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133話 ままならない物語


 私は、ただあの人の力になりたかっただけなのに……。


 ゲイゼリクの身体の異常に私が気がついたのは、ミスフィアが1人目の子供を死産した後だった。


「こちらへ」


 キラミン出身であるハイエルフの医師に伴われ、私はヴェロニア監獄塔の地下に広がるダンジョンへと足を踏み入れた。

 私とこの医師と、私の信頼する少数のハイエルフ達しか知らない秘密の扉を開くと、たくさんの毒物が並ぶ研究室のおぞましい光景が飛び込んでくる。

 そしてテーブルには葬られたことになっているミスフィアの赤子が。


「これは大変興味深いものですぞ」


 『毒師』の加護を持つその医者は、赤子から採取された血を私に見せた。

 血は微かに青みを帯びている。

 医師が何か薬品を混ぜたようだ。


「毒か?」

「ええ。その名を“埋伏種絶まいふくしゅぜつの毒”」

「聞いたことのない毒だな」

「ええ、私も目にするのは初めてです。暗黒大陸のデーモン達が使ったとされる毒ですね」

「暗黒大陸のデーモン? なぜそのような毒が……」

「さぁそこまでは」


 医者は肩をすくめる。


「そうだな、それを調べるのはお前の仕事ではない、悪かった。それで、どんな毒なのだ?」

「ヴェノムデーモンによって書かれたこの百毒百科によりますところ、これは捕虜に使われた毒であるとのことです」

「捕虜に?」

「この毒は普通に飲むと臓器を腐らせる劇薬なのですが……これを3ヶ月程度の間、適量に摂取し続けると、毒が血に馴染むのです」


 ハイエルフの医者は老いてなお美しさを保つエルフの顔を歪ませ笑った。


「この毒の素晴らしいところは感染することです」

「感染?」

「もちろん感染症ではないのですが、この毒に馴染んた者の血もまた毒になるのです、毒によって身体を作り変えられ生きながら毒を作り出すように。これは血だけではなく体液全般が毒となります。まぁ毒性は低いので日常生活でどうこうということはありませんが」

「勿体ぶった話し方はお前の悪い癖だ。要点を言え」

「これは失礼。では結論を言いますが、この毒に馴染んだ人間の赤子は必ず死産します」

「やはりか……」

「それだけではなく、この毒は性行為によって相手に感染します。まぁ同じ相手と何度も床を共にした場合ですが。捕虜に毒を馴染ませるのはこの為ですな。もとの場所に捕虜を戻すことで集落全体の生殖能力を破壊するのです」

「何だと?」


 私は目の前が暗くなるのを感じた。だとすれば……。


「ゲイゼリクもミスフィアも毒を盛られないよう、細心の注意を払っていた。いつもハイエルフの魔術師達が守っていたはずだったんだ」

「まさか自らの血を毒に変えていたとは、リリンララ殿お抱えの魔術師達でも想像の外だったでしょうな」

「……ゲイゼリクは」

「『帝王』の加護の衝動でしょう? 愛では王にはなれない。王の立場を安定させるために、一刻も早くお世継ぎが必要。レオノール様が軟禁されている修道院に窓のない馬車が行き来しているというお噂はこの地下まで届いておりますよ」


 医者は息絶えている赤子を愛おしそうに撫でる。

 『毒師』の加護が、未知の毒に対する興奮を衝動として訴えているのだろう。分かっていても、私はこの医者の仕草に嫌悪感を抑えられなかった。


「それで、解毒剤に必要なものは何だ?」

「解毒は不可能です。ヴェノムデーモンが作り上げた芸術品。それこそ伝説に伝わる『勇者』のみが持つスキル“癒やしの手”があれば別ですが」

「そんなおとぎ話などどうでもいい! だとすれば、王の世継は……!」

「お子は無理ですな」


 優秀な医師の下す無慈悲な断定。今度こそ私の目の前は真っ暗になった。

 ……だが。


「ですがまぁ、人の子でなければ望みはありますな」

「どういうことだ」

「我々です」


 医師は私の下腹部を指さした。


「リリンララ様もよくご存知のように我々ハイエルフは人間よりも遥かに高い生命力を持っています。我らの子であれば毒に耐えうる可能性があります。ヴェノムデーモンもエルフ種には効果が薄いと記録に残してありますぞ」


 ドクンと痛いほどに心臓が高鳴る。このような状況だというのに、捨てたはずのある種の感情が薄暗い喜びと共に湧き上がってくるのを感じた。

 そんな自分を嫌悪しながらも……。


「解毒剤は本当に存在しないんだな?」


 私はそう医師に確認していた。


 生まれた子は父親似だった。この子を腕に抱いたときに感じた想いを、私は生涯忘れないだろう。

 私に似ていたら、この子の顔をあの監獄塔の医師に切り刻ませようと思っていた自分に、今更ながらゾッとする。


「今日だけは私はお前の母親だ……」


 私の言葉に腕の中の赤子は「あー」と言って笑った。

 気がつけば私は泣いていた。


 それから私は我が子をミスフィアに渡した。

 ミスフィアに対する言葉が拙かったことも真実を隠したことも、今思えば悪手だったと認めよう。

 だが……怖かった。どんな理由があれ、私はミスフィアを裏切った。ミスフィアがゲイゼリクとの子を授かることは無く、私とゲイゼリクの子を自分の子として育てろと、それがゲイゼリクの為だと強要する。

 私がミスフィアの立場だったらとても許せなかっただろう。恥知らずと罵っていただろう。


 ……私はこの時冷静では無かった。

 冷静であったならレオノールの企みについて、もっと深く考えていたはずだ。

 レオノールは自分の未来を犠牲にしてまで、父や夫の仇を討ったのだと……私はおめでたいことに、そう思い込んでいた。

 サリウスが生まれてしばらくした後、レオノールもまた子を宿したと聞いて驚いた。

 レオノールは自ら“埋伏種絶まいふくしゅぜつの毒”を飲んでゲイゼリクと関係を持ったのだから、レオノールもまた毒により死産するはずだった。

 だが、レオノールは長男シルベリオ王子と次男ウズク王子の2人の子を産んだ。


 おそらくはサリウスと同じ取り替えた子なのだろうが……その証拠どころか、疑わしき動きすら私は見つけられなかった。

 毒を用意したのはレオノールだ。もしかするとハイエルフすら知らない解毒剤を持っていたのかも知れない。

 そしてレオノールは、サリウスの件でミスフィアを脅し人知れず追放した。

 第一王女であったミスフィアの失踪により、レオノールとその取り巻きの主張するサリウスの継承権を最下位に下げるという要求をゲイゼリクは飲まざるを得ない状況に追い込まれた。

 それから私は……サリウスを守り、そして王にするべく動くようになった。

 最後に私はゲイゼリクの……あの人の力になるという目的すら裏切り、私の子の為に動いていたというわけだ……。

 どこで私は間違ったのだろう?

 私はどうすれば良かったのだろう?


 私があの日、海賊船で漕ぎ手奴隷として鎖に繋がれていた少年だった頃のゲイゼリクに出会わなければ……私は今も迷うこと無く気ままな海賊でいられたのだろうか?


☆☆


 ミスフィア……母上がいなくなったのは物心が付く前のことだ。

 だから俺には母上についての記憶は殆ど無い。

 おぼろげにあるのは、物静かで俺が遊んでいるのを少し離れたところから見ているような、そんな女性の姿だった。

 海賊だった頃の母上や父上と共に王都を襲撃したときの話を聞くと、俺の記憶にある母上とイメージが違ってよく困惑していた。

 

 ヴェロニアの貴族は親が直接子供を育てるようなことはしない。

 俺の少年時代に思い出にいるのは、隻眼のハイエルフ将軍リリンララだった。


「サリウス、何をしている」


 リリンララが俺の声を掛けるときの第一声は、いつもそれだった。

 俺が何をしていようと、ひと目見て分かるような遊びであろうと、リリンララはいつもそう言って俺に話しかけてきた。


 リリンララは貴族になっても海賊時代と同じように黒い眼帯で片目を覆っている。豪華な貴族のドレスに身を包んでいても、いつも腰には海賊らしい無骨なカットラスを下げていた。

 周りからはやはり異物として避けられていたが、俺はリリンララと会う時間が好きだった。

 リリンララは俺に、上品な貴族や騎士の物語とは違う、心躍る海の物語を語ってくれた。

 どこにも行けず退屈していた俺を、こっそり自分の船へと連れ出し、海の色と匂いを教えてくれた。


 母上が本当の母ではないと知ったのは、アルハゼンと名乗る輝竜ラディアント・ドラゴンと冒険した時のことだ。

 王子と竜が森の悪しき魔女と戦うような、輝竜ラディアント・ドラゴン好みのありふれた冒険だったが……この冒険の話自体は関係ないことだから省略しよう。

 重要なのは、そこで俺はリリンララの部屋にあった一揃いのガントレットを持ち出したことだ。

 緑鋼を使った見事な逸品で、魔法の品らしく子供だった俺の手にピタリと収まった。

 俺はまだお遊び程度の剣しか知らなかったのに、そのガントレットを身につけると、まるで歴戦の剣士のように自在に剣を振り回し、森の怪物達と戦うことができた。

 そして魔女を倒した時……魔女は俺のガントレットを見て口を歪めて笑うと……それが剣術の篭手ガントレッツ・オブ・ソードマンシップという名のマジックアイテムでハイエルフしか扱えないものだと俺に教えて息絶えた。

 

 もちろん、衝撃だった。父上も母上もハイエルフではない。

 つまりどちらかが俺の本当の親ではないのだ。

 そう思った時、俺の脳裏には1人のハイエルフの姿が過った。

 意識してしまえば、疑いが確信に変わるのは早かった。というより、最初からストンと収まるべきところに収まったというべきか。

 それに魔女の言葉は、俺の老化が極端に遅かったことから裏付けされた。人間と言うにはあまりに、俺の容姿は変わらなかった。


 権力闘争の日々は決して心安らぐものではなかったが、それでも母が俺のために戦ってくれていた事は、嬉しかった。

 母上に捨てられ、父上からは何も継がせるものはないと宣告された俺なのに、ずっと母が側にいて、ずっと俺を守ろうとしてくれていたのだ。

 ありがとうと言いたかった。愛していると伝えたかった。

 母を母として扱いたかった。

 それだけが、俺の望みだった。


 父上が病に倒れ、母と俺の戦いも終わろうとしていた。最初から分かっていたように、敗北という形で。

 そんな時、レオノール派のある貴族が、実はレオノールに反逆しようとしているなどとうそぶいて、俺に近づいてきた……母上の居場所という情報を手土産に。

 それが罠だとは分かっていたが、俺には別の考えが浮かんだ。

 いっそ、母上が俺など知らないと言ってくれれば、俺達は父上と王国を諦められるのではないだろうかと。

 そうすればかつて母上がこのゾルタンでそうしたように、俺と母も遠くへ、世界の果ての壁を超えた東方で、ただの親子として暮らせるのではないだろうかと。

 父上が崩御し、俺が王位につけないとなれば、もう母をヴェロニアに縛るものはなにもないはずだ。

 そう思ったんだ。

 二度と母を失わないように。


☆☆


「二度と母を失わないように」


 サリウス王子は話を終えると、長く深い息を吐き出した。テーブルに置かれた手には緊張からか汗が浮かび、今はじっと目を伏せている。

 リリンララとサリウス王子はそれぞれの思惑をすっかり話してしまったようだ。


 レオノール以外、誰もが自分の為ではなく誰かのために動いていたというのに誰もが自分の思い通りにならなかった。

 ミスフィアは愛する人の幸せを願い、リリンララは我が子のために孤独に戦い、サリウス王子はただ親子の関係を取り戻したかった。

 どれも叶わず月日だけが流れていったのだ。 


 俺はリリンララを倒した時に回収したガントレットを取り出しテーブルに乗せる。


「返すよ」


 よく磨かれたガントレットには、リリンララとサリウス王子、そして少し離れたところにいるミスフィアの顔が映っていた。

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