134話 レオノール
「ミスフィア、これからの話をするのに、あなたも前に座ったほうがいいと思う」
項垂れながら、ミスフィアは俺の言葉の通りにテーブルの前に座った。
ミスフィア、リリンララ、サリウス王子は、みな視線を合わせようとせずじっと黙ったまま時間だけが過ぎていく。
だが……。
3人の間にもう敵意はない。
最初に口を開いたのはミスフィアだった。
「なぜ、私に黙っていたの?」
「あの時点で、ゲイゼリクには王家の血が必要だった。もしゲイゼリクとお前との子が絶望的だと知られれば、ヴェロニアは再び内乱が起こっていただろう……致命的な情報を知る者は最小限にするべきだと思ったからだ……いやそれも言い訳だな」
「…………」
「どんな理由があれ私はお前を裏切った。その罪をお前に告白するのが怖かったんだ」
テーブルに置かれたリリンララの手は、強く握りしめられ蒼白になっていた。
ハイエルフという種族は他の種族をなかなか信用しない。腹芸を使うのを好まないが、使おうと思えばいくらでも感情を偽って愛想よく接することもできる。
ハイエルフの王国キラミンの貴族達が悪名高いのは態度の急変にあるが、そもそも本心では相手を一切信用していないし、情も感じていないからだ。
だが一度、本当に信頼関係を築くことができれば彼女達は決して裏切らない。
相手から裏切られ失望することはもちろんあるが、自分から友情を裏切ることはない。
ハイエルフにとってそれは、人間の価値観からは想像もできないほどに邪悪な行為なのだ。
かつて俺の仲間だったヤランドララが、俺を追放したアレスに戦いを仕掛けるほどに怒ったのは、ハイエルフの価値観では、アレスの行為は許されないことだったからなのかもしれない。
『もう私にはあなた達が分からない』
ヤランドララは最後にそう言い残してパーティーを抜けたそうだ。
俺は彼女のことを分かっているつもりだったのに、ヤランドララがそこまですることを予測できなかった。
今もヤランドララは、俺達に絶望したままどこかを旅しているのだろうか?
少なくとも王都の花屋に戻っていないことは、王都まで行商にいく商人から聞いている。
探しに行きたいという気持ちもあるが、この広い大陸のどこかにいるヤランドララを見つけるのは難しい。
「母さん」
サリウス王子が震える声でそう呟いた。
リリンララとミスフィアの2人が顔を上げ、サリウス王子の方を見る。
「経緯はどうあれ……これから破滅が待っているのだとしても、それでも俺は、母さんを母さんと呼べて嬉しいし、もう二度と会えないと思っていた母さんとも会えて嬉しいよ。それだけは……伝えたくて」
サリウス王子の顔に憎悪のような感情は無かった。
その表情は純粋で、ハイエルフの爽やかな特徴が受け継がれていることがうかがえた。
「席を外すか」
「うん」
俺の言葉にルーティがうなずいた。あとは3人の問題だ。
俯き肩を震わせるリリンララ。リリンララの肩に気遣うように手を置くミスフィア。
まだ時間はかかるだろうが、きっとゆっくり話し合えば解決できると俺は信じていた。
☆☆
3人を部屋に残し、俺達は隣の部屋へと移動した。
普段は航海士達が利用する宿だが、今はリリンララ配下の兵士達が休息に使っている。
部屋はしっかりとした作りで、荷物を入れる鍵付きのチェストもある。
掘っ立て小屋に毛の生えた程度の宿が多いこの港区では上質な宿だ。
「さて」
俺は振り返り、リリンララの部下とハイエルフ達を見た。
「まさかそんな秘密があったなんて」
「うぅ、お頭、良かったなぁ」
「誰かハンカチ貸してくれ、涙と鼻水が止まらないんだ」
ハイエルフ達は3人ともボロボロ泣いている。
リリンララの事情は伝えられていなかったようだが、リリンララに何か事情があって苦悩していることくらいは察していたようだ。
仕方ないのでハンカチを貸してやった。
「で、1つ聞きたいことがあるんだが」
泣き止むのを待っていたら日が暮れてしまいそうだったので、強引に話を進める。
「レオノールの息子、シルベリオ王子とウズク王子の加護はなんだ?」
「「「へ?」」」
ハイエルフ達はキョトンとした顔で俺を見た。
「2人とも『闘士』だって聞いているけど」
「スキルを使うところは見たか?」
ハイエルフ達は顔を見合わせる。
「見たことはないが、『闘士』の固有スキルは能力強化だから目立たないし」
「身体能力の高さは間違いないぞ。レスリングだと王宮でも敵無しらしい」
「俺の知り合いも一度レスリングの試合をしたそうだけど、すごい力と技だったって」
「でもスキルを使っているところを見たことも聞いたこともないんだな?」
「あ、ああ……」
俺の言葉にハイエルフ達は訝しげだ。
「レッド、どうしたの? 何か気になることが?」
リットの質問に俺は頷く。
「シルベリオ王子とウズク王子はどこから来たんだ?」
「リリンララはレオノールが解毒剤を持っていたんじゃないかって言ってたけど」
「そもそも、“埋伏種絶の毒”をレオノールはどこから手に入れた」
「ミスフィアとレオノールの父親である先代ヴェロニア王は『薬師』の加護を持っていたから、先王が集めていた薬の中にあったとか?」
「普通の毒ならそれもあるだろう。だけど使われたのはハイエルフですら解毒できない暗黒大陸の毒だ。いくらレオノールが王族だからといって、アヴァロン大陸でそんな希少な毒を手に入れられるルートがあったとは思えない。レオノールに暗黒大陸に通じる誰かが毒と計画を用意したんだ」
“埋伏種絶の毒”について、俺も本で読んだことはある。
他にも、体質を変え毒を生み出す身体にする秘薬はいくつかあるが、どれもにも共通することだが変えられた体質を戻すことは容易ではないということだ。
『勇者』の“癒しの手”による奇跡ならば話は別だろうが、魔法や薬ですぐに治るということはありえないのだ。
毒を飲んだのがレオノールで、その身体を持ってゲイゼリクを毒で汚染したとすれば、レオノールだけでなくゲイゼリクの毒を治療しなくてはならない。
もしゲイゼリクを治療するつもりならば、長期的な治療が必要になり、それをゲイゼリクやリリンララに気が付かれずに行うのは不可能。
「だから解毒したという線はありえない」
「うーん、だとしたら別の子を持ってきた?」
「それも妙だ」
「……2人いるもんね」
リリンララが一切情報を掴めなかったというのも妙な話だが、なにより王子が兄弟だというのが奇妙だ。
言うまでもなく王子をすり替えるというのは危険な行為だ。
もしどこからか情報が漏れれば、レオノールは確実に破滅する。
だからリスクを最小限にするために、取り替える王子は1人にするのが普通ではないのだろうか?
必要もないのに危ない橋をもう一度渡る道理はないはずだ。
「もちろん、バレるリスクさえ無ければ、レオノール王妃にとって王子は多いほうがいい。リリンララがハイエルフですら作れない解毒剤の可能性を考えていたのも、王子が本当にゲイゼリクの子であれば辻褄が合うからだと思う」
だが俺の知識でも解毒剤があるとは考えられない。
「つまり、レオノールにとって2人目のウズク王子はリスクじゃなかったんだ」
レオノールには絶対にバレない自信があった。
「……俺の予想が正しければ、レオノールは俺が知る限りもっとも恐ろしい怪物だ」
ミスフィアが語ったゲイゼリクの物語の登場人物の中に、ちょうど2人分、どこへ行ったのか分からない人物がいる。
かつてゲイゼリクに付き添い魔王の船を奪ったアスラデーモンのガシャースラとチュガーラ。
彼らはゲイゼリクと共にヴェロニアにやってきて、オースロ公爵領を襲撃する時まではゲイゼリクに協力していたはずだが、それからゲイゼリクの元を離れヴェロニアの歴史から消えていた。
俺は、ビュウイに化けたシサンダンの姿を思い出す。
ビュウイがアスラデーモンであると、ゾルタンの人間は気が付かなかったし、俺も見ただけでは分からなかった。
ビュウイの姿が完璧であったからだ。ビュウイは人間そのものだった。
ビュウイは髪が伸びれば切っていたし、爪も人間と同じように変わっていた。
だったら赤子に化けたアスラデーモンは、人間と同じように成長するのではないだろうか?
赤子の姿は間違いなくゲイゼリクとレオノールの子なのだから姿からバレる心配もない。
「だが野望のためにそこまでできるのか」
これまで出会ったどんなモンスターよりも、レオノールのそのドス黒い心は怪物と呼ぶに相応しいものだった。