍していたことに原因がある。
そのシサンダンは勇者ルーティに倒されたのだが、包囲していた魔王軍は撤退するわけではなく、積極的な攻勢こそしてこないものの依然としてロガーヴィアは包囲されたままだった。シサンダンの暗躍は、すでにロガーヴィアの反撃を許さないところまで追い詰めていた。
そこで勇者ルーティはリットを伴い、脱出不可能と思われていた惑わしの森を通るルートから包囲を突破し、さらに援軍の一部隊を指揮官として100人の精鋭の走竜騎兵を率いて縦横無尽に活躍し、シサンダンという指揮官を失って統制が悪くなっていた魔王軍を蹴散らした。
「ルーティも見てたと思うけど、私は惑わしの森でなんども絶望しそうになったわ。同じところをぐるぐる回っているように思えたし、1週間も森の中を進み続けたもの……もうロガーヴィアは敗北して、みんな殺されちゃったんじゃないかって」
暗い話をしながらも、リットさんの表情は明るい。
辛い記憶なのだろうが、多分同時にギデオンさんに出会った記憶でもあるのだ。
「でもレッドがいてくれた。一緒に戦ってくれた。ロガーヴィアを救おうって言ってくれた。太陽の光すら届かない黒い惑わし森の中で、レッドがいてくれることが嬉しかった。あんな気持ちは初めてだった」
リットさんは膝を抱えて口元を隠しつつ、笑っていた。
いやぁ、なるほど、ギデオンさんってそういう人なんだ。
そんな体験を積み重ねてればそりゃルーティ様もリットさんも、ギデオンさんを好きになっちゃうわけだ。
ルーティ様は両手でお湯をすくった。
手のひらからこぼれ落ちたお湯が、ぱしゃっと音を立てる。
「私は、昔ほどお風呂が気持ちよくない」
「え?」
「お風呂が気持ち良いのは、お風呂に入ることで身体が温まったり、血の巡りがよくなったり、疲れた筋肉が癒されるから」
ルーティ様はまたお湯をすくう。ぱしゃっと音が浴槽に響いた。
「私の身体はあらゆる耐性を持っている。どんな極寒、酷暑でも体温は変化しない。お風呂の温もりも同じ、私にとってはお湯という情報」
ぱしゃ。
「病気もしなければ疲れもしない。身体の状態は常に最適」
ぱしゃ。
「食事もそう。私は空腹にならない。水も必要ない。味は感じるけれど、身体が栄養を必要としていない」
ぱしゃ。
「私がお風呂を気持ちいいと思うのは、私がお風呂は気持ちいいものだという思い出を持っているから。思い出から感情を再現しているだけ」
ぱしゃ。
「子供の頃、私はお兄ちゃんが作ってくれた蜂蜜ミルクがとても美味しかった。甘くて、優しくて、いくらでも飲めると思った。でも、今日飲んだ蜂蜜ミルクは、味は昔より良くなっているはずなのに、昔ほど美味しく感じなかった。それでも、私にはお兄ちゃんの蜂蜜ミルクが美味しいっていう思い出がある」
そうか……問題をこじらせているのはそういうことだったのか。
ルーティ様は人類最強だ。
私やアレス様、ダナン様やテオドラ様、それにギデオンさんも人類の最高峰に位置するほど強いだろう。
でも私達は最強ではない。全員束になっても勇者には勝てない。ルーティ様が誰かに助けられるという体験は二度とできないのだ。
感情も昔ほど動かない。有害な感情のほとんどをルーティ様は加護によって失っているからだ。
だから、ルーティ様は過去に恋をするしかない。
(……ルーティ様にはギデオンさんしかないのか)
リットさんもハッとした顔をしたまま何も言えない。
これが……勇者の加護なのか。人類の希望、神に選ばれた英雄、世界最強の力。
「私、実はロガーヴィアでリットさんと行動してた時、あなたのこと嫌っていたの」
「あの時は私、勇者なんかに任せられるかーって感じだったものね」
リットさんは苦笑いをした。
「違うわ。私は羨ましかった。自由に笑い、自由に怒り、自由に泣く……自由に恋をする。お兄ちゃんとだんだん距離を縮めていくリットさんが羨ましくて、羨ましくて……」
ぽちゃっと小さな音がした。
ルーティ様の両目から小さな雫がお風呂へと落ちた音だった。
「本当に羨ましくて……だからあなたのことが嫌いだったの。だから、あなたをパーティーに加えるべきだってお兄ちゃんやアレスが言ってたけど、私はあなたに声をかけなかった」
「……ルーティ」
「リットさん、ティセ……これが私なの」
ルーティ様は私やリットさんでも分かるほど、はっきりと笑った。
「これが勇者ルーティなの……リットさん、私は勇者なんかじゃなく、あなたになりたかった」
私は間違った。私では駄目だった。
必要のない心配をして、本当の問題が何かを分かっていなかった。
この場には私ではなくギデオンさんがいなくてはならなかったのだ。
ギデオンさんだけが、きっとルーティ様を救うことができた。
ルーティ様の笑顔は、目を背けたくなるほどに悲しそうだった。
☆☆
トントンと私の肩を小さな手が叩いた。
振り向くとそこにはうげうげさんがいる。
「え、違う?」
うげうげさんは両手を振り上げた。
もしうげうげさんに声があれば、大声で叫んでいるのだろう。
(何も駄目なことなんてない、ここから始まるんだ!!)
うげうげさんはそう叫んでいた。
そうだ、うげうげさんの言うとおり。
自分の意志すら自由にできない加護に囚われたお姫様。
お姫様を助けることができる英雄はギデオンさん。
ならば私は、英雄を“導く”魔法使いか?
ふと視線を感じた。
リットさんが私の方を見ていた。2人の視線が交差する。
リットさんは強い意志を視線に込めて、小さく頷いた。リットさんも短い間だったが、勇者様と一緒に冒険した仲間だった。
英雄を導く魔法使いは2人と1匹だ。
物語の配役はこんなところだろう。囚われたお姫様が苦悩する展開はもう十分やった。
ならば次は私が英雄を導き、そして英雄はお姫様を捕らえている悪いドラゴンと戦い救い出す。
私にはどうすればルーティ様を救えるのか分からない。
だけど、私とうげうげさんはルーティ様の友達だ。
だからゴールが見えなくたって、ここから始めるんだ!
勇者様が救われて、みんなで笑える物語を!
自分では到達できないと思っていた累計100位へついに到達することができました。
これも私と一緒に本作を楽しんでくださった皆さんのお陰です。本当に感謝しています。
今年は2つの作品を書けて、どちらもたくさんの方に読んで貰えて本当に素晴らしい一年でした。
皆様良いお年をお過ごしください! 来年もどうかよろしくお願いします!