148話 ある悪女の死
ルーティが気圧されたのは、レオノールの存在がこの世界の価値観の外にあったからだ。
この世界は加護を中心に動いている。
歴史に名前を残すような英雄も悪党も、加護を鍛えその力によって偉業を成し遂げる。
加護の衝動に逆らい、『料理人』でありながら大剣士として名を残したものや、逆に『剣聖』の加護を持ちながら牧場主として穏やかに過ごしたものもいる。
だがどの生き方を選ぶにしても加護の恩恵は欠かせない。
『料理人』は様々な刃物を扱うスキルとどう切れば効率よく解体できるか見抜くスキルを活かし、形状の違う7振りの巨大包丁を携え、相手に合わせて使い分けた。
『剣聖』は生まれつき盲目だったそうだが、心眼のスキルでヤギや羊を追い、動物の体調不良を獣医より良く見抜いたそうだ。戦いを嫌う温厚な性格だったが家畜を狙うモンスターや獣が現れれば真っ先に駆けつけ戦った。彼の住んでいた場所は周囲に未開の森が広がる開拓村だったから、襲ってくるモンスターは少なくなかっただろう。
加護の望む生き方ではなかったにしろ、どちらも加護の恩恵を受け、加護のレベルを上げることで、『料理人』は大剣士として讃えられ、『剣聖』は牧場主として慕われたのだ。
☆☆
「かくて正義の冒険者達は、悪い王妃を追い詰めました」
レオノールは鈴のような美しい声でそう言った。
左手に刺さったティセのナイフを眺め、抜こうと指で触れたが痛みで顔を歪めると諦めたように左手を力なく降ろした。
「死にそうなほど痛いですわね……早く決着をつけましょう」
並の戦士なら耐えられる痛みなのだろうが、レオノールには耐えられないのだ。
「なぜ」
ルーティの言葉にレオノールは首をかしげる。
「私のレベルが異常なのかしら? 誰もが最初はレベル1でしょう」
「この世界で生きてきたのなら、戦いを避けることはできない。パン屋も裁縫屋も普通の村娘も、森で遊ぶ子供だって、加護に触れたら戦わなければならない。そういう風に神様はこの世界を作った」
「神はそうあれとおっしゃったのでしょうね、でも私の主は私なのです。私が頼るのは私であって神などではない……私の人生に加護など必要ありません」
レオノールの言葉に迷いはない。
一切の迷いなく、加護を否定している。それも加護の衝動によって強制される生き方を否定するのではなく、加護という存在そのものの否定だ。
ルーティは加護に人生を滅茶苦茶にされてきたが、同時に加護の恩恵も受けてきた。
ルーティが最強の魔法の中でも平然と戦い、俺やティセでさえ手を焼くアスラデーモンを一太刀で倒せるのも、加護の恩恵によるものだ。
今もルーティは、やろうと思えば瞬きする間にレオノールを殺せるだろう。
だができない。
ルーティの前に立ちはだかっているのは、ルーティがずっと悩み続けてきた加護を否定しながら、『帝王』ゲイゼリクや『アークメイジ』ミスフィアの人生を狂わせ、魔王軍と手を結び人類を窮地に追いやろうとしている大悪女。
加護のもたらす強さとは異質な、レオノール自身の強さにルーティは戸惑っているのだ。
「ルーティ、俺が代わる」
「お兄ちゃん」
「斬りたくないものを斬る必要はない」
「……でも、お兄ちゃんだって」
「ルーティの敵なら俺は大丈夫だよ」
俺はルーティを庇うようにレオノールと相対し、剣を構えた。
「あなたがお相手ですか」
沢山の人を不幸にしてきた、穢れなき悪女へ向け俺は一歩踏み出す。
「待ちなさい」
俺の腕を掴む人がいた。
「ミストームさん」
「あとは私の戦いだよ」
ミストームさんはデモンズフレアを使ったことで魔力を使い果たし、疲労が色濃く顔に現れている。
杖にすがりつきながら、なんとか立っているという有様だ。もちろん魔力を使い果たしては魔法を使うこともできない。
いくらレオノールの加護レベルが1だとしても、今のミストームさんでは……。
「レオノールの罪は私に対してのものだ、あなた達にとってレオノールは敵じゃない」
「だが……」
「レッド、ルーティ、ティセ、ガラディン。ここまで連れてきてくれてありがとう、ここからは私の人生の決着なのよ」
ミストーム師の腕は細い。
俺の腕を掴む手の力は儚く感じる……だが、その目は英雄の力を残している。
「分かった」
俺は一歩下がる。
「ミストーム!!」
たまらず声を上げたのはガラディンだ。
ミストーム師はゆっくり振り返る。
ガラディンは何か言おうとしているが、言葉にならない様子で歯を食いしばっている。
「思えばあなたとも長い付き合いだったわね」
「あ、ああ……そうだな」
「楽しかったよ」
「ああ、俺もだ、楽しかった。ミストーム。あんたとの冒険の日々は本当に楽しく」
「苦労させられた?」
「ああそうだ! いつもいつも無茶しやがって、俺も命知らずだと言われたがあんたの方がよっぽどだ」
ガラディンは諦めたように首を振り手にした剣をミストームに手渡す。
「下町の鍛冶師モグリムのやつに作らせた逸品だ。軽くて鋭い」
「ありがとうガラディン、借りるよ」
ミストーム師はガラディンの持つ鍔のない薄く鋭いロングソードを片手に持ち、2度振って感触を確かめた。
「良い剣だねぇ、モグリムの仕事には惚れ惚れするよ」
「頑張れ、絶対に負けるなよ!」
「もちろんさ……」
満足げに笑うミストーム師の腕に目掛け小さな影が、ティセの鞄から飛び出した。
「おや」
うげうげさんがくるりとミストーム師の右手を回る。
「糸で剣を結びつけてくれたのね。これなら指の力を抜いても剣を落とさない。楽になったよ、ありがとう小さなうげうげさん」
うげうげさんは右腕を上げて答えると、ティセの肩へと跳び乗る。
ティセは何も言わず、ただミストーム師を見つめている。
ミストーム師は頷き笑った。
「ミストーム」
最後に声をかけたのはルーティ。
「私が戦えば誰も傷つかない。必ず勝てる」
ルーティはミストーム師をまっすぐに見つめて言った。
ミストーム師は優しくルーティの髪を撫で答える。
「でもあなたが傷つく」
ルーティは驚き、うつむいた。
「ありがとう、あなたのような優しい子がゾルタンに来てくれて本当に嬉しいわ」
ミストーム師はルーティと抱擁すると、俺を見て言った。
「あとはお願いね」
俺が頷くと安心したよう目を細め、俺達に背を向ける。
それからまっすぐレオノールのところへと歩きだした。
「待たせたね」
「本当に待ちましたわ。もうお仲間との別れの言葉は十分かしら?」
「あなたの方こそ、誰かに残す言葉はないの? ゲイゼリクには?」
「ありません。私が死んだ後に私のことを誰がどう思うかなんて興味もありませんから」
「そうかい、一人ぼっちの人生だ」
「あなたは仲間を失い続けた人生でしたわね」
2人は剣を構えた。
ドレスを身にまとい美しく高価なドレスソードを構えるレオノール王妃。
無地の服に装飾のないロングソードを構えるミストーム師。
「レオノール、最後にこれだけは言っておく」
「なんです?」
「私はあんたに負けた。沢山のものを奪われた。愛も国も子も……本当に沢山のものを」
「その復讐を果たすつもりで? ふふ、いいでしょう。でも私が死んでもあなたの失った人生は戻らない……もう勝負はついているのですよお姉さま。私の勝ちだ!!」
「いいえレオノール、私は復讐のために戦うんじゃない。そういう気持ちも昨日まではあったけれど、こうしてあなたと向かい合い、人生を思い出して分かったよ」
「何が分かったのですか?」
ミストーム師は大きく息を吸い込んだ。
「私の人生は幸せだった!」
ミストーム師はゾルタン中に聞こえるかと思うほどの大声でそう叫んだ。
その顔には輝かしい笑顔があった。
「愛する人と巡り合い旅をした! 今も昔も沢山仲間に囲まれていた! 故国ヴェロニアを愛した! 滅びかけていたヴェロニアはまた強国へ返り咲いた! このゾルタンを愛した! この国のいい加減で怠惰で平和で大好きな人達の笑い声のために私の人生を使うことができた! そしてトーネードに繋ぐことができた! 最初に会ったときはあんな頼りなかった坊やが今じゃ私より優秀で勇敢な市長だ! こんなに嬉しいことはない! 素晴らしい人生だった!! 私は幸せだった!!!」
歓声が聞こえる。
ゾルタンの人々がミストーム師に声援を送っている。
レオノールは唖然とした表情でミストーム師を見つめた。
「本当に……お姉さまは最後の最後まで不愉快な人ね」
「悪いわねレオノール……さあ決着の時よ、神に慈悲を乞いなさい!」
「お断りです、私は神に祈らない!」
両者は同時に飛び出した。
レオノールの優雅な突きを、ミストーム師は真正面から受け止めた。
刃がぶつかり合い火花が散る。
「ミストーム!!」
ガラディンが叫んだ。
ミストーム師は魔力切れによる過労で膝に力が入らなかったのか、ずるりと体勢を崩す。
すかさずレオノールがミストーム師の胸めがけて細く鋭いドレスソードを突き下ろす。
ミストーム師は左手の杖でレオノールの剣を払うと、崩れた体勢のままレオノールの足をめがけて剣で払った。
レオノールは間一髪で避けた。
斬られたレオノールのドレスの裾が風で舞う。
「お姉さま、足元がふらついていますわ」
「あなたこそ、呼吸が乱れているわよ」
再び両者は打ち合った。
1合、2合と刃が鳴る。
力はなくとも教科書通りの綺麗な剣術を使うレオノールに対し、過労状態にあり身体が思うように動かないミストーム師は防戦一方だ。
レオノールの性格に反して、彼女のその剣筋は真っ直ぐでひたむきで迷いがなかった。
変わった技は使わないが、着実に相手を追い詰める堅実さがあった。
だが、次第にレオノールの動きが乱れてくる。
「内臓の病か」
レオノールの動きを見て、俺はつぶやいた。レオノールの身体はすでにボロボロだ。
1分程度の打ち合いだったが、それだけですでにレオノールの身体が戦いに耐えられず悲鳴を上げていた。
「……いい加減に!!」
レオノールは鋭く叫ぶと、深く踏み込んだ突きを放った。
これ以上の戦いには呼吸が持たないと判断しての攻撃だろう。
ミストーム師は、避けることも受けることもせずその一撃を待っていたかのように前へ飛び出す。
「なっ!?」
予想外の反撃にレオノールが戸惑いの声を漏らした。
レオノールの切っ先がミストーム師の肩を浅く切り裂き鮮血が飛ぶ。
だが致命傷ではない。
大きく踏み込みミストーム師はレオノールの懐へと間合いを詰めた。
そして無防備なレオノールの身体へロングソードを突き立てた。
「あっ……!!」
カランと音がした。
レオノールの手から剣がこぼれ落ち、甲板に転がった音だ。
「か、はぁ……」
ミストーム師が両膝をついた。
魔力切れの中精神力だけで戦ってきたが、それもさっきの一撃で使い果たしたのだろう。
ミストーム師は震える手で剣を引き抜くと、膝をついたまま剣の切っ先をレオノールへ向けた。
レオノールの胸から血が溢れた。
「……ここまでですか」
レオノールは赤く染まっていくドレスを見て弱々しくつぶやいた。
「無念です。お姉さまを殺すのは最後の楽しみでしたのに」
「最期だというのに、とんでもない性悪ね」
ミストーム師はそう言って苦笑した。
レオノールはゆっくりと後ずさる。
「無念です……が、満足です」
「何が満足だというの?」
「私は……思う存分私でいられた。私以外の何者にもならなかった」
レオノールは船首のへりに立つ。
「レオノール……」
「悪女の退場です、さあ喝采なさい。私の邪悪も私の罪もすべて私のもの。神に申し開きすることもなく、そして一欠片とて私から神に返すものなどありません。私は邪悪であったことを誇り、そして消えましょう。さようならお姉さま、さようなら皆様……あなた方の人生もどうか自由でありますことを」
レオノールの身体が空を舞った。
ドレスをはためかせ、王妃は船から落下していく。
俺はすぐさま船首へと駆け寄り、身を乗り出して下を見た。
水しぶきが上がりレオノールの身体が川底へと沈んでいく。
俺は“漁”のスキルによって、沈んでいくレオノールの姿がはっきり見えた。
「…………」
俺はそっと目を背けた。
魔法で少女の姿に身体を固定していたことで骨や筋肉が弱かったことによる必然か、それとも否定された神の怒りか……レオノールは美しいまま死ぬことはなかったようだ。
潰れて砕けた宝石のような姿となって、レオノールは川の底に身を横たえた。
だがその目は砕ける最後まで強い輝きを放っていた……不覚にも美しいと感じるほどに。
「死んだよ」
俺は振り向くと、そうみんなに伝えた。
「そうか、終わったのね」
ミストーム師が力尽きて座り込む。
そのまま倒れそうになるのをガラディンが受け止めた。
「全く、この歳になっても心配かけてくれるなよ」
「苦労をかけたわね。でも……これが最後だから」
「最後か、そうだな。俺もあんたもいい加減、斬った張ったはしんどい歳だ。これからは大人しく隠居して平和に暮らせ」
ガラディンの目は優しく、仲間を慈しむ愛情があった。
ミストーム師はそれ以上何も言わず、黙って目を閉じた。
俺は戦場を見渡した。
「戦争も終わったみたいだな」
リットが勝鬨を上げ、レオノールが敗れたことをヴェロニア軍にアピールしている。
レオノールと魔王の船を失ったとはいえ、戦力ではまだヴェロニア軍の方が上だが……。
「船にもどれ! 今なら敵は海まで来ない!」
「指揮官はぶっ殺した! このガレオン船がありゃ報酬なんていらねぇよ!」
「王妃が死んだらもうヴェロニアには帰れねぇ! とっととずらかるぞ!」
ヴェロニア軍の士気は完全に崩壊していた。
金のためなら魔王軍に与することも厭わない傭兵達の集まりなのだ。
王妃の仇討ちなど考える者はなく、船に逃げる者、陸に上がってそのまま遠ざかっていく者、あまり数は多くないが降伏して武器を捨てている者もいる。
「さすがリットだ」
ゾルタン軍にとって初めての戦争だったというのに、被害は軽微だ。
リットの指揮が良かったのだろう。
戦い慣れない兵士達でよく守りきった。
「お兄ちゃん」
「お疲れ様ルーティ」
「うん……疲れた、そう、これが疲れるってことなんだ」
ルーティは俺に抱きつくと、「ふぅ」と息を吐いたのだった。