157話 穏やかな午後、ヤランドララがやってきた
サリウス王子が帰ってから、もう2週間の時が流れていた。
ゾルタンの短い冬はすでにこの町に興味を失いつつあるのか。ここ数日は温かい日が続いている。
俺は店のカウンターに座り、たまに来る客の相手をしていた。
戦争や物資不足への不安から少し前に薬が大量に売れた反動か、最近は暇な時間が多い。
まぁ俺も忙しかったのもあって、しばらくはゾルタン人らしく暇な時間を楽しもうと思っている。
「ありがとうございました」
客が帰ったのを見送った後、俺は座ったまま、ぼーっとしていた。
ルーティのために強くなろうと騎士の仕事をしていたかつての俺では考えられない時間の過ごし方。
こういうのも良いんじゃないだろうか?
そんなことを考えていると、ムニュっと後頭部に柔らかいものが押し当てられた。
「レッドー、暇だよー」
リットが後ろから俺の頭を抱えるように抱きついてきたのだ。
「俺も暇だよ」
「うー、仕事放り出してイチャイチャしたい」
「でもたまにお客は来るし」
リットは俺の頭を抱えたまま「うーうー」と唸っている。
ところでこの状況はイチャイチャに入らないんだろうか?
俺は幸せな気持ちになっているのだけど。
「よし」
リットの不満そうな声を聞いて、俺は立ち上がる。
「何々? なにか思いついたの?」
「リットはここに座って」
「うん!」
俺は座っていた椅子にリットを座らせる。
そして、俺はリットの頭を抱えるように抱きしめた。
さっきまでとは逆の状態になったわけだ。
俺が幸せだったのだから、リットにとっても幸せなはずだ。
「???」
リットは不思議そうな顔をしている。
しかし。
「……えへへ」
しばらくすると、緩んだ口元を首の赤いバンダナで隠しながら笑い始めた。
少し顔が赤くなっている。
やっぱり俺が幸せなことは、リットにとっても幸せだったようだ。
「じゃあ次はまた私の番ね!」
リットの可愛い声が店に響く。
俺達はそうやって暇な時間を楽しく過ごしていた。
☆☆
昼になり、ますます客の数が少なくなった。
パチン。
店の中に心地よい音が響く。
「うーん、やるな」
「ふふーん♪」
リットは得意げな顔で、ジャラジャラと手の中で石をもてあそんでいる。
ボードの上には、白と黒の石が複雑な文様を描いていた。
俺達が遊んでいるのは、「包囲戦」という名のボードゲーム。
交互に石を置き、土地を包囲して自分の領土にしていくという戦略ゲームだ。
アヴァロン大陸では広く知られている。どちらかといえば落ち着いた年配の人に好まれているな。
そのためか、こうして店番しながら遊んでいても眉をひそめられない知的なゲーム扱いされる。
なお人気で言えばワイバーンレースの方が広い層に好まれているだろう。
包囲戦は大量の石を用意しないといけないが、ワイバーンレースなら自分の駒とサイコロ3つだけでいい。
「これならどうだ……」
「じゃあこっちで受ける」
「むむむ」
リットは包囲戦の達人だ。
たまにこうして遊ぶのだが、これまでハンデ無しでは一度も勝ったことがない。
ハンデで石を3つ最初に置かせてもらって、ようやく五分。
今回はハンデ1。
俺は劣勢だが、リットのパートナーとしていつまでも負けっぱなしではいられない。
「ここだ!」
「むっ、そこはちょっと困るなぁ」
次の一手はリットを驚かせるものだったらしい。
今度はリットが手を止め、盤面を見つめながらじっと考え込む。
格上相手に打つ対局はこの瞬間がたまらない。
「レッドはすぐに上達するねぇ」
リットは悩んだ末に、反撃ではなく防御の一手を置いた。
ここの攻防は俺の勝ちだ。
「こうしてリットと遊んでるからな。リットがどういう考えで今の一手を置いたのか、理解しようとしていたら自然と上達するよ」
パチンと俺は石を置く。
「んふふ、じゃあ私も、もっとレッドのこと理解しないと」
リットはそう言って笑った。
身体が触れ合うことはなくても、俺達はこうして心を触れ合わせながら遊んでいた。
しばらくして。
カラン。
ベルが音を立て、店のドアが開く。
「「いらっしゃいませ!」」
俺とリットは、ゲームの手を止め入ってきた客に声をかけた。
現れたのは美しい顔立ちの女性。
輝く銀色の長髪に、シミひとつない肌。
瞳は青く、着ている服は緑を基調とした頑丈なキラミン織りの旅装。
何より目を引くのは、ピンと飛び出た長い耳。
「えっ!?」
リットが驚いて声を上げた。
俺も驚いて、思考が一瞬止まってしまった。
そのハイエルフを俺達は知っていたからだ。
「ギデオン! やっと見つけた!」
そのハイエルフは、銀色の髪に負けないくらいの輝かしい笑顔で、俺の方へ勢いよく飛び込んできた。
間にカウンターがあるのもおかまいなし。
軽やかな跳躍でカウンターを飛び越えた彼女を、俺はなんとか受け止める。
「無事で良かった!」
「ヤランドララ!?」
そのハイエルフの名はヤランドララ。
かつて俺と共に勇者のパーティーにいた『木の歌い手』であり、俺がパーティーを追い出された後、賢者アレスと喧嘩しパーティーを出ていった女性だ。
「私、もしかしたらアレスのやつにあなたが殺されたんじゃないかって、ずっと心配で……!」
ヤランドララは俺の身体を力いっぱい抱きしめた。
ふわりと花の香りがした。
「落ち着けヤランドララ! 客が見てるから!」
ヤランドララの後ろから入ってきた、常連の冒険者チャールズは店の中の様子を見て目を丸くして驚いていた。
腰の剣に手が伸びている辺り、もしかしたら俺が浮気していると思って怒っているのかもしれない……チャールズはリットの熱心なファンだし。
そのリットもどうしていいか分からず固まっている。
「とにかく一度離れてくれ、事情を話すから」
俺は必死にそう言ったのに、ヤランドララは俺の身体を離そうとしない。
「本当に……心配で……」
「……そうだな、何も言わずに出ていって悪かった」
俺は諦めて力を抜いた。
ヤランドララの声は震えていた。
☆☆
「ふむふむ、なるほど」
チャールズは頷いて言った。
「つまりレッドが仲間に追い出されたことに納得できず、ここまで探しに来たと」
チャールズにあの状況を見られて何も説明しないわけにはいかないだろう。
俺は多少のごまかしも交えつつ、話せる範囲で事情を説明した。
「そういうことなら俺が口を挟むことじゃないな」
チャールズは立ち上がった。
「もし浮気だったらぶった斬ってやろうと思ったけど」
「まじか」
「半分冗談だ。半分はヤランドララさんをここまで連れてきたのは俺だからな、もしリットさんやレッドに危害を加えるつもりなら、命を懸けて止めるつもりだった」
「そんなことするわけないじゃない」
ヤランドララがじろりとチャールズを睨む。
「俺はあなたのことをよく知らないんだから仕方ないだろう。なんにせよ、部外者は早々に退散させてもらうぜ」
「ああ、迷惑かけて悪かったな」
俺の言葉に、チャールズは笑って首を振った。
「迷惑だなんて言うなよ、この店の力になれたのなら嬉しいさ。俺はこの店が気に入っているんだ」
それからチャールズはリットに丁寧な挨拶をすると、店から出ていった。
俺は口元が緩むのを我慢する。
レッド&リット薬草店が褒められるのはすごく嬉しい。
「ふーん」
そんな俺の様子を見て、ヤランドララは目を細めていた。
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