31話 偽神にすがる
「すまなかった」
アデミの父親であるモーエン衛兵隊長は、まずミドに謝った。
「話を聞くために連れてくるように部下に命じたのは私だ。まさか縄で縛ってくるとは思わなかった。それに父親が面会を要求していることも報告されていなかった」
タンタの腕の擦り傷を見て、怒りは収まらない様子のミドだったが、頭を下げるモーエンに憮然とした表情はそのままに、しかしそれ以上文句を言うことはなかった。
タンタ本人は、モーエンからお詫びの揚げパンを貰って機嫌を良くしている。
「部下達はサウスマーシュ区のやつらにアデミは殺されたと疑っているんだ」
「そりゃ被害者と加害者が逆転してるな」
「アデミは少し前まではここによく来ていた。衛兵たちも可愛がってくれていたよ。それでこの事件、被害者と加害者に対する意識が衛兵達の間で逆転している状況にある」
それで、アル側であるタンタに乱暴な振る舞いをしたのだろう。
モーエンはもう一度俺たちに詫びた。
「でもアデミは僕の母さんと父さんを襲ったんだ」
ずっと黙っていたアルがそう言った。
その言葉を聞いてモーエンは辛そうな表情を浮かべる。
「そうだね……だが、それを見たのは襲われたご両親とアル君だけなんだ」
「それはどういう意味ですか?」
「君達が見たのは本当にアデミだったのか、そう疑う者もいるということだよ」
「おい!」
俺は思わず声を上げた。
アルの頬が怒りで赤く染まる。
「落ち着いてくれ。君が嘘を言っていると断定しているわけじゃない。あくまでそういう考え方もできるということだ。今回の事件は不可解な点が多すぎる」
それは確かにそうだ。
まず、被害者は斧で襲われたのにも関わらず、殴打された傷しかないこと。
被害者の2人はどちらも斧の峰の部分で何度も殴打されており、骨折など怪我はしているが命に別状のある傷は無かった。出血も額や鼻といった出血しやすい部分を殴られたからだ。
それに、アデミは2人にとどめを刺せる状態であったのにも関わらず、その場から立ち去っている。
次に、何のためにアルの家を襲撃したのかということ。
確かに、アデミはタンタやアルのようなハーフエルフを嫌っていた。
しかし、だからといって、わざわざ議会通りから南の外れにあるサウスマーシュ区にいって、アルの両親だけを襲って行方不明になるだろうか。しかも嵐の日にだ。
さらにアデミが行方不明だというのも不可解な点だ。
アデミは若くして加護に触れているとはいえ、まだ10代前半の子供だ。
いかにゾルタンの衛兵たちが怠惰な性分だったとしても、子供1人捕まえられないほど無能ではない。
可能性があるとすればアデミがあの晩すぐにゾルタンを出た場合だが、これも翌日は嵐の直撃した日であることから否定できる。あの日は魔法か、極めて特殊なスキルでもない限り、外で野営できる状況ではなかった。
最後に、アデミはどこで斧を手に入れたのか、またなぜ斧を使ったのかが不明な点だ。アデミが使った武器は、アル達の証言から推測すると一般的な片刃のバトルアクスだ。片手でも両手でも扱え、愛用している冒険者も多い武器だが……衛兵達は使わないし、一般家庭が自衛用に持つ武器でもない。
喧嘩屋の加護は特別、斧が苦手というわけでもないのだが、その場にある瓶や椅子などで戦うスタイルであるし、なによりアデミは自分用のショートソードとショートスピアを持っていた。すでに加護のレベルを上げるために、近隣のモンスターを狩っていたのだ。
なぜ自前の武器を使わず、どこからか斧を手に入れ使ったのか。
あの晩のアデミの動向については、アデミの母親は部屋で勉強しているのかと思っていたと証言している。もちろん、彼女はアデミを見張っていたわけではないし、その気になれば抜け出すことはできるだろう。
その後、アデミは襲撃の際にアル達に見られた後、姿を消し、以降目撃証言はない。
この問題を解決する最も簡単な方法は、『アル達が嘘をついている』とすることだ。
アデミは何らか別の用件で部屋を抜け出し、外で拉致された。アル達はアデミに斧で襲われたと嘘の証言をし、アデミは逃亡のために行方不明になったということにする。
そう考えれば、ある程度は辻褄があう。
「でたらめだ!」
アルは叫んだ。
今俺が考えたことと、大体同じことをモーエンは俺たちに言ったのだ。
当然、アルは反発した。
「あくまで仮定だよ。そして、そう考える衛兵もいるんだ。そうした衛兵達はこの事件の被害者側をまるで加害者側のように感じているわけだ。そういった経緯があり、今回の乱暴な連行や無礼に繋がったのだろう」
衛兵達のこの事件の被害者に対する態度は非常に悪い。
もともと、衛兵達は治安の悪い……言ってしまえばスラム街であるサウスマーシュ区の住人を嫌っている。
さらに、アルベールの仲間のキャンベルとその仲間の3人もサウスマーシュ区生まれであり、衛兵達の同僚が殺害されたことでさらに心象が悪くなっているのだ。
そうした態度を取られることで、サウスマーシュ区の住人だけでなく、下町など他の庶民が住む区からも軋轢があるようだ。
「僕は確かにアデミを見た! 斧を持って、僕の母さんと父さんを何度も、何度も! そう何度も斧で殴っていたんだ! それにアデミは加護に触れてからすごく乱暴になっていた! 僕はアデミがどんなに凶暴なやつだったか知っているんだ!」
アルはこれまで溜め込んできたものを吐き出すかのように叫んだ。
俺もリットも、その剣幕に何も言えない。
だが、
「でも、俺もアデミがそんなことしたなんて信じられないな」
「タンタ!?」
「あ、え、ご、ごめん! べ、別にアルが嘘をついているって言うわけじゃないんだ! ……たださ、アデミがいなくなる一週間くらい前だったかな。アデミに呼び止められて、また殴られるかと思ったんだけど、あいつ俺に謝ったんだよ。殴ってごめんって」
タンタはアルに詰め寄られて慌てながらも、必死で説明する。
「アデミも悩んでいたんだよ。加護の衝動ですぐに暴力を振るうようになって。あいつの夢って衛兵になることだろ? 衛兵は暴力を振るうのではなく取り締まるんだって、前に言ってたじゃないか」
「それは……」
「謝られた時、もう大丈夫、これからは意味なく殴ったりしないって、そう言ってたんだ。嘘をついているようには見えなかった、昔のアデミに戻ったみたいだったんだ。だから、アルのおじさんたちを襲ったなんて、その、俺、驚いて……」
タンタはなんとか説明を終えると、アルの視線から逃げるように俺の後ろへやってきて隠れた。
「……“もう大丈夫”。これはどういう意味だと思う?」
「分からない」
タンタの説明のうち、俺とリットはこの言葉に何かひっかかりを感じた。
加護の衝動をコントロールできるようになったということだろうか?
俺たち2人が困惑する中、モーエンが口を挟んだ。
「実は、今日タンタ君を呼んだのも、そのことについて詳しく聞こうと思ってね。確かに息子はいなくなる少し前から、とても落ち着いているように見えた。それで、少し前にアデミがタンタ君と親しげに遊んでいたという話を下町の冒険者から聞いて、詳しい話をタンタ君から直接聞きたかったんだ」
「あの日はアデミもすごく機嫌良かったし、お詫びにって余っているワイバーンレースの駒をくれたんだ」
あれだけ喧嘩していたのに、一回仲良くなったらすぐに許せるのは子供の特権なのだろうか。
タンタの口調からは、アデミに対する恨みや疑いの感情は感じられない。
「そうか、ワイバーンレースか、懐かしいな。私も子供の頃は良くやったものだ」
モーエンは口元を僅かに緩めた。
やはり、モーエンは息子の無実を信じているのではないか。
それが衛兵達にも伝わって、今の状況を作り出している……。
「モーエン、あんたはどう思っているんだ?」
俺はモーエンに、彼の目を真っ直ぐ見据えて言った。
モーエンは最初じっと俺の視線に耐えていたが、やがて目を横にそらし疲れたような声で答えた。
「態度には出さないように気をつけてはいるが……この現状は私の内心が部下達にも伝わっているからなのだろうな。そうだ、私もサウスマーシュ区の住人を嫌っている。あいつらは犯罪者の集まりだと……それが本心だ。口ではどう言い繕おうと、今回の事件、私はアデミが犯人だとは思っていないし、サウスマーシュ区のやつらにアデミは監禁されているか……もう殺されたか。そう思っている」
そこまで言うと、モーエンはアルの正面に立った。
アルは無意識なのか、左手を腰のショーテルの柄に添えている。
万が一を考え、俺はいつでも動ける体勢を作った。
「本当に済まない。今、ゾルタンの人々がいがみ合ってしまっているのは、私の弱い心のせいだ」
だが、モーエンはまだ子供であるアルに深々と頭を下げたのだ。
「…………」
アルは困惑した表情で何も言えずに、頭を下げたモーエンを見ていた。
☆☆
「英雄リット。あなたが冒険者を引退されたことは聞いている。今回はただアル君を助けるため、依頼を受けるという形を取っただけなのかもしれない。だが、それでも現在、我々が掴んでいる情報を伝えようと思う。もし、手伝っていただけるのであれば、我々からも報酬は出そう」
モーエンからそう言われ、リットは困ったような表情を浮かべながら、「話くらいは聞かせてもらう」と情報を受け取ることを了承した。
それで俺とリットの2人は、モーエンの部屋の椅子に座っているところだった。
アルとタンタ達は先に帰した。
当事者であるアルからは文句を言われるのかとも思ったが、先程モーエンに謝られた事で混乱しているのか、素直に頷き、俺の店に帰っていった。
「無礼な質問だとは思うんだが、一つ聞きたい」
「レッド君だったね。なんなりと」
「アデミが件の麻薬を使っていた形跡はないか?」
「!!」
モーエンの顔色が変わる。
「私は、息子にそのようなものに手を出すやつはクズだと教えてきたつもりだ!」
「心当たりは無いってことだな」
「ああそうだ!」
「だけど、あんたにだって分かっているはずだ。前のアルベールの仲間のキャンベルが引き起こした事件との類似性を」
凶器は使い慣れていないはずの斧。理由なき凶行。
そして事件が終わるとあちらは加害者全員死亡、そしてこちらは行方不明。
「だが、例え息子が犯人だとしても、息子は誰も殺さなかった!」
「確かに、だからまだ間に合う。おそらく、アデミが犯人なのは間違いない。だけど、これはアデミに原因のある凶行じゃない」
「…………」
「あの麻薬について、分かっていることを教えてほしい」
モーエンは難しい顔をした。
しばらく悩んだようだが、やがて口を開いた。
「まだ確証はない。ゾルタンに”鑑定”スキル持ちはいないからな。中央から加護を“鑑定”できる、賢者か聖者の加護持ちを要請しているところだ」
「鑑定か……やはり加護なんだな」
「そうだ、あの麻薬、我々は偽神薬と呼んでいるが、あれは加護を増やす可能性がある」
なるほど、詳しくは分からないが、加護の衝動も変わるのだろう。それでアデミは喧嘩屋の加護の衝動から解放されたとタンタに伝えようとしたわけだ。
あれほど被害者を出しながら、それでも偽神薬を使わなければいけない理由。新しい自分になれるという売り文句。
神の選んだ役割から解放されるために、人々は危険な薬にすら、すがっていた。