135話 嵐は西に、今日は平和に
ゾルタンから西へ約1500キロ。
洋上を黒い煙を吐き出しながら進む鋼鉄の軍艦。
その船室で、10代にしか見えない少女がドレスを着てソファに座っている。
彼女こそがレオノール・オブ・ヴェロニア。
ヴェロニア王国王妃であり、ゲイゼリクの余命が尽きようとしている今ヴェロニア最大の権力者と言っても過言ではないだろう。
「どう? サリウスは動いた?」
レオノールの鈴を転がしたような声を受け、座禅を組んで座る2人の王子が目を開ける。
王子達は、2人とも身長2メートル近い恵まれた身体を、彫像のように鍛え上げた美丈夫だった。
サリウスのハイエルフから受け継いだ細くしなやかな美とはまた違った、人間とアスラの美だ。
シルベリオとウズク、2人の王子はゆっくりと目を開くと、母親ということになっているレオノールへ白い歯を見せて笑いかけた。
「母上、ついにサリウスはゾルタンを襲撃しました」
「そう、よくやったわ」
レオノールは歪めた口元を扇で隠して、上品に笑った。
もちろん、レオノールはエルフではない。彼女の年齢はとうに60を超えていて、本来ならば老境に入っているはずだ。
レオノールは、さまざまな薬品と魔法によって肉体の若さを保っている。この肉体は抱えきれないほどの黄金を注ぎ込んで作られたものなのだ。
だが、この「肉体」という単語は外見のみを指す。錬金術や魔法の力を持ってしても、命を伸ばす方法は知られていない。
そんなものがあるのならそもそも世継ぎ問題など起こらなかっただろう。
レオノールもまた老いている。
昔のように機敏には動けなくなった。手足に痺れがあり、指先も思うように動かなくなった。
ミスフィアの『アークメイジ』と違い、レオノールの加護である『闘士』は、老いても力を維持するような加護ではない。
見た目は少女のようでも、レオノールの身体はミスフィア以上に衰えている。
「これでリリンララもサリウスも、そしてお姉さまもお終いね」
リリンララ達を討伐する大義名分はできた。
あとはこの魔王の軍船ウェンディダートと、リリンララが離れた隙に指揮権を剥奪し奪ったヴェロニア海軍のガレオン船が8隻。
従わなかった船員達は船から降ろし、今は傭兵達が船を動かしていた。
ゾルタン程度なら簡単に滅ぼせる軍勢だ。
「しかし母上が自ら赴くことはないのでは?」
シルベリオの言葉は尤もだろう。
ミスフィアと違いレオノールに戦うスキルはない、軍を指揮するスキルも、船を操ることも天候を読むこともできない。
レオノールがここにいても何の役割もないのだ。
だがレオノールは首を横に振った。
「私は健康にも気を使っていました。なぜならお姉さまより長く生きたいから。お姉さまが失意の人生を送り、私が幸福な人生を送る。その時間が長ければ長いほどいい。だから私は、お姉さまを殺さなかった」
レオノールは自分の脇腹に触れた。
「肝臓の病だそうです。薬で抑えていますが、ゲイゼリクの次は私でしょう」
「ふむ」
「あなた方も知っていたのでしょう? ヴェロニア王子の千里眼は遠く離れた辺境の地でも見通せるのに、直ぐ側にいる母の病を見抜けないはずがない」
「我々の千里眼は名と顔を知っている者の周囲の光景を垣間見るというもの。一日に一度しか使えない。ましてや臓腑の病など見通せるはずがないだろう」
「それに母上は外見も固定化しておられる。それでは病の兆候が見えないではないか」
「ほほ……そういうことにしておきましょう」
人もエルフもデーモンもやがて死ぬ。
それが不死のアスラには無い。
「だから私は死ぬ前にお姉さまが苦しんで死ぬところをこの目で見なければならない」
レオノールの瞳は今も実の姉への憎悪で燃えている。
自分の死期を悟ったからこそ、レオノールの心は生命力で溢れていた。
「人間というのは面白い」
「全くだ」
2人の王子の姿をしたアスラはゲイゼリクの姿を思い出す。
肺の病に蝕まれ、いつ死んでもおかしくないほど弱っていながらゲイゼリクは何かを待つように残された命にしがみついている。
あれほど苦しみ、そしてその苦しみにいくら耐えようがその先にあるのは同じ死だとすれば、アスラ達はゲイゼリクのように抗ったりするだろうか?
シルベリオもウズクも、おそらく諦めて死ぬだろう。二度と転生できない最後の生だったとしても、アスラは望みもないのに苦痛に耐えたりはしない。
人間は面白い。
だから2人はこのヴェロニアに留まり、長い時間をかけて王国を乗っ取るという方法を選んだのだ。
『帝王』という希少な加護を持ち、加護の求める通り王となったゲイゼリク。
『海賊』の加護によって天職である海賊であったはずが、ゲイゼリクのために将軍となったリリンララ。
『アークメイジ』という強力な加護を持ちながら故国から逃げ出したミスフィア。
そして『闘士』というありふれた加護を持ちながら、3人の英雄達を策謀で翻弄し、今勝利を収めようとしているレオノール。
「結末まで見ないことには収まりがつかんな」
「ああ、母上がどうやって死ぬのか、私は今から楽しみだ」
アスラはまるで楽しみにしている演劇の話でもするように、レオノール達の人生を笑っていた。
☆☆
5日後。ゾルタン下町。
俺はたくさんのオレンジの詰まったカゴを背負って歩いている。
「レッド兄ちゃん、どうしたの?そんなオレンジ集めて。ジャムでも作るの?」
昼ごはんを食べてきたところなのか、タンタは上機嫌のようだ。
「いや、サリウス王子達とゾルタン上層部とのパーティーがあるのは知ってるか?」
「うん、今日の夕方からだよね? ミストームさんやルーティさん達がなんとかしてくれたんでしょ!」
まだサリウス王子達自身の問題は残っているのだが、とりあえず教徒台帳や港区の襲撃、今はゾルタンの民であるミストーム師の命など、ゾルタンにかかわる問題はすべて解決している。
サリウス王子は港区襲撃の件で約束通りに賠償金を支払い、教徒台帳をよこせという要求も取り下げた。
ゾルタン側も大国の王子のメンツを立てるために、物資の補給や海兵達の港区への立ち入りを許可するなどささやかな譲歩を提案し、それらの正式な調印も兼ねた式とパーティーが今日の昼過ぎから行われるのだ。
「で、サリウス王子達のとは別会場で一般海兵達の立食パーティーもあるんだ。そこで使うオレンジを運んでるわけ」
「なんでレッド兄ちゃんが?」
「なんでだろうなぁ……実は俺が何品か作ることになったんだ」
「そうなの!?」
俺は苦笑しながら首を傾げる。
俺は薬草店の店主であって、料理人ではないのだが。
「でもレッド兄ちゃんの料理は美味しいから、きっとみんな喜ぶよ!」
「だといいなぁ」
タンタの無邪気な笑顔に癒やされながら、俺はあれだけの大人数に料理を振る舞うという未知の領域に不安を隠せなかった。
お腹痛い。
なんでこうなったのかというと……話は少し遡る。
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