143話 ゾルタン史上最大の戦い
臨戦態勢のゾルタンへ、ヴェロニア王国が誇る最新鋭のガレオン船が悠々と迫ってきた。
河口付近にずらりと並んだ巨大な軍艦。
3本のマストには無数の帆が並び、風に対して複雑な機動を可能にする。
甲板には100人以上の武装した傭兵達が並び、大型の弩砲6台と、甲板後方の大型投石機……船や町を焼く火壺を発射するためのものだろう……が1台備えられている。
そしてそれらアヴァロン大陸最新鋭の帆船達の威容すら霞む、あまりに巨大な鋼の船がガレオン艦隊の中央に陣取っている。
「あ、あんなものと戦うのか」
ウィリアム卿が震える声でつぶやいた。
無理もない。
リットのおかげで魔王の船を前にしても逃げ出すものはいないが、見上げるような巨大さというものは本能的な恐怖を掻き立てる。
それに海戦の基本は船の高さだ。
高所を取っている方が弓などによる射撃戦で有利であるし、相手の船に乗り移るのも高所側の方が有利である。
まともに戦えばひとたまりもない。
「やはり変」
そんな中、リットだけは別の感情を抱いていた。
「確かに一国を滅ぼせるほどの艦隊だけど、ゾルタンを攻めるにはオーバーキルにも程がある。あれだけの船と人員を動かすのに、どれだけの費用がかかっているのやら」
戦争は必勝も大切だが、同時に最低限のコストで勝つというのも重要だ。軍国の王女であったリットはそのことをよく知っている。
兎を狩るのにも獅子は全力を出す、というのは戦争では不正解。相手に合わせ、もっとも被害と費用が小さくなる兵力で必勝するというのが最上なのだ。
その点、レオノールの艦隊は過剰も過剰だ。
今回の遠征でかかる費用は、ゾルタンにあるすべての財産を略奪したとしても到底割に合うものではないだろう。
リットには目の前の大艦隊が、圧倒的格上にいる王者の振る舞いというより、理性なくヒステリックに拳を振り回しているように見えていた。
その時、鋼鉄の船ウェンディダートの甲板で動きがあった。
「あれは、レオノール王妃。それにウズク王子とシルベリオ王子ね」
甲板の上に立つ3人の影。
人形のように細く壊れそうな少女の姿をしたレオノール。その両脇に、神話の英雄の彫像のような美丈夫が2人。
リット達と、レオノール達とはまだ距離があるが、加護によって強化されたリットの視覚には3人の姿がはっきりと見えた。
2人の王子が両手で印を組んでいる。
リットは左の剣を甲板に突き立て、いつでも魔法で対抗できるように構えた。
王子達の魔法が発動し、空に巨大なレオノールの虚像が映し出された。
「親愛なるゾルタン共和国の人々よ」
鈴を転がすような美しい、だがどこか作られたような不自然さを感じさせる声が響く。
「私はレオノール・オブ・ヴェロニア。ヴェロニア王国第二王妃。本日は偉大なるヴェロニア王ゲイゼリク陛下の名代として参りました」
(範囲が広いけど、効果自体はメッセージブラストとイメージプロジェクションと同じね。アスラデーモンの魔法なのかしら)
リットは冷静に魔法を分析し、害の無い魔法だと判断した。
交渉の使者を立てる代わりに使ったのだろう。
この方が戦場にいる全員に伝わるし、インパクトも強い。
「我々の船があなた達のささやかな国を驚かせてしまったのだとしたら不本意なことです」
レオノールの虚影はそう言って可愛らしく……悪意をにじませながら微笑んだ。
「我々はあなた方を救いに来たのです。サリウスの兵が王の許しもなく、あなた方のささやかな国を攻撃したことは分かっています。我々は愚かな王子達と、ヴェロニア王国の名を汚す無法者達を討伐に来たのです。どうかご安心を」
空に浮かぶレオノールの虚影は、そう言ってリリンララの船を見た。
レオノールの虚影はただの投影だ。
もちろんあの虚影からレオノールはものを見ているわけではない。
しかしその目はしっかりとリリンララの船を見下ろし、虚影がまるで実像のように見えてしまう。
「手慣れたものね」
甲板に立つ本物のレオノールは何もないところを見ている。
あれは虚影を動かす訓練によるものなのだ。
「それにしてもどうやってサリウス王子がゾルタンを襲撃したことを知ったのかしら?」
「密偵でもいたのだろう」
リットの言葉にウィリアム卿があまり考えずに即答した。
リットは納得できない様子で唸る。
(サリウス王子の襲撃から今日まで1週間と少し。腕の良い密偵がいたとしても、あまりにも時間が無さすぎる。これもアスラデーモンの魔法なのかな?)
アスラデーモンはこの世界で唯一加護を持たず、自分の力だけで戦う例外。
どのような力を使えるか謎が多く、戦力の予測が難しい。
リットの警戒をよそに、レオノールは話を続けている。
「我々はゾルタンを救いに来ました。我々は親愛なるあなた方の友人です。恐れることも、血を流すこともありません。我々はあなた方と協力したいのです」
「協力だと!」
誰かが叫んだ。
巨大なレオノールの目が、悠然と声のした方へと向けられた。
「はい、簡単なことですよ。ゾルタンにとっても有害な存在の居場所を示してくれるだけ。たったそれだけです。そう、サリウス、リリンララ、そしてミストームと名乗ってあなた方を騙してきた女、ゾルタンをヴェロニアの継承問題に巻き込んだ我が姉ミスフィア第一王妃を差し出しなさい」
ゾルタンの軍勢を見下ろしながらレオノールの虚影が言った。
交渉の余地はなさそうだと見て、動こうとしたリットをウィリアム卿が手で制する。
中年の将軍は前に歩み出ると、上空にあるレオノールの虚影を睨みつけて答えた。
「断る」
一言。戦場に響き渡った、それは力強い声だった。
リットの演説と同じように、その言葉には英雄の持つ力があった。
「交渉の余地などない。あなたがミスフィア姫と呼ぶ我らのミストーム師を、信じてきた我らに裏切らせ絶望させようというその魂胆こそ醜悪この上ないものだ。我らは小国なれど、友を差し出し仇に媚びへつらうような恥知らずな真似はできない。その腰の剣を抜きたまえヴェロニアの王妃よ……かかってこい、相手になってやる」
虚影として拡大されたレオノールの顔は一瞬だが、確かに怯んだ。
大国の王妃に対し、辺境の中年将軍の気迫が僅かな時ではあったが勝ったのだ。
「是非もありません。偉大なるヴェロニア王国を侮った罪、小国の分際で私に剣を抜けとほざく傲慢の罪、そして私の愚姉にとって大切なものであるという罪。ふふふ、この国を焼き尽くし、灰の上にあなた方の首を並べれば、お姉さまは絶望してくださるかしら」
レオノールの顔が醜く笑う。もはや胸の内に燃える憎悪を隠すことも無い。
「私が剣を抜く? あなた方ごときにそんなことは必要ありません。私はただ一言命令するだけでいい。それだけで、あなた方はみんな無意味に死ぬ、ただそれだけです」
レオノールの虚影が初めて真っ直ぐ前を、何もない遠い景色を見た。
船の上に立つ本物のレオノールがゾルタンを見たからだ。
「皆殺しにしなさい」
次々に小舟が船から降ろされる。
その上に日焼けした兵士達が乗り込んだ。
日焼けした屈強な傭兵達が、ゾルタンへ向けて船を漕ぐ。
「ど、どうしようリット殿、ついカッとなってしまってあんなことを」
今になって怖気づいたウィリアム卿がガタガタと震えている。
情けない姿かもしれないが……。
「どう思う?」
リットが周りの騎士達に聞く。
騎士達はニコリと笑って答えた。
「将軍! ご安心を、我ら今日ほど、ゾルタンの騎士であることを誇り高く思ったことはありません」
「相棒の走竜無く、慣れぬ船上とあって不安に思っていましたが、将軍の言葉で迷いが消えました」
「紋章を刻んだいつもの鎧は無くとも、我らはウィリアム将軍閣下の誇るゾルタンの騎士。このような大舞台で閣下と共に戦える誉れを去年死んだ私の叔父上もさぞ羨んでいることでしょう」
騎士達はウィリアム卿に向けて剣を掲げた。
「さぁご命令を!!」
ウィリアム卿は感極まったように目をうるませ、エヘンと咳払いしてから命令を出そうとして。
「あ、指揮権は私ではなくリット殿だった」
と、気の抜けた声で言った。
騎士達の顔に笑顔が浮かぶ。
良い状況だと、リットはうなずいた。
「ではウィリアム卿、少しの間、剣をお借りしても?」
「え、ああ、構わんよ」
リットはウィリアム卿の剣を受け取り、真っ直ぐ空へと掲げる。
「ゾルタン軍を率いるウィリアム将軍の剣を預かる名代として、薬屋のリットがゾルタンの英雄達に命ずる!」
リットは剣を真っ直ぐ、レオノールの艦隊に向けた。
「予定通り、リリンララの軍船のいるラインを防衛線として展開。敵艦隊には近づかないこと。いいわね! よし……ゾルタン全軍、前進せよ!!」
魔王の船を後方に控え、上陸用の小舟が河口から川をさかのぼってくる。
アヴァロン大陸の歴史を見れば、数え切れない大艦隊同士の激突というほどの規模ではない。
背後に控える大型船は回避機動すら取ること無く帆を畳んでいるし、戦っているのは小さな船ばかり。
だがこれはゾルタン建国以来の見たこともない大海戦。
ガレー船の上でリリンララはゾルタン軍の様子を見てため息を吐いた。
「まったく、ゾルタンには得るものの無い戦いだというのに、ああして命を賭けてまで手を貸してくれるとは……お前達! ゾルタン人に被害を出させるんじゃないよ! すでに船いっぱいの財宝でも返しきれない借りがあるんだ! これ以上借りたら世界中の財宝を掻き集めても返しきれなくなっちまう!」
「アイアイマム!!」
一斉に放たれたリリンララ達の矢がレオノールの上陸部隊へと降り注ぐ。
矢で貫かれ、悲鳴を上げて暴れる兵。小舟が転覆し、兵士達は慌ててひっくり返った船にしがみついた。
まずは優勢。
開戦だ。