131話 リリンララは絶望する
俺、ルーティ、リット、ティセとうげうげさん、ミスフィア、リリンララ、部下のハイエルフの3人。
このメンバーで俺達は港区に急行した。
町は逃げ惑う群衆で溢れていたが、戦いに巻き込まれて怪我をした様子の者はいない。
「バカな」
リリンララは港区の各所に翻るヴェロニアの旗を見て呆然として肩を落としている。
「ありえない」
「現在ゾルタン周辺にある外部勢力はヴェロニア軍だけだ。ゾルタン側がわざわざ相手の旗を掲げるわけないだろう」
だがリリンララが呆然としている理由もよく分かる。
今回の派兵は、サリウス王子とリリンララの独断なのだ。
アヴァロン大陸諸国の将軍や貴族は彼らが抱える軍をほとんど自由に使える権限を持っているのが一般的だ。領主同士の小競り合いや、それに将軍が独断で介入するといった事件はありふれている。
王国とは無数の領主の集合体であって、王とはそれら領主達に優位性のある盟主に過ぎないと言い切っても過言ではないだろう。
その点、魔王軍は魔王を頂点として権力を集中させていて、各師団を率いる四天王や指揮官級のデーモン達は、あくまで魔王の所持する軍を預かって指揮を執るという形になっている。彼らは自分の軍隊を持つアヴァロン大陸の領主達と違い、平時の際に自分の軍隊を養う責任を負うこともなく、ただ命令された戦略目標を与えられた軍隊で達成するという点のみを求められるのだ。
これも領主達の軍を寄せ集めたアヴァロン大陸連合軍が敗走を重ねる理由かもしれない。
だが王位継承者とヴェロニア最高幹部の将軍とはいえ、王の許可なしに他国に戦闘行為を行ったとなれば、それ相応の理由が必要だ。
そして、現在中立の姿勢を見せているヴェロニアにとって、王命無く他国を侵略する行為はいかなる理由があっても許されないだろう。あの軍船は事情を知らないゾルタンに対する、脅迫外交の手段に過ぎない。事情がわかれば、窮していたのはサリウス王子達の方だ。
軍旗を降ろしての私掠行為と違って、軍旗を掲げた領土侵攻は連合軍も看過できない問題だ。なにかしらヴェロニアは連合軍に対して譲歩せざるを得ないだろう。
少なくともレオノールがリリンララの話す通りの政治的センスを持っているのなら、サリウス王子にとどめを刺せるだけの十分な問題となる。
「でも見たところ、煙は上がっていない。戦いの臭いがしない」
リットの言葉に、リリンララは振り返る。。
ロガーヴィア公国での戦いで、リットは自分の故国が戦火に焼かれる姿を嫌という程見ている。
そのリットから見て、この町は戦いの痕跡が見られない。
「確かに俺にもそう見える。ゾルタン軍には、もしヴェロニア軍が押し寄せてくるようなら市民の避難を優先させて迅速に撤退するように指示していたはずだ。港区はもともと人口が少ないのもあって、戦いも略奪も起こらなかったかもしれない」
上陸される前に防衛するというのが兵法の基本だが、万が一戦争になったらゾルタンに勝ち目はないのだ、
被害の出ない内に撤退して外交努力を続けるしか無い……もちろんルーティやティセが戦わない場合の話だけど。
2人が戦うのなら軍艦一隻程度相手にもならないだろう。
だが、それでも2人だ。街中を攻撃する軍を崩壊させるまでに少なからず被害がでる。
何よりせっかくのんびりしているルーティ達を血風巻き起こる戦場へ戻したくないのだが……そう甘いことも言ってられなくなってきているのか?
「少し上から見てみます」
ティセがひらりと近くの倉庫の壁を駆け上がり、屋根の上から周囲を確認した。
「あちらにゾルタンの軍旗が見えます。ゾルタンの将軍ウィリアム卿の軍旗も」
「軍は見えるか?」
「ウィリアム卿の走竜騎兵が騎乗したまま揃ってますけど……あんな町中で騎兵集めても仕方ないでしょうに」
「実戦経験の無い老将だよ。あまり言ってやるな」
あそこに行けば何が起こったのか分かるはずだ。
俺達もあそこに合流するとしようか。
☆☆
ゾルタンの港区は嵐の影響を受けやすく、建物はどれも簡単に建てられることを重視した頼りないものばかりだ。
ウィリアム卿のいるこの倉庫も、レンガ造りなどではなく木造で、壁は触れるとボロボロ崩れる土壁だ。
いつのまにか空は黒い雲で覆われていた。
雨が降るかも知れない。
「おお! その方がリリンララ殿か!!」
ウィリアム卿はリリンララ達の姿を見るなり大声で叫んだ。
「ウィリアム卿、どうしてリリンララのことを?」
リリンララを捕らえたことはまだゾルタン当局には報告していなかったはずだ。
「どうしても何も、港を占拠したやつらから捕虜となっているリリンララ及びその部下3名を返還するよう要求があったのだ。身代金に42000ペリルの支払いと占領した港区の解放、さらに賠償金に8000ペリルを追加で支払うという条件を出してきた」
「む、無茶苦茶だな」
強気で占領してきた割には、随分譲歩した条件だ。
なんというか、支離滅裂な印象を受ける。
リリンララの話からすると、サリウス王子は決して無能な王族というわけではないはずなんだが。
「一体どういう経緯でリリンララ殿を捕らえたのかは知らないが、連れてきてくれたからにはもう安心だ。早速使者を送ろう。いや、我々から出向いてもいいな」
ウィリアム卿の顔にはあからさまにホッとした様子が伺えた。
勝ち目の無い相手からいきなり町を占領されて、捕らえた憶えもない捕虜を返せと言われて大分参っていたようだ。
「待ってくれ、俺達はまだ何が起こっているのか知らないんだ。それに襲撃してきたのはついさっきなんだろ? まずは状況の把握から……」
「誰だか知らんが貴様に命令される筋合いはない、軍の指揮権は私にあるのだぞ。いつやつらの気が変わって、軍を動かすかわかったものではない! 一刻も早く捕虜を返還しゾルタンの平和を取り戻さねばならん!」
口調は強いが言ってることは全力で弱気だ。
俺が困っていると、リリンララの後ろにいたリットとミスフィアが話を引き継いだ。
「落ち着いてウィリアム卿。こちらがリリンララを抑えているのだから、優位はこちらにあるわ。まずは何が起こっているのかを把握して、その上で最良の選択をするべきよ」
「そうよ。ゾルタンにとって未曾有の事態だから無理も無いけれど……ウィリアム、あなたが狼狽えたら、ゾルタン軍全体が狼狽えてしまうわ」
「英雄リット!? それにミストーム師!!」
ミスフィアの姿にウィリアム卿は目を見開いて声を上げた。
そしてヘナヘナと力が抜けたように膝をつく。
「ミストーム師、私には無理です……どうか私に代わって軍の指揮を執ってください。私には荷が重すぎます。かつてゴブリン軍からこのゾルタンを救ったように、また我々を救ってください……!」
「ウィル、ダメよこんなお婆ちゃんに頼っちゃ。今はあなた達の時代なのだから」
中年の男が老婆にすがる。あまり格好の良い姿とは言えない。
だがその光景を目の当たりにしている部下の騎士達はウィリアム卿を軽んじるような様子はない。彼らもまたすがるような目でミストーム師を見ていたからだ。
俺はこの光景をよく知っている。
魔王軍を前に絶望した兵士達がルーティに救いを求める時の光景だ。英雄とは希望なのだ。
ルーティはその光景を、ほんの僅かに眉をしかめ見つめていた。
「あなたが怯えたら兵も皆怯えるわ。どうか立ってウィル、大丈夫あなたが努力してきたことは私もちゃんと知っていますから。さぁ、何が起こっているのか、あなたが知っていることを教えて。軍の指揮はできないけれど、私達もゾルタン市民としてできる限りのことはするつもりよ」
「……はい」
うなだれながら、ウィリアム卿は知っていることをミスフィアとリットに伝え始めた。
と言っても、ウィリアム卿も港区の市民の避難と兵の招集に精一杯で事態をほとんど把握していないようだ。
事情を聞くのを二人に任せ、俺はティセの隣にいるリリンララの方へと向かう。
ティセがすばやく俺へと駆け寄った。
「レッドさん、リリンララの様子が変です」
ティセが俺にそう囁いた。
リリンララの様子は、これまでの強い将軍であり伝説の海賊であり、そして誇り高きハイエルフであった彼女の物とはまったく違うものだった。
そんなリリンララに、彼女の部下である3人のハイエルフ達も不安そうに顔を見合わせている。
「また……また私のせいなのか……」
リリンララの顔に浮かんでいたのは、後悔、そして絶望。
「……リリンララ、大丈夫か?」
俺の声に反応する素振りもなく、リリンララは両手で顔を覆う。
「私はただ……あの人の力になりたかっただけなのに」
顔を覆う指の間からこぼれた苦悩のつぶやきは、ほんの小さなものだったが、俺の強化された知覚スキルはしっかりと聞き取れた……あの人とはどっちのことだろうか?
こうしていても仕方がないな。
「ウィリアム卿もリリンララ達の引き渡しには乗り気のようだしな。話が終わったら、とにかくサリウス王子に会いに行こうか」
俺がそうリリンララと部下のハイエルフ達に言う。
ハイエルフ達は安心したように頷くと、リリンララを両側から支えたのだった。