28話 嵐の後に燻る火
夕方、嵐が近づいている。
外は強い風が吹き、横殴りの雨が波のように緩急をつけて、水たまりに束の間の足跡を残している。
「こりゃもう客はこないだろ、店を閉めよう」
俺は店のドアを閉め、内側から鍵をかけた。
少しドアを開いただけなのだが、床が濡れてしまっている。
「はい」
「お、ありがと」
リットから雑巾を受け取ると、俺は床を拭いた。
その間にリットは今日の間、わずかに売れた薬の帳簿を確認している。
どちらの作業もすぐ終わった。
「明日は休みだな。誰もこないだろう」
「嵐だしね、こんな時に外に出歩く人なんていないでしょ」
「まぁな」
風が強くなりギシギシと家が鳴る。
だが、下町随一の大工であるゴンズの手がけたこの家は、嵐の中でもびくともしない。
俺たちは安心してこれから来る嵐を迎えようとしていた。
ゴンゴン! と激しくドアが叩かれた。
「なんだこんな日に」
「レッド君! 私だ! ニューマンだ!」
「ニューマン先生!?」
ドアを開けると、外套を着たニューマンが立っていた。そして、
「アル!?」
頭から血を流してぐったりしているアルをニューマンは背負っていた。アルはずぶ濡れで、靴も履いていない。足の先は泥で汚れ、寒さで血の気がなかった。
「リット! 毛布とタオルを!」
「分かった!」
俺が声をかけたときには、すでにリットは動き出していた。
頼りになる店員だ。
店の床に敷かれた毛布の上にアルを寝かせる。
リットの精霊魔法で、温められたお湯がすぐに用意された。
俺は雨と出血で冷たくなったアルの身体を毛布で包み、温める。
その間にニューマンは薬棚から消毒薬と止血薬を手にして、応急処置を行っている。
「思ったより深いな……」
ニューマンが呟いた。
アルの側頭部にできた傷から血がとめどなく溢れていた。
「まずいな」
俺も横から様子を伺うが、傷が深すぎる。
通常の処置じゃ間に合わない。
「少し待っててくれ」
俺は貯蔵庫に走り、迷わずキュアポーションを5つ取った。
キュアの魔法が封じ込められたマジックポーションだ。普通の手段では間に合わない傷も、魔法でなら治すことができる。
(一般人には高級品だが、どうせこれは複製品だしな)
ふえるポーションで複製したキュアポーション。売り物でもないし惜しみなく使ってしまおう。
☆☆
5本のキュアポーションを次々に投入し、アルの容態は安定した。
「間に合ったか、良かった」
俺は胸をなでおろした。
例えキュアポーションを以てしても、死んでしまった者は生き返らせることはできない。
「驚いたよ、まさかキュアポーションを使ってくれるとは……ただ、言いにくいんだが、アル君の家にキュアポーション5本の費用を払う余裕は……」
「分かってる。だが、この子は友人なんだ」
「友人か」
「だから、ここでキュアポーションを使ったことは内密に。普通の治療をしたことにしてくれ」
「分かった。レッド君、君はいいやつだな」
ニューマンはそう言って笑った。
「ところで、一体何があったんだ?」
「わからない。私は、この風のなか雨漏りした屋根を修理しようとして転げ落ちた馬鹿者に呼ばれた帰りだったんだが、通りにこの子が倒れていてね。知っての通り怪我をしていたんだが、私の診療所より、レッド君の薬屋の方が近かったから、悪いとは思ったけれど転がりこませてもらったよ。迷惑をかけてしまってすまない」
「いや、俺の方こそ友人を助けてくれてありがとう。先生が通りかからなかったらアルは死んでいたかもしれない」
下がっていた体温も戻り、アルは安らかな顔をしている。
「傷口に小さな石の破片が無数に刺さっていた。おそらくは風で飛ばされた石か何かが頭に当たったのだろう」
「なるほど、しかしなんでこんな日に外を、しかも下町の方を出歩いていたんだ。それに雨除けの外套も無く部屋着のまま、靴すら履いていない」
「わからん」
「……起こすしか無いな」
体力が落ちているアルを起こすのはあまり良くないが、何か取り返しのつかないことが起こりそうな気がする。
俺は、アルの肩を軽くゆすりながら、アルの名前を呼んだ。
「ん……」
何度か繰り返した後、アルはゆっくりと目を開けた。
「大丈夫か?」
「レッドさん……」
アルの目が安堵で揺らぐ、だが次の瞬間。
「あ、ああああ!」
「どうした!?」
アルの目は恐怖で見開かれ、俺の腕を掴み悲鳴をあげた。
「大丈夫だ、俺がついている。落ち着いて」
「た、たすけて!」
「もう大丈夫、ここは俺の店だ。誰もお前を傷つけたりはしない」
「違う!」
アルは叫んだ。
「家に、アデミが来て、母さんと父さんが、襲われて、斧を持っていて!」
その光景が蘇ったのかアルは恐怖で呼吸ができなくなる。慌ててニューマンが介抱した。
アデミっていうと、最初にあった時、喧嘩していた子か?
それに斧?
急がないと。
「はい」
立ち上がった俺の後ろからリットが声をかけた。
振り返ると、外套にエクストラキュアポーションが2本入った鞄が用意されている。
「外套は私のよ。ハイエルフの作った環境耐性つきのシールドクローク」
「ありがとう」
俺はすぐに外套を羽織り、鞄を受け取ると、アルの家へと嵐の中を飛び出した。
☆☆
結論から言おう。
アルの両親は無事だった。だが怪我はしていた。
俺がサウスマーシュ区にあるアルの家にたどり着いた時、玄関は開け放たれたままで、雨が家の中に吹き込んでいた。
水たまりのできた玄関口を通る。この家は台所と寝室のみというシンプルな構造で、すぐに部屋の中を見渡せた。
アルの両親は寝室に倒れていた。血を流していたが、傷は斬撃によるものではなく殴打による傷だった。
どうやらアデミは、なぜか斧の刃の方ではなく、反対側で殴ったようだ。
どちらも出血はひどかったが、傷自体は深いものではない。リットが用意してくれたエクストラキュアポーションも必要なかったほどだ。
傷口を洗って止血し、鎮痛剤を飲ませ、骨折した部分を固定すれば終わりだ。
遅れて、ニューマンも到着し、2人の命に別状がないことを確認した。
最悪の結末は避けられた。
だが、この事件は大きな禍根を残すことになる。
少しだけ先の話をしよう。
アデミは実は議会通りに住む衛兵隊長の息子だったのだ。
事件以来、アデミは行方不明となっている。だがサウスマーシュ区のハーフエルフをはじめとするハーフヒューマン達は、アデミが衛兵に匿われているとして抗議。
しかし、衛兵側は応ずることはなかった。
燻った火種はいつ燃え上がってもおかしくない。
嵐が去ったゾルタンだが、住民の顔には不安が浮かんでいた。