159話 少年とヤランドララ 前編
当時俺は9歳。
バハムート騎士団に入団したばかりで、まだ小姓として下積みをしていた頃。
あれは、冷たい冬の夕暮れの時だった。
灰色の空からボタボタと重たい雪が降っていた。
しんしんと降る雪ならばまだ楽しむ余裕もあるだろうが、王都の人々はぼたん雪で身体をぐっしょりと濡らし辟易した様子で歩いている。
通りは仕事帰りの人々でごった返していたのだから、不快さはなおさらだ。
そんな憂鬱な日に俺は、仕えている騎士であるフローレスさんから買い物を頼まれ、ブカブカの外套を揺らしながら人混みをかき分け歩いていた。
(コスモスなんてこんな真冬に売っているのかな)
俺は心の中で、この苦労が徒労に終わるのではと少し不満に思っていた。
だが小姓にとって、仕える騎士の命令には従わなければならない。
少なくとも、花屋を5軒は回らなければ、ぼたん雪を差し引いても納得はしてもらえないだろう。
(せめて朝方に言ってくれれば良いのに)
育ち盛りの胃袋はキュウキュウと空腹を主張しているが今晩の夕食は遅くなりそうだ。
ルーティを守るための強さが欲しくて騎士団に入ったのだが、せめて従士に出世しなければ、加護を成長させる機会は得られない。
俺と一緒に働いている小姓にはこのような雑用はやりたくないという者もいる。
特に、伯爵家の長男であるネビルという名の男の子は、雑用を他人に押し付けることが多かった。
その空いた時間で槍の鍛錬をしているから良いと思っているようだが。
今回の花探しも本来はネビルが頼まれたのだが、平民にこそ相応しいと俺に押し付けてきたのだ。
(まっ、田舎育ちの俺には騎士としての知識を身につける良い機会だからいいけど)
ルーティを守るために必要なのは強さだけではない。
権力者と交渉するための能力、パーティーの旅を維持するための能力、人を率いて戦う指揮官としての能力……それらを得る第一歩として、騎士としてふさわしい作法や考え方を身につけるのは必要なことだ。
なので、俺は不満に思うことはあっても、こうした下積みを受け入れ真面目にこなしていた。
それに俺達の上司であるフローレスさんはアヴァロニア王国が誇る精鋭バハムート騎士団の騎士なのだ。
雑に仕事を投げているようで、俺達の仕事ぶりをしっかりと見ている。
ネビルのこともそうだ。
俺は昨日、フローレスさんが同僚の騎士とネビルを騎士団から除名するつもりだと話していたのを聞いてしまった。
(武勇に優れるだけでは騎士にはなれないんだろうね)
そんなことを考えながら、雪と人混みの中を歩いていると。
キリキリという音が頭上から聞こえた。
「弓を引く音?」
俺は目の前を歩いていた男の肩に飛び乗り、空中へと跳んだ。
「ごめんね!」
「うわっ!? このガキ! 何しやがる!!」
『導き手』の初期レベル+30による子供離れしたレベルと、軽い子供の身体だからできた芸当だ。
道行く人々の頭を踏みつけながら、俺は腰に佩いたショートソードを抜き、放たれた矢を切り払う。
「狙われたのはあの男だね」
矢が当たっていたはずの場所にいるのは、何が起こっているのか分からず驚き戸惑っている上等な絹の服を着た男。
確か商人ギルドの幹部で塩を取り扱う大きな商会を持っていたはずだ。確か名前はブラン・ロビンソン。
狙われるには十分の富と立場のある男だろう。
「そして狙ったのはあいつか!」
通りの側の家の二階。
ろうそく1つ灯らない暗い部屋の中に2つのギラギラとした眼が輝いている。
「後で謝るから!」
「きゃっ!」
俺は近くにいたエルフの女性の肩を借りて高く跳躍する。
「……ッ!?」
弓を持ち、黒装束に身を包んだ男のフードの隙間から覗く顔に驚きが見えた。
俺は窓枠に掴まり、壁を蹴り上げながら部屋の中へと飛び込み間髪入れずショートソードを一閃した。
「あっ!?」
うめき声を漏らしたのは俺の方だった。
俺の右腕に鋭い痛みが走った。
不意の一撃だったはずだが、俺の剣は間合いを外され、相手が服の内側に着ていたチェインシャツをかすめただけだった。
男は素早く飛び下がって間合いを取る。俺は追撃することができなかった。
俺の右腕に矢が突き立てられ動かせなかったからだ。
男は、俺の一撃をかわしながら、右手に持った矢で俺を刺したのだ。
(強い)
生まれつき加護レベル31の俺が戦う初めての格上。
俺は左手で剣を持ち、構えながら息を整える。
「今の一撃は肝が冷えたぞ。見た目通りのガキとは思わん、悪いが殺す」
「おじさんこそ、あのタイミングで剣を躱されるとは思わなかった。殺さずに捕縛は諦めるよ」
「その服の紋章はバハムート騎士団のものだな。小姓か……成長すれば歴史に名を残す英雄になれたかも知れんが、余計なことに首を突っ込んでしまったばかりに……哀れなやつめ」
殺気も一流。
アウルベアと戦ったときとは比べ物にならないほどの威圧感が俺を襲った。
男は弓を引き、俺の心臓に狙いを定める。
(加護は『射手』、いや『弓術家』!)
弓を戦いの道具としてではなく、弓の技術そのものを鍛えることに意義を見出す加護が『弓術家』だ。
武器を使う特殊な武術家系の加護の1つである。
弓に対する衝動は強いが、普通の『射手』より遥かに強いはずだ。
無傷で切り抜けるのは難しい。
せめて鎧があればとも思うが、そんな思考は今必要ではないと頭から追い出す。
俺は覚悟を決めると、傷ついた右腕で顔をかばい、片足を引いて半身になることで心臓を左肩で守る。
「悪くない考えだ、腕を犠牲にしてでも生きてさえいれば勝ち目はある」
男は表情を変えずに言った……その顔には余裕があった。
俺の腕ごと急所を貫く自信があるのだろう。
死の予感に心臓が早鐘のように鳴る。
その時、窓から強く、温かな、まるで春のような風が吹き込んだ。
雪に混じって白い花びらが、俺達の間を通り抜ける。
花びらはふわりと舞って、まるで吸い付けられるように男の両目を塞いだ。
次の瞬間、矢が放たれた。
宙に舞う花びらを切り裂き、俺の背後の壁に矢が突き刺さる。
同時に俺の剣を持った左手に肉を引き裂く感触が伝わった。
男の両目を塞いだ花びらが、ハラリと落ちる。
「…………!」
血走った男の恐ろしい両目が俺を睨んでいた。
喉を貫かれ、ゴボゴボと奇妙な音が漏れている。
男はなにかをつぶやいているようだが、俺には何を言っているのか分からなかった。
左手に力を込め、剣をさらに奥へと押し込んだ。
ビクリと男の身体が震え、脱力したようにズルリと床に倒れた。
「はぁはぁ……」
男が死んだのを確認し、俺は床に座り込んだ。
右肩の矢は手で突き立てられたものだから傷は深くない。
俺は息を止め、歯を食いしばりながら矢を抜く。
血の付いた矢が床に転がりカランと音を立てた。
右腕に痛みはあるが、だがそれ以上に加護が久しぶりにうずいている。
(レベルが上がった)
生まれつきレべル31だった俺は、6歳から毎日のようにモンスターを退治してレベルを上げてきた。
だがレベルが低い相手を倒した場合加護の成長は極めて効率が悪くなる。
俺は昨日まででレベルを2つ、加護レベル33までしか上げることができなかった。
それが今、たった一回戦っただけでレベル34へと上がった。
「これが王都か」
ルーティの側を離れるべきか悩んだが、やはり強くなるために騎士団のスカウトを受けたのは正解だった。
しばらく座り込んでいると、バタバタと建物の中に駆け込んでくる物音がした。
俺は慌てて鞘に収めた剣の柄に手をかける。
「大丈夫!?」
飛び込んできたのはハイエルフの女性だった。
その後から、ロングソードを構えた衛兵隊が続く。
どうやら味方のようだ。
「無事で良かった」
初めて見るそのハイエルフは、俺の右腕の傷に手をかざす。
花が傷口の周りに漂い傷口は跡形もなく消えた。
「ありがとうございます、ハイエルフのお姉さん……えっと、すみません、どこかでお会いしましたっけ?」
「いいえ、初対面よ。私はヤランドララ」
「あ、もしかして2階に飛び上がるときに踏みつけた人?」
「ええ、びっくりしたわ」
ヤランドララさんはそう言って俺に優しく笑いかけた。
「ごめんなさい、咄嗟にああするしかないと思って」
「大丈夫、あなたの言う通り、ああするしかなかったわ」
ハイエルフとまともに話すのは初めてだった。
王都にもハイエルフはそれなりに住んでいるが、ハイエルフ同士でコミュニティを作り、人間とは壁を作って暮らしている。
異種族嫌いはハイエルフの種族的性質だ。
「おい、こいつヴィヒシャだぞ」
「ヴィヒシャって、群島諸王国の傭兵か?」
衛兵達が男の死体を調べてなにかつぶやいている。
「俺はヴィヒシャを見たことがあるんだ、間違いなくこいつだ」
「似てるだけの別人だろう。なにせこいつを斬ったのはあの子供だ、三王殺しで有名なあのヴィヒシャであるはずがない」
「……それもそうか。似てるんだけどなぁ」
どうやらあの男は名のある傭兵だったらしい。
争いの絶えない群島諸王国で活躍したのなら、レベルが高いのもうなずける。
「坊っちゃん」
衛兵が俺を見て言った。
「ここで何があったのか説明して欲しいから一緒に屯所まで来てくれないか?」
「分かりました」
だが衛兵のところへ近寄ろうとした俺の前にヤランドララが立ちはだかった。
「待って、この子は命のやり取りをした後なのよ。ここで戦った以上のことは何も知らないみたいだし、話を聞くのは明日でもいいでしょう」
「む、しかしだなヤランドララさん」
「この子の剣を見て」
俺の剣?
「……そうだな。悪かったな坊っちゃん、話を聞くのは明日にしよう。名前と所属だけ教えてくれるか」
あっさりと折れた衛兵は、優しい声で俺にそう言った。
俺は、内心首を傾げながらも、フローレスさんのお使いはまだ間に合いそうでホッとした。
「フローレス卿にお仕えしております小姓のギデオン・ラグナソンです」
「ラグナソン君か、住まいはフローレス卿の邸宅だな。明朝に伺わせていただこう」
俺とヤランドララさんは衛兵にうながされて外へと出た。