126話 たまには寝坊もしてみよう
翌日。窓から夜明けを歌う鳥の鳴き声が聞こえてくる。
俺が目を開けると、目の前にリットの寝顔があった。
英雄リットと呼ばれる彼女の、その穏やかな寝息をたてている無防備な顔は、この世界で俺だけが独占できるのだ。
寝ぼけた頭でそんなことを考えていると、幸福感がこみ上げてきて、そっとリットのおでこに俺のおでこをくっつける。
こみ上げていた幸福感が穏やかな感情として胸の中に広がっていく。
「んふ」
楽しい夢でも見ているのか、リットの口元がほころんだ。
俺の中に広がっている感情がリットにも伝わった気がして、俺もニヤけてしまった。誰にも見られなくて良かった。
もう少しだけ眠っていよう。
俺は目をつぶる。
視覚を塞ぐと、リットの存在が肌を通してより強く感じられる気がする。
俺は朝のまどろみの中、この平穏を満喫していた。
そのうちまた、俺は眠りに落ちていった
☆☆
「レッド」
眠っている俺の耳元でささやき声がした。
くすぐったさが心地よくて、俺は身じろぎする。
すると、なんだか柔らかい感触に頭が包まれた。
とても心地よくて、目の前の暖かい感触を求めるように両腕で抱きつくと、また俺の意識は眠りの中へと溶けていく。
「……もうちょっとだけ寝坊してもいいかな」
そんな声が遠くからした気がした。
☆☆
コンコンとノックの音がした。店の入口からだ。
俺とリットは同時に目を開ける。
「お、おはよ」
「おはよう……」
俺の目の前にはパジャマ姿のリットの大きな胸が。
俺はいつのまにか、その柔らかい頂きの間に顔を埋めるようにして眠っていたらしい。
リットはそんな俺の頭を抱くような体勢で、俺のうなじのあたりを撫でていた。
俺達はお互いを見つめ合ったまま、顔を赤くする。
照れを隠すようにリットはギュッとを目をつぶると、俺の額についばむようなキスをして離れる。
「さ、さぁ、多分ルーティ達が来たんだよ!」
「そ、そうだな、すっかり寝坊しちゃったようだ! すぐに朝食の準備をするよ!」
俺は慌てて部屋を出る。
まずはルーティ達を出迎えなければ。
「いま出るよ!」
声を掛けながら店の入口に向かう。
歩きながら、俺は自分の額に指を当てた。
「よし、今日もお仕事がんばるか」
また口元がニヤけているのを自覚しながら、俺の一日が始まろうとしていた。
☆☆
「さて、短い時間でなにを作るか」
キッチンに立ち、腕を組んで考える。
オーブンも温まっていないから、パンを焼くのも時間がかかるな。スープを作っている時間もないし。
「ふむ、だったら」
俺は火を起こし、パンと玉ねぎ、トマト、チーズにハム、あとはバターを用意する。
サンドイッチを作る時の要領でパンを切って、スライスしたトマトと玉ねぎ、チーズとハムを乗せる。味付けは胡椒でいいか。
それをやはりサンドイッチを作る要領ではさみ、バターを溶かしたフライパンに置く。その上から小鍋を置いて押さえる。
パンの焼ける良い匂いに、寝起きの身体が余計に空腹感を感じるが、もうちょっと我慢。
「これくらいか」
きつね色に焼き上がったパンを、包丁で斜めに切れば、ホットサンドの完成だ。
切ったところからとろけたチーズが少し溢れた。
「それじゃあ、残りも焼くか」
俺はお腹をすかせているみんなのために、手早く料理を続けていった。
☆☆
「「「「いただきます!」」」」
テーブルを囲む俺、リット、ルーティ、ティセはそう言ってからホットサンドを食べ始めた。
うげうげさんも捕まえてきた蛾を前に両手を合わせて「いただきます」している。
礼儀正しい蜘蛛だ。
「むふー!」
リットが食べたホットサンドからチーズがうにょーんと伸びている。
リットはホットサンドでチーズを巻き取ると、また一口。
実に美味しそうに食べてくれる。
ティセはホットサンドをナイフで切り分けフォークで食べているようだ。
表情は変わらないが、食べるスピードを見る限り気に入ってもらえたようだ。
ルーティはそんな2人を見比べて、首を傾げて迷っているようだった。
「ルーティ」
「えっと、お兄ちゃん、これどうやって食べれば」
「ルーティの好きなように食べてくれれば、俺は嬉しいよ」
「そう」
ルーティはじっとホットサンドを見つめたあと、
「はむ」
リットと同じように手で食べることを選んだようだ。
ホットサンドを口にした瞬間、パッとルーティの表情が輝いたのだった。
☆☆
ルーティとティセとうげうげさんは薬草農園に戻り、俺とリットはお店の準備に取り掛かる。
「急げ急げ、開店時間に間に合わないわよ」
「そうだ、今日はニューマンのところに薬を届けに行く日だった!」
「じゃあ店頭の方は私がやっておくから、レッドはそっちをお願い!」
「悪い!」
俺は貯蔵庫で、メモを片手に注文の薬を詰めていく。
「ヒヨス草はこれで貯蔵庫の在庫ゼロだな。庭にまだあったっけ」
戻ってきてから考えよう。
最近は売上も伸びているおかげで、薬の在庫が無くなるのが早くなった。
「汚穢熱用の解熱剤でラスト。よし全部あるな」
最後にもう一度揃っていることを確認。間違いない。
「よし、リット! こっちは終わった、手伝うよ!」
「じゃあ釣り銭のチェックをお願い!」
「分かった」
2人で開店準備をするのも手慣れたもの。
慌ただしい作業も直に終わり、なんとかいつもの時間に開店準備を終えられた。
「それじゃあ、今日も」
「がんばろー」
拳を上げ、2人でそう言うと、俺達は一緒になって笑ったのだった。
いつものことだ。
☆☆
お昼前。レッド&リット薬草店。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
レッドはリットとそう言葉を交わしてから、薬の入ったカバンを抱え店を出ていった。
ニューマンに薬を届けに行ったのだ。
リットは1人になってしまったことを、残念に思いながらさっき一緒に飲んでいたティーカップを片付けようとする。
ピキッ。
「えっ?」
音がしたのはレッドのティーカップからだ。見てみると木製のティーカップにヒビが入っていた。
落としたわけでもないのにと、リットはレッドのティーカップを手にとって確認する。
「何もしていないのに割れるだなんて」
ティーカップには大きな亀裂が走り、これまでのようにお茶を入れることは、もうできないだろう。
「レッド」
リットは外に出たレッドの姿を思い浮かべ、眉をしかめる。
そして目をつぶった。
「ウッドリペア」
元の形を思い浮かべながらリットが魔法の印を組むと、手にした木製のティーカップはすっかり元通りに修復される。
「これでよし!」
リットは機嫌を良くし、コップを片付けにキッチンへと鼻歌を歌いながら歩いていったのだった。