140話 ゾルタンの頼りない英雄達
ゾルタン議会議事堂。
俺達の歩く廊下の床には毛皮の絨毯が引かれている。
豪勢だが絨毯が引かれているのは、この議事堂全体のごく一部の廊下と部屋だけだ。
その一部が会議室へと続くこの廊下であり、この会議室は非常時にゾルタンのトップ層が集まりゾルタンの行く末を決める、国家の頭脳とでも言うべき重要な部屋だ。
絨毯が敷かれるのも頷ける。
とはいえ普段は平和なゾルタンのこと。
例年この部屋が使われるのは台風災害に対する復興予算を決める時くらいのものだった。
それが今年は冬至祭を終えてから連日のように使われている。
掃除する間もないほどに絨毯に残る無数の靴跡は、この国の混乱を表しているようだ。
そんな廊下を、進みながら俺とリットも会議室へと向かっている。
「レッドさん、リットさん」
ティセが俺達に気が付き声をかけた。
ティセは部屋の扉の近くで手の甲に乗ったうげうげさんと戯れていたようだ。
「お二人も来たんですね」
「会議は休憩中か?」
「はい、何時間も睨み合ったままだったので、一度頭を冷やすようにと」
「会議が難航しているのか。正直意外だな」
会議と言ってもゾルタン側にできることはサリウス王子達をゾルタンから出港させることくらいだろう。
サリウス王子側も、まさかゾルタンに籠もって戦おうとは言わないはずだ。
レオノールの大艦隊は河口から少し入ったところに位置するゾルタンに侵入することはできないだろうが、そうなれば兵士を上陸させて制圧するだけだ。
ゾルタンの簡単に乗り越えられる城壁では、大した防御効果は期待できないだろう。
それに海戦の達人であるリリンララの部下達を陸で戦わせても実力を発揮することはできない。
ゾルタンで迎え撃っても数の差で全滅するだけだ。
だからサリウス王子にとっても一刻も早くゾルタンを出て、レオノール達から逃げるか……海の上で戦うかしかないだろう。
「ゾルタンとサリウス王子、どちらにとってもサリウス王子がゾルタンを出港するのが正解だと思うんだが」
「ええ、最初はそれで話がまとまるはずだったのですが……」
ティセはわずかに口を曲げ、困ったと肩をすくめた。
俺とリットはどういうことだと顔を見合わせた。
「何か問題でも起こったの?」
「問題……といえば問題ですね」
リットの言葉にティセは小さな溜め息を吐く。
「最初は会議も問題なく進みました。サリウス王子はゾルタンを出ていく、ゾルタンは残った補給物資について可能な限り協力する。それ以降、ゾルタンはサリウス王子を庇うことはできず、ヴェロニア艦隊から情報提供や補給など協力を要請された場合は断れない。そんな内容でした」
「妥当なところか」
「私もそう思います。ですが、問題が起きたのはこの後で、会議に遅れてミストーム師がやってきたところからです」
「ミストームさんが? まさかミストームさんがサリウス王子やリリンララを守るためにゾルタンも徹底抗戦を……いやミストームさんの性格からしてありえないな」
「はい、もちろん違います。ミストーム師は議事録を見た後、すべて同意しています」
「その後か」
「ミストーム師がサリウス王子と共にゾルタンを出ると言ったんです」
「……なるほど」
確かに、それならば言ってもおかしくない。
「それでゾルタン側の反応は? ミストームさんはゾルタンの英雄で慕われている。出ていくのに反対されたのか?」
「まず反対が最初にあり、そこでミストーム師は会議のメンバーに自分の素性を明かしました」
「ヴェロニアの王妃だと言ったんだな」
「はい。それでゾルタン側もミストーム師がサリウス王子に同行することを認めるしかありませんでした」
「それなら解決だろ?」
「それが……」
その時、廊下の向こうにある階段からガチャガチャと金属が擦れ合う音がした。
「なんだ?」
「分かりません」
ティセも何事かと音の方へ視線を向ける。
足音と共に金属音は近づいてきて、階段を登り切ると、やがて廊下に姿を見せる。
「おお、レッド君に英雄リット! 君たちも来てくれたのか!!」
そう叫んだのはトーネード市長。
その後ろにはゾルタンのお偉方が揃っている。
だがその出で立ちは俺もリットも見たことがないものだった。
「ヴェロニア王国何するものぞ! 今こそゾルタンの誇りを示す時!」
太った貴族が拳を振り上げて叫ぶ。
動きに合わせてガチャリとまた音がした。
そこにいる者はみなすでに中年も半ばを過ぎて、中には70を超えた老人もいるというのに、全員が鎧具足に身を包み、血気盛んに表情を輝かせ廊下を進む。
腰にはピカピカと輝く真新しい剣も佩かれていた。
剣と鎧はどれも店売りの物ではあるが強化の魔法のかかった高級品で、ゾルタンの冒険者なら生涯の目標となるような逸品だろう。
だが、傷一つない新品同然の剣と鎧は、戦いを知らない新兵の装備のようにも見えて少々頼りない印象を受ける。
「トーネード市長、これは一体」
俺は戸惑いを隠せず聞いた。
市長は丸顔一杯に勇ましい笑顔を浮かべた。
「ゾルタンは悪逆無道の王妃レオノールと一戦交えることにしたのだ!」
なるほど、これが揉めていた理由か。
だがまさか慎重で現実主義者なトーネード市長が、こうなるとは思わなかった。
「一体これはどういうことなの!?」
「ミストーム師!」
別室から騒ぎを聞きつけて廊下に出てきたミストームさんが叫んだ。
ミストームさんの後ろからは俺達と同じように驚いた表情をしたサリウス王子とリリンララがいる。
「もちろん」
トーネード市長に代わり将軍のウィリアム卿が答えた。
中年太りした身体は鎧に隠され、それなりに長年鍛錬を続けてきたウィリアム卿の姿は、トーネード市長より貫禄があり様になっている。
「我々の敬愛する1人のゾルタン市民を守るために戦うことができる」
ウィリアム卿に真っ直ぐ見据えられ、ミストームさんは何も言えずに固まっていた。
☆☆
会議室。
俺とリットも加わって話し合いが再開された。
「あれ? ルーティはいないのか?」
「ミストームさんが来て会議が止まってからすぐに戦いになったときのために準備をしてくると」
「準備を?」
「こちらは私に任せて、ガラディンさんと一緒にミストーム師の隠れ集落へ行くと言ってました」
どうりでシエン司教はいるのにガラティンがいないわけだ。
ルーティは不毛な会議に時間を取られるより、有限の時間を有効に使うべきだと動いたのだろう。
「しかしまぁ意外だ」
「はい、まさかゾルタンがミストーム師1人のために大国ヴェロニア王国と戦うだなんて」
怠惰の地ゾルタン。
東と北は"世界の果ての壁”で塞がれ、嵐の通り道であり、広がる湿原は新しい集落の開拓を難しくしている。
水は豊富で、作物の育つ土壌なら手間ひまかけ無くても十分な作物が取れる。だが嵐によってダメになることも多く、自然と努力を嫌う怠惰な性分がゾルタンの特徴となった。
いい加減で、明日やれることは今日やらない。
冒険者達もハイリスク・ハイリターンを嫌がり楽な依頼ばかり受けようとする怠け者ばかり。
「私1人のために、ゾルタンを戦火に晒すのかい!? ゾルタンの人々に対する責任はどうなる!?」
「だったらゾルタン市民にも聞けばいい。逃げたいやつがいれば止めはしない。だが、我々ゾルタン軍は、市民を守るために命を賭す覚悟だ」
「魔術師ギルドはあなたに大恩がある。今こそ我らの研究の真価が問われる時だ」
「冒険者達にとってこそミストーム師は英雄だ。事情は伝えていないが、あなたがサリウス王子と共にヴェロニアと戦うつもりだと伝えたら、共に戦いたいという志願者が殺到している」
「我々盗賊ギルドとあんたは仲良しこよしってだけでもなかったが、我々みたいな裏社会の住人だって、あんたを尊敬していることはここにいるやつらと同じだ。我々も協力して町の混乱を抑えよう」
最後にトーネード市長が頷いて話を引き継いだ。
「責任は市民一人一人が自分の意志で持つ。そして我々は我々の責任であなたを守りたいんだ。家が焼けようがまた建てればいい。ゾルタンは失うことに慣れている。だが、一度失うと二度と取り返せないモノがあることもゾルタンは知っている」
トーネードの言葉に迷いはなかった。
怠惰の地ゾルタン。
「だが、そうだな」
「うん、そうだね」
彼らの姿を見て、俺とリットは頷く。
俺とリットはこの町で生活してきた。
怠惰でいい加減な下町住人達が、仲間のために見せる人情を何度も見てきた。
ビッグホーク事件の後も、いい加減なゾルタン人達は暴動寸前までいったサウスマーシュ区の人々を危険視すること無く、今まで通り呑気に接するところを見てきた。
「ゾルタンはこういうところなんだ」
俺の言葉にリットは笑った。
「勝ち目のない戦いをするなんて馬鹿げてるとロガーヴィアの王女なら言うかも知れないけど、ゾルタンのリットは彼らの呑気さを誇らしく思うわ」
俺達がひそひそと話し合うのを見て、リリンララが駆け寄ってきた。
「何をコソコソ話しているんだ、こいつらを止めてくれ! 勝ち目のない戦いに巻き込む訳にはいかない!」
「散々ゾルタンに迷惑かけておきながら、海賊は本当自分勝手だな」
「茶化している場合か!」
「悪い悪い。いや本当に悪いと思っているが、俺もリットも同じ気持ちでね」
「なに?」
俺がリットに目配せすると、リットは表情を引き締め、英雄リットとしての自信に満ち溢れた顔でテーブルへと近づく。
「相手は大国ヴェロニア王国。1000年先の歴史書にだって残るだろう稀代の大悪女レオノール王妃。率いるは最新鋭のガレオン型軍艦7隻に、鋼の船ウェンディダート。対するこちらは、サリウス王子の旧式軍艦1隻に、ゾルタンの中型帆船が3隻。ゾルタンの城壁は簡単に乗り越えられるし、川から侵入されたら阻むものはなにもない。そして時間もない。状況はこんなところ?」
ウィリアム卿達の表情が曇る。
戦力差は絶望的で、地の利すら期待できないのだ。
リットは不敵に笑った。
「状況確認は終わり、あとは勝つだけね」
なぜリットが英雄リットと呼ばれているのか。
それはきっと、この自信に溢れた声と笑顔の為だろう。
リットならどんな絶望でも打ち破れると、リットの声と笑顔にはそう信じさせる力がある。
「ゾルタンの呑気さも誇らしいけど、俺はリットのことが誇らしい」
俺は誰にも聞こえないようにつぶやくと、俺も勝ち方を探すためにリットの隣へと向かうのだった。