125話 リリンララの狙い
「はぅ」
湯船に肩まで浸かり、ルーティは表情をとろけさせ、ため息を漏らした。
アヴァロン大陸に住む人々の多くが愛し、堪能しているこの瞬間をルーティも当たり前に堪能していることがすごく嬉しい。
「あったかいね」
「お風呂だからな」
ルーティの屋敷の風呂は大きい。
俺達は肩をくっつけて並び、足を伸ばして脱力していた。
「こんな風に、またお兄ちゃんと一緒にお風呂に入れる日が来るとは思わなかった」
ルーティは目をつむり、微笑を浮かべて言う。
「ゾルタンでの生活はどうだ?」
「幸せ」
ルーティの声は穏やかだ。それは旅をしていた頃では考えられないモノだった。
「お兄ちゃんといつでも会えて、寒い時は寒いって言えて、お風呂で温まる気持ちよさに浸れて、お兄ちゃんの作る美味しい料理を食べられて、大切な友達もできた。とても優しくて強くて頼りになるティセとうげうげさん。剣を握るのは私が大切にしている小さな世界を守るため、私が私の意思で戦うときだけ。でも頑張れば普通の冒険者として感謝され、私を見ても誰も怖がらない。私が子供達とワイヴァーンズレースを遊ぶことができるだなんて思わなかった。夜は眠り、朝日と共に起きて、汗だって流せる。それにねお兄ちゃん」
ルーティは俺に顔を近づける。その赤い瞳にうっすらと涙が浮かんだ。
「今朝、私の薬草が萎れているのを見てね。私、怖かったの」
そう言った途端、ルーティの両目から涙が溢れた。
「これがホッとするって感情なんだね!」
生まれた時から一切の恐怖を奪われていたルーティは、薬草が無事だった嬉しさを噛み締めていた。その震える声には、鮮やかな感情が確かにあった。
「薬草達が無事で良かったな」
「うん!」
その顔を見てあらためて思う。
ルーティの力になれて、本当に良かったと。
☆☆
風呂を終え、屋敷のロビーで俺は二人分のコーヒー牛乳を作っていた。
濃いめに作ったコーヒーにたっぷりの砂糖を入れる。
それを牛乳に混ぜるだけ。割合は牛乳4にコーヒーシロップ1が俺の好みだ。
簡単だが、甘くコクがあって美味しい。特にお風呂上がりには最高の飲み物の1つではないだろうか。
ルーティはコーヒー牛乳を一口飲み、目を輝かせると半分まで一気に飲み干す。残り半分は惜しむようにちびちびと。
小さかった頃と変わらない。
「おかわりは要るか?」
「うん」
ルーティの取り戻した幸せは、一緒にいる俺にとっても幸せだ。
俺達は2人笑い声を上げながら一緒にコーヒー牛乳を飲むのだった
コップや鍋を片付け終わり、俺達は一息つく。
「そういえば、捕まえているハイエルフの刺客はまだこの屋敷にいるみたいだな」
地下の方からは、まだ気配がする。
ルーティ達を襲撃し、返り討ちにあったという刺客の2人を捕らえていたという話だが……。
「てっきり屋敷を空けている間に取り返しに来ると思ったが」
ルーティは首をかしげた。
「あの2人の部屋は鍵を掛けているけど、本気で破ろうと思えば破れたはず」
「2人を取り返されるのならそれでも良かったんだがなぁ」
それならそれで、相手に動きが起こるだろう。すでにこちらの情報収集は終わっているので、相手に動きがあるのは歓迎だった。
ミストーム師を探しに行くのに、ティセを屋敷に残さなかったのもそれが理由なのだが、上手くいかないものだ。
「まぁ大したことじゃないんだけど、やはりルーティの住んでいる屋敷に別の男がいるってのは落ち着かないな」
「……そう」
ルーティは少しうつむき口元を緩めている。
笑われてしまった、今のはちょっとだけ過保護っぽかったかな?
俺は咳払いをしてから気を取り直し話を続ける。
「それで、どうして取り戻しに来なかったんだと思う?」
ルーティは少し視線を落とした。ルーティが考えるときの仕草だ。
「分からない。罠だと思った?」
せっかく捕まえた捕虜を、警備すら付けず放置だ。敵軍に対し、いきなり城の門を開け放ってしまうような虚を突くことになってしまったのかもしれない。
人間の三倍生きるハイエルフのリリンララからすれば、軍事的に優位にあるはずの自分達に対して、捕虜という交渉のカードにもなるものを、ただ相手の出方をみるためだけに返すという考えられない行動のはずだ。
もちろんそれは、実際のところルーティもティセも、単独で船に乗り込み制圧することが可能であるという優位の認識の逆転があるからなのだが。
「リリンララは慎重になっているのかもな、向こうからの動きはまだ先になりそうだ」
「うん、私もそう思う」
「となるとこのまま次回の交渉テーブルにか」
教徒台帳を渡すために教会を説得する。そのための一回目の期日として設定した日。
そこでティセを中心として交渉を行い、残った疑問点を解消しつつ、この事件の最終的な解決へ動く。
ルーティは勇者ルーティだとバレる可能性を考えて今回もやっぱり鎧に身を包んでティセの後ろで待機だ。それに口下手だし。
「サリウス王子は早急に回答を求めるだろうけれど。あちらにも時間を稼ぎたいと思っている人がいる。交渉はこちらがずっと有利」
だがルーティは、判断力も抜群に優れている。決して、加護の力だけで魔王軍と戦っていたわけではないのだ。
だから俺は、安心してこの事件をルーティに任せられた。
「なにか必要なことがあったら俺も手伝うけれど、まぁ2人なら大丈夫だろう、ゾルタンを頼むぞ」
「任せて」
俺の言葉に頷くルーティの姿は、とても頼もしいものだった。
☆☆
ヴェロニアの軍船、その一室。
かつて妖精海賊団を率いて各国から恐れられたハイエルフのリリンララは、ハイエルフとしても若者と呼ばれる時期をとうに過ぎながら、今も美しさを損なわない顔に難しい表情を浮かべていた。
「2人は今も無事か」
刺客に送った腹心2人は、あのティファという冒険者に捕らえられたと報告を受けた時、さしものリリンララも動揺を抑えられなかった。
あの2人は、特に少数同士の戦いであればヴェロニアでも最高峰の実力者だ。相手がAランク冒険者であっても、そうそう遅れを取ることはないはずだった。
(屋敷に囚われたまま……2人の安否が心配だが、一体あのティファという冒険者は何者なのだ)
ここ数日の間、ゾルタンで集めたティファとルールという2人の冒険者についての情報は全く頼りないものだった。
(なんなのだこのゾルタンという町は)
数日という短い時間で調査する場合は、その調べた者から情報を得る方法を取る。普通、あのように目立つ存在が現れたのなら、一体何者なのか調べようとする者がいるはずだ。
だが、リリンララの部下達はティファについて調べた者を見つけられなかった。情報に精通しているはずの盗賊ギルドでさえもだ。
(もちろん、部下を警戒して情報を隠していた可能性はあるが)
だが、これまで敵の多いゲイゼリク王を守るため、リリンララが集めた諜報員達から情報を気取らせることなく無知を装うなど、この陰謀とは無縁そうな辺境の小国にできるとは思えない。
(自分達より遥かに強い余所者だぞ? 脅威だと感じないのか?)
結局、リリンララはあの2人について、凄腕の冒険者ということしか分かっていない。過去の経歴は一切不明。
リリンララは頭を抱えるしかない。
「となると、鍵を握るのはこいつか」
おそらくこのゾルタンで唯一あの2人の過去を知る者。
2人が捕らえられる前に知っていれば、白騎士と名乗ったルールを狙うよりも、こいつを捕らえて人質にしていただろう。
「薬屋のレッド」
リリンララは立ち上がると、鍵のついた箱を開け、中からハイエルフ造りの、淡く輝く緑鋼の篭手を取り出す。
「我が身に流れる誇り高きハイエルフの血よ、力を貸し給え」
剣術の篭手。リリンララの家に伝わるマジックアイテムで、エルフがこれを身につけると、先祖達の身につけてきた剣術が装備者に宿り、剣の達人と化すのだ。
剣の素人が身につけても強いが、リリンララのようなすでに剣士としても一流の域にある技術と高い加護レベルを持つ者が身につければ、その力は達人を越えて超人の域に達する。
さらにリリンララは箱から、普段使っているカットラスとは別のロングソードを取り出す。
鞘は白鞘。鮮やかな金色の装飾が施され、リリンララが僅かに刃を抜けば、込められた風の魔法がほとばしり、リリンララの灰色の髪を揺らした。
こちらも先祖伝来の魔法の剣。ハイエルフの名工が命を費やし鍛え上げたと伝えられる、その名をエルフの悲嘆。
そのあまりの力に、ハイエルフの名工はこの剣で奪われるであろう数えきれないほどの命を想い、嘆いたことから、そう名付けられたという。
リリンララの秘蔵のマジックアイテム2つ。
「私が出るしかない」
白騎士ことルールの兄であり、ティファとも親しくしているという薬屋レッドはDランク冒険者。だが実力を隠しているらしいという情報も入っている。Cランク冒険者以上の実力があるのは間違いない。
もちろん、残っている部下の中にも、Cランク冒険者程度簡単に捕らえる実力者はいるが……相手の脅威度を最大のものと想定し、リリンララの持つ最高の戦力、すなわちリリンララ自身を使って捕らえると決めたのだ。
(まだ教徒台帳を素直に渡すつもりはないようだが……やつらの気が変わる前にミスフィアを始末しなければ)
サリウス王子はミスフィアに自分の出自を証明してもらうつもりだが、実際はサリウス王子とミスフィアに血縁関係はない。ミスフィアがヴェロニアに戻ることは、サリウス王子にとって後継者になるどころか、王族の地位すら失うであろう致命傷になりえる。
(そうなる前に、サリウス王子に気が付かれることなく秘密裏にミスフィアを葬り去る)
リリンララは昏い決意を胸に抱き、2つのマジックアイテムを身に着けたのだった。