15話 アルベールがやってきた
店に戻ると、俺は明日ニューマン先生に届ける薬の準備を、リットには店番を頼んだ。
たまに、「え? リットさん?」という驚いた声が聞こえるが、特に問題は起きていない。
「噂が広まるのは時間の問題だな」
ゾルタン最強の冒険者が冒険者を辞め薬屋の店員になった。
知れ渡れば騒動になるだろう。最初にリットが店に来た時、それを面倒だと思っていなかったと言えば嘘になるが……今はもうそういう気持ちはない。
「とはいえ、どうするかな」
もう1人のBランク冒険者のアルベールに話を通しておくか。あいつにとっては、ゾルタン2番目の冒険者から1番目に繰り上がるわけだし。いやでもなぁ、前に一度話しただけで面識ないし。
というより、冒険者なんて福利厚生皆無、引退したら退職金も年金もないのにそこまで義理立てするようなものか? 冒険者になりたいと思ったときに冒険者になって、辞めたいと思ったときに辞める、そういう自由な職業じゃなかったのか。
「そうだそうだ、騒動になろうが知った事か」
いろいろ考えた挙句、そんなやけっぱちの結論にたどり着き自分を納得させた俺は、残りの作業に集中することにして、問題を先送りにしたのだった。
☆☆
1日が終わり、夕日が沈もうとしている。
この町の仕事は日没の少し前には終わり、夕焼けの中を帰宅するというのが常だ。なので帰宅客による購買が期待できる商店などは日没の少し後まで、そして仕事を終えた客が向かう歓楽街は夕方から深夜まで営業する。
俺のレッド&リット薬草店も日没まで営業するので、店を閉めるのはもう1時間ほど後だ。
今は俺もリットもカウンターに座り、他愛もない会話をしながら客を待っている。
「あ、そうだ、私、蜂蜜酒が飲みたい」
「唐突にどうした」
「いや、特に理由はないんだけど、ふとなんか無性に飲みたくなって」
「ああ、まぁそういう時あるよな。でも蜂蜜酒なんてうち置いてないぞ」
蜂蜜酒とは名前の通り蜂蜜から作ったお酒だ。高級酒というわけではないのだが、普通に飲むにはちょっと高い。具体的には、庶民的なワインが1本0.25ペリル:クオーターペリル銀貨1枚なのに対して、蜂蜜酒のボトルは2ペリルとワインの8倍だ。
ちなみにコーヒー1カップが、0.01ペリル:コモーン銅貨1枚。ウィスキーをコップ1杯買うと0.1ペリル:コモーン銅貨10枚になる。
庶民の味方であるエール酒やリンゴ酒の壺入りは4リットルで0.5ペリル:コモーン銅貨50枚:クオーターペリル銀貨2枚だ。
うちに置いてあるのはリンゴ酒の壺と、ずっと前に山で出会った傷ついたズーグというモンスターを手当した時、薬代としてもらった樹液を原料とする強い酒の入った革袋だけだ。
「ちょっと買ってきていいかな」
「そうだな店が閉まる前に行ってきなよ」
「ありがと! 夕飯は蜂蜜酒に合う料理にしてよね」
「了解、だったら今日はパンと濃い目の料理にするか。食後のデザートにリンゴをつまみながら飲むのもいいな。材料は昨日買ったので足りるだろう」
俺がうなずくと、リットは飛ぶように、比喩ではなくその加護から与えられる超人的身体能力によって、一陣の風となって店から飛び出していった。
「しかし……なんで急に蜂蜜酒なんて?」
それもあんな勢いで。
考えながらぼーっと時間が過ぎるのを感じていると、店のドアが開き、カランとベルが鳴った。
「いらっしゃ……い」
思わず瞬きして、見間違いじゃないことを確認する。
「小さな店だな」
「どうも」
相変わらず偉そうかつ気取った様子で、今やこの町一番の冒険者となった男、Bランク冒険者のアルベールがそこに立っていた。
「ええっと、どのようなお薬をお求めで?」
会わないことに決めたのに、向こうからやってくるとは。
「ふん、薬を買いに来たのではないよ」
「…………」
なんだろう、面倒くさい予感がする。正直、客じゃないなら帰ってと言いたくなる。だが、町の冒険者に少なからず影響を持つアルベールを無下に扱うのも今後の商売上よろしくない。
なので、とりあえず黙っていることにした。
「…………」
「…………」
買わないと言ったわりには、じろじろと店の中を見て回っている。どういうつもりなのか見当もつかない。
「こんな店で満足か?」
なるほど喧嘩を売りに来たのか?
「満足だよ」
だが買ってやらん。俺は気のない返事で受け流した。
「自分のお店、自分の作ったものを買ってくれる客、人生に彩りを添えるのに十分な収入、可愛い同居に……」
「同居人?」
ちょっと口が滑った。
「こほん、まぁとにかく俺はこの店に満足している。何しに来たのかは知らないけれど、ご期待には応えられないから時間の無駄だぞ」
「天上の暮らしを知らんやつは幸せが安いな」
皮肉たっぷりに笑うが、騎士団副団長で貴族格の暮らしをしていた身としてはさっぱりダメージがない。
頬杖をつきながら、露骨に面倒くさそうな表情で返してやる。
「……まぁいい。おいDランク」
「なんだ、まだあるのか?」
「単刀直入に聞く、アウルベアを斬ったのはお前か?」
「なに言ってんだ、アウルベアを討伐したのはあんただろ」
なるほど、俺がアウルベアを倒したことに気がついたのか。あの火事場で傷が増えていることにちゃんと気がつくとは、腐っても一応はBランクか。
「アウルベアに致命傷を与えていた傷は、俺の剣によるものじゃなかった。あれはもっと切れ味の鈍い刃物によるもの、例えば……お前が持っている銅の剣とかな」
「おいおい、俺はDランク冒険者なんだぞ。アウルベアを斬れるわけないだろ」
俺がそういった途端、アルベールの身体から殺気が湧き上がった。
おいおいまじかよ、こいつ攻撃して試すつもりだぞ。
アルベールの意図はすぐに分かったが、寸止めするつもりなのか、殺すつもりで斬りつけてくるのか、分からない。
「もう一度聞く、アウルベアを斬ったのはお前だなレッド?」
「俺じゃないって言ってるだろ」
アルベールが床を蹴った。
同時に腰から抜き放たれたロングソードが俺の肩口めがけて振り下ろされる。
切っ先は俺の首の寸前でピタリと止まった。
「うわぁ!?」
俺は一瞬遅れて尻もちを付く。
アルベールは失望したことを隠さず、俺を見下ろした。
「仲間に誘おうと思っていたんだが、俺の勘違いか」
全く、無力な演技も楽じゃない。
そのとき、風が吹いた。
「あ」
アルベールの背後を突風が突き抜けた。そう表現するのが一番近いだろう。
リットの双剣がアルベールを背後から襲う。
反応できただけアルベールも大したものだ。
だが不完全な姿勢での受けにより、アルベールの剣はパキンとあまりにもあっけない音を立て、リットの剣に両断されてしまっていた。
それでも勢いを相殺できたのかアルベールは倒れるようにしてかろうじてリットの剣から身をかわす。図らずも、それはさっき俺がわざとやった尻もちによくにた状態になった。
だが、そこまでだ。この体勢からでは次の攻撃はかわせない。反撃するにも剣は折れてしまっている。
「待てリット!」
俺は慌てて止めた。リットの剣がピタリと止まる。
相手を射殺すような殺気はらんだ目で自分の剣の切っ先を相手の眉間に狙い付けしたまま、リットは一歩下がった。
「リ、リットだと!? なぜお前がここに!?」
「アルベール、あんた私の大切な人に何してるの? 返答次第では殺すわよ」
「あ、ぐ……」
魔王軍と渡り合った剣士が放つ本気の殺気だ。アルベールは口をパクパクさせながら震えた。
「俺を仲間に誘いに来たんだと。さっきのはそのテストらしい」
俺がそう言うと、リットはじろりとアルベールを睨む。
俺は肩をすくめて、もういいと手を振った。
リットは不満そうに剣を収めた。
「ふぅ」
見ている俺の方が緊張してしまった。
アルベールはよろよろと立ち上がり、俺が“さっきまでいた”カウンターを振り返り、また振り返って入り口の近くに立っている俺を見た。
「なぜお前がそこにいる……いつの間に?」
「リットの巻き添えになりたくなくてね」
アルベールは首を傾げるが。
「おい、早く出ていって」
「ひっ!?」
リットに凄まれ、慌てて店を出ていった。
「レッド! 大丈夫!? 怪我はない?」
「あるわけないだろ」
「良かった、あいつレッドに剣を抜くなんて、どういうつもりなの!? やっぱり斬っちゃえば良かったんじゃない? 正当防衛だって」
「いまやゾルタンにいるたった1人のBランク冒険者を斬っちゃうわけにはいかんだろ。あれでもゾルタンには必要な人間だよ」
「そうかなぁ」
話しているうちにリットから放たれていた殺気は収まり、もとの雰囲気に戻っていった。
「大体レッドもレッドだよ。あんな危ない真似して。反撃しちゃえばよかったのに!」
「大丈夫大丈夫、十中八九寸止めするとは思っていたし」
「万が一しなかったらどうするのよ」
「そのときは反撃するさ」
「刃が肌に触れるか触れないかの距離なのに、どうやって反撃するって……まさか、本当にできるの?」
「さて、どうだろうな?」
まぁそんなことより。
「にしても、リット、なにもせっかく買ってきた蜂蜜酒を投げなくてもいいんじゃないか?」
俺はキャッチした蜂蜜酒の入った袋を掲げた。
リットは顔を赤くする。
「ご、ごめん、つい」
「いいよ、ありがとう。何はともあれ俺のためにそこまで怒ってくれて嬉しかった」
俺がカウンターから飛び出したのはリットが放り投げた蜂蜜酒をキャッチするためだったのだ。せっかく苦労してアルベールに実力を隠したと言うのに、蜂蜜酒なんかで力の一端をひけらかすのはどうかとも思うのだが……これはリットが飲みたがったお酒だ、俺のために割ってしまうのは嫌だった。
「じゃ、ちょっと早いけどそろそろ店を閉めようか。売上点検終わったら、ご飯にしよう。せっかく買ってきたんだ、今晩は一緒にゆっくり飲もうか」
「……うん!」
面倒くさい事になりそうな予感はするが、ひとまずは今の時間を楽しもう。
でないと実際に面倒くさい事になった時に損だもの。
☆☆
なぜ蜂蜜酒だったのか……俺はずいぶん後になってからリットから聞いたのだが、リットの故郷では結婚した夫婦は1ヶ月仕事を休み、蜂蜜酒を飲みながら蜜月を楽しむそうだ。
それをふと思い出したリットは、どうしても蜂蜜酒を俺と一緒に飲みたくなった……そう打ち明けてくれた。
さすがにそれを聞かされたときは、お互いに顔を赤くしてしまった。