123話 勇者ルーティvsコールドモルド
ミストーム師の集落からゾルタンに戻った翌日。
ルーティは緊急事態だと慌てた様子で俺を呼びに来た。
俺はすぐに着替えて、ルーティと一緒に走る。
「レッドさん」
温室のそばでティセが手を振っている。だが楽しい状況でないことは、ティセの目を見れば分かる。
俺とルーティはすぐに温室へと向かった。
「お兄ちゃん、どうしよう……」
ルーティが不安そうに俺の袖を掴む。そこには『勇者』として完全無欠の精神を強制されていた少女の姿はない。
ここにいるルーティは、目の前の光景に心を痛める当たり前の少女だった。
「ふむ」
俺は地面に力なく横たわる小さな灰色ヒトデ草の小さな芽を観察する。
ここはルーティの薬草農園のうち、灰色ヒトデ草を植えた温室の一角だ。
灰色ヒトデ草の芽は弱っている。本来ならば根をしっかりと地面に伸ばし、芽はまっすぐ飛び出していなければならない。
だが、今は萎れてしまっていた。
「どうして?」
「カビだ」
ルーティの質問に、俺は土をスコップで掬って見せる。
よく見ると、地面から数センチの部分の土が黄色く変色しているのが分かるだろう。
「色が変わってる」
ルーティとティセはじっと、スコップに乗った土を見た。
「コールドモルド(冷気カビ)だ。周囲の熱を栄養として吸収するカビだよ」
「それなら洞窟や遺跡で見たことある、でももっと大きかった」
「冒険で問題になるのは大繁殖したコロニーだけだからな」
コールドモルドは、大陸中で見られるカビの一種だ。
周囲の熱を吸収することで繁殖する性質がある特殊なカビで、直径1メートルを超えるようなコロニーの場合、半径10メートルほどのテリトリーに侵入した熱源……大抵は生物から急速に熱を奪う。
その威力は加護レベルの低い人間程度なら、30秒ほどで昏倒させるほどの凄まじいものだ。
激しい寒気を感じるため、大抵の場合はすぐに離れて身体を温めれば問題にならないが、出血して体力が落ちている状況などだと致命傷になることもある。
「人が暮らす場所で、そんなコロニーにまで成長することはほとんど無いけれど、こうして温かい土の中に僅かな数が繁殖することがあるんだ」
このコールドモルドが土の温度を下げ、ルーティの灰色ヒトデ草の芽をこんな状態にしてしまったのだ。
「なんでコールドモルドが……」
「土の中に潜んでいたんだろうな。普通なら冬の間に数が問題にならない量まで減少するところだったんだろうが、温室を建てたことで繁殖してしまったんだと思う」
運が悪かったというべきか。
だが農地の利用法を変える時には、予期せぬ問題が少なからず起こるものだ。
最初の一年目にはまだまだ多くの問題が起こるだろう。
「…………」
ルーティは悲しそうにうなだれている。
「さて、ルーティがすぐに気がついてくれたから、まだ対策が間に合いそうだ」
「対策? 助けられるの?」
「ああ、危ないところだったけどな」
コールドモルドは厄介者だが、見たところ繁殖している量は多くない。それに直接植物に寄生して問題を引き起こすタイプのカビに比べたら、コールドモルドを駆除して土の温度を上げてやれば、作物は正常に戻る。
今朝の段階でルーティが発見し、すぐに俺のところへ報告に来てくれたおかげで今すぐ対応すれば間に合うだろう。
「善は急げだ、コールドモルドを駆除する薬を用意しよう」
「うん!」
農園の方はティセに任せ、俺とルーティはすぐさま必要なものを買いに行った。
☆☆
何回かに分けて水に溶かした薬を散布し、土の中の様子を調べる。
経過は順調。もともとコールドモルドはそれほど生命力のあるカビではないので、明日の朝にはすべて駆除できるだろう。
「明日、土の中からコールドモルドがいなくなったのを確認したら、土の上に目の荒い布をかぶせて土の温度をあげるんだ」
「わかった」
ルーティは胸の前でぐっと両手の拳を握って答える。その顔には強い決意があった。この小さな薬草の芽を、ルーティは救いたいのだろう。
皮肉なことに、ルーティが『勇者』だったころには無かった感情だ。
「よく気がついたな」
「うん」
俺はついルーティの頭を撫でようと手を伸ばし、
「おっと」
途中で止めた。
さっきまで農作業をしていた俺の手は土で汚れている。この手でルーティの綺麗な青い髪に触れるわけにはいかない。
「む」
ルーティは俺の手が止まったのを見て、口を尖らせた。
そして自分の両手を俺の手に添えると、引っ張って俺の掌をポンと頭の上に乗せる。
「汚れるぞ?」
「この後お風呂に入るから大丈夫」
そう言って、ルーティは俺の掌の感触を確かめるようにグリグリと頭を押し付ける。
俺は思わず笑ってしまった。
「分かったよ。よく頑張ったな、ルーティはいつだって俺の自慢の妹だ」
俺はそう言ってルーティの頭をあまり汚れがつかないよう、控えめに撫でる。
「えへへ」
ルーティは口の端を僅かに持ち上げ、嬉しそうに笑う。
妹の可愛い仕草を見て、ぎゅっと抱きしめたくなる衝動に駆られるが、ここはぐっと我慢だ。
☆☆
温室を出ると、他の薬草の手入れを終えたティセが座ってうげうげさんに餌の虫を上げているところだった。
「お疲れ様です……大丈夫ですか?」
「ああ、気づいたのがすぐだったからな。いくつかの芽はダメになるかもしれないが、大半は復帰するだろう」
「良かった」
ティセはホッと息を吐いた。
うげうげさんも安心したように脚を広げ、ペタリとお腹を地面につけ脱力している。
その様子を見て、俺もルーティも笑みをこぼした。
「うげうげさん、コールドモルドの繁殖に気がつけなかったことを気にしているみたいで。土の上を歩けばすぐに気がつけたのにって」
ティセの言葉の通り、うげうげさんはうつむいている。ちょっと悲しそうだ。
「なるほど、今度からはうげうげさんにも農園管理を手伝ってもらったほうがいいな」
「うん。うげうげさんは頼りになる蜘蛛」
確かに、うげうげさんほど土の様子を身近に感じられる農家はそういないだろう。
俺とルーティの言葉に、うげうげさんは立ち上がると、頑張るぞーとでも宣言するように両腕を振り上げていた。
☆☆
ミストーム師とヴェロニアの件はまだこれからだ。
だが、もう調べるべきことは調べた。あとは聖方教会からの回答を待って、サリウス王子との交渉のテーブルに付くだけ。
交渉ではどこを落とし所にするか……それを決めるのも教会からヴェロニア王国で何が起きているかの情報をもらってからでないと決められないだろう。
要するにやるだけのことはやったのだ。
だったら、俺達は日常に戻り、こうしてやるべきことをやる方がいい。
そう伝えると、衛兵隊長モーエンは呆れた様子で笑った。
「つくづく大物だな」
ルーティの住んでいる屋敷のお風呂へと向かっていた途中で、俺達はモーエンと冒険者ギルド幹部ガラディンと出会った。
2人は北区の冒険者ギルドで、冒険者と衛兵の連携について打ち合わせを行った後だという。
俺達がゾルタンに戻るのと同時に、ガラディン達もゾルタンへと戻ってきていた。
もともとミストーム師をあの集落に送り届けてヴェロニアの目から隠し、対策を考えるというのが彼らの目的だ。
だが、ルーティ達に見つかったことで、方針を変え、ヴェロニアへの対策の主導権をルーティに任せることになったのだ。
そのためガラディン達はこうしてゾルタンへと戻り、こちらもある意味俺達と同じように、本来の衛兵隊長や冒険者ギルドの幹部としての日常をこなしている。
「こちらは、はじめての事態に混乱状態だよ」
モーエンは渋い顔をしている。ルーティが出た会議では、モーエンはガラディンと共にヴェロニアからの要求を拒否するという立場だったようだが、彼も内心はこの状況に混乱していた1人だったようだ。
「他国の軍船が来るなんてゾルタンの衛兵達は一度も経験したことがない。マニュアルすらない。君達の指示があって、なんとか機能が麻痺することは避けられているが、もし戦いが起こったらどこまで動けるか不安だ」
「ゾルタンを守る訓練はしてきたのだから大丈夫さ。ミストーム師が活躍したゴブリンの動乱でも、あれはほとんど戦争だったと聞いているが、ミストーム師に率いられたゾルタンの衛兵は立派に戦ったそうだ」
「その頃私は、まだほんの子供だったが……大人たちがみな頼もしかったのを憶えている。そうだな、訓練と部下を信じよう、私が信じなくてどうする」
モーエンは自分に言い聞かせるようにうなずく。
「君のような若者に励まされるとは。一体君はどのような人生を歩んできたのか、聞くのは無粋だと分かっていても聞きたくなるな」
「秘密ということでよろしく。アデミにも、そのうちワイヴァーンズレースのコマを持って遊びに行くと伝えておいてくれ」
「ああわかった。息子も喜ぶだろう」
息子の名前を出されると、モーエンの表情から硬さが抜け、決意がみなぎるのを感じた。
うん、モーエンならばきっと大丈夫だ。
「そういえば」
ふいにガラディンが声を上げた。
「どうした?」
「市長がルールのことを探していたようだが」
「私?」
ルーティが首をかしげる。
「冒険者ギルドに市長の使いが来ていた」
「農園の方には来てなかったけれど?」
ルーティの農園は有名なわけではないが、もちろんトーネード市長や冒険者ギルドの職員などは、ルーティの本業が薬草農園だと知っている。
「なるほど」
ルーティが小さくつぶやいた。その聡明な赤い瞳を俺に向け、こくりと頷いた。
「お兄ちゃん、まずはお風呂に行こう」
ルーティの瞳は真剣だった。