120話 うちの妹は世界一可愛い
「ルーティ。入ってもいいか?」
俺はルーティがいる部屋の扉をノックした。
「お兄ちゃん……うん」
ルーティの声はかすれていた。
泣いていたのか。
俺は一度深呼吸をしてから、扉を開ける。
扉も金鱗樹製で少し重い。
中に入ると、ルーティは鼻の頭をちょっとだけ赤くしてベッドに座っていた。
「隣いいか?」
「うん」
俺はルーティの隣に座る。
ルーティはうつむいたまま、じっと黙っていた。
ルーティがなぜここまで落ち込んでいるのか……俺にはまだ分からない。
これがリットが落ち込んでいるのなら、同じ身分を捨てたお姫様として共感する部分があったのだと理解できる。
ただ、リットとミストーム師は状況が全く違う。
ロガーヴィア王は基本的に優秀で強い王である。ガイウスが亡くなった後はふさぎ込んでいたが、最後の戦いでは立ち直り、近衛兵団の生き残りと共に前線で指揮を取っていた。
だからミストーム師が行った、王位簒奪という手段については全面的に支持というわけにはいかないのだろう。リットは同情はすれど共感して落ち込むという様子は無い。
「ルーティ、ミストーム師の話はどうだった?」
「情報は繋がった。あとは教会からの情報による裏付けと補足、それとどこで決着させるかどうかだけ」
「ルーティ自身はどう感じた?」
「私は……」
ルーティは言い淀んで黙ってしまった。
俺には言いにくそうなこの感じ、悩みは俺に関することか?
俺とルーティ、ゲイゼリクとミスフィア。共通点といえば……何かあるか?
「私はお兄ちゃんに愛してもらえる資格があるの?」
「へ?」
思わず変な声が出てしまった。それくらい予想外な質問だった。
「俺がルーティのことを大好きなのに資格もなにもあるものか。ルーティが小さい頃からずっと俺はルーティのことを愛していたし、今も変わらず愛しているよ」
俺は自分の気持ちを素直に言ったつもりだったが、ルーティは落ち込んだままだ。
しかし、「小さい頃からずっと」のところで、ルーティの表情に影が差したことで、ようやく俺はルーティが何を悩んでいるのか思い当たった。
「もしかして、俺の衝動のことか?」
「うん。お兄ちゃんは無理やり私のことを愛するように強制されているんじゃないかって……だって、『導き手』の役割は『勇者』を守り導くことなんでしょ? だったら『導き手』は『勇者』を大切に思う衝動があるはず……」
なるほど、ゲイゼリクがミスフィアを愛したのが衝動のせいだという話をルーティ自身に当てはめたのか。
「加護の衝動はその加護の役割の大きさによって決まる。『勇者』1人のためだけに存在する『導き手』の衝動は、多分『戦士』より弱いんだよ」
「でもゼロじゃないんでしょ?」
「まぁな」
「だったら、お兄ちゃんの今の気持ちは……」
この世界で生きる者にとって、どこまでが自我でどこまでが衝動なのか、それを区別することは難しい。『魔法使い』が本を読んで知識を蓄えることに喜びを感じることが、本人の性格なのか『加護』の衝動なのか、それを区別することは本人にだってできないだろう。
「だからどうした」
「お兄ちゃん……?」
「俺のルーティに対する愛情が俺の心から生まれたものなのか、加護から生まれたものなのか、そんなことはどうだっていい」
俺は感情のまま、言葉を続けた。
「最初がどうあっても、今の俺がルーティを愛する気持ちに加護なんて関係ない。俺はルーティのことが大好きだ。この気持ちは加護にだって神様ですら否定させない。これは『導き手』なんかのモノではなく俺のだけの衝動だ!」
交渉術も打算もない。純粋な俺の気持ちだ。
ルーティは俺にとって、世界で一番可愛い妹だ。俺が強くなろうとしたのも、騎士となったのも、旅立ったのも、すべてルーティの力になりたかったからだ、守りたかったからだ。
「ルーティじゃなくて、別のやつが『勇者』だったら。多分俺はここにはいない」
「どういうこと?」
「俺の大切なルーティじゃなければ、俺は強くなろうと思わなかった。レベル31もあれば、『勇者』の旅立ちを導くのには十分だ。俺達の住んでいた地方で俺に敵う生物なんて存在しなかっただろ? 魔王軍相手でも士官級くらいなら十分倒せる。
王都で『勇者』として認められれば、そこからはバハムート騎士団かティアマット騎士団の精鋭と交代すれば良かっただろうしな」
実際、ティアマット騎士団が『勇者』の旅に同行するという案もあった。その場合、『勇者』はアヴァロニア王国の命令で旅に出たということになってしまっていただろうが。
「それに、俺がルーティの元を離れる時に、加護の衝動は何もなかったよ。役割が終わっていたんだろう」
『導き手』は極めて特殊な加護だ。他の加護はどれほどありふれた加護であっても、世界に対する役割がある。
だが『導き手』は、世界に対していかなる役割も存在しない。『導き手』は『勇者』のためだけに存在する。『勇者』が『導き手』を必要としなくなった時点で、『導き手』にはもはや何の役割も残っていないのだ。
だから、俺には衝動らしい衝動はなにもない。どの加護にも当然あるはずの、自分の加護を成長させたいという衝動すら、固有スキルを持たない『導き手』には存在しない。
神様も世界も、もはや俺を必要としていないのだから。
「俺がここまで強くなろうとしたのも、デズモンドとの戦いまでなんとか一緒に戦えたのも、全部ルーティが俺の可愛いルーティだったからだ。『勇者』の衝動を和らげる方法を探して加護に詳しくなったのも、やっぱりルーティだったからだ」
俺の言葉を聞いているうちに、ルーティの顔がだんだんと紅潮していく。
「俺の人生は『導き手』がなくても成り立ったかもしれない。でもルーティがいなければ、成り立たなかった、それは断言できる」
俺はルーティの手を取った。
「お兄ちゃん……」
「俺の衝動を消してみてくれ」
「でも」
「それでハッキリするだろ?」
ルーティは顔に不安の表情を浮かべながら、何度かためらい、そして『シン』の“支配”によって、俺の衝動を一時的に無効化した。
人に自分の加護を触れられるという感覚に、背筋に氷の刃を突き立てられたような衝撃が走るが、すぐに消える。
「どう?」
「……ルーティ」
俺はルーティの身体をぎゅっと抱きしめた。
「ああもう、お前は本当に可愛いな!」
「え、あ、お兄ちゃん?」
人類最強の力を持ちながら、俺のためにここまで悩み、不安になってくれる可愛い妹。
加護やら衝動やらなんか無くても、兄として愛おしさで一杯になるに決まってるじゃないか。
「いいかルーティ、俺はルーティのことが大好きだ」
「うん……何度も言ってくれた」
「ルーティが不安になった時は何度でも言うさ」
「うん」
ルーティも俺の背中に手を回し、ギュッと抱き返す。
「私もお兄ちゃんのことが大好きだよ。お兄ちゃんがいなかったら、私はとっくの昔にこの世界から消えていた。お兄ちゃんが私のことを好きだって言ってくれたから、私は消えて無くならなかったの」
「ルーティが消えたら、俺は耐えられないな」
ルーティの頬が俺の頬に触れる。
「ごめん、疑ったりして。私が今ここにいることが、お兄ちゃんの気持ちが加護よりも強い証明だった。私が一番良く分かっていたはずなのに」
ルーティの声は少し震えていた。ルーティと触れ合う頬に感じる熱や、背中に回された腕から伝わるこの時間を愛おしむような優しさと失うことを恐れて縋り付くような儚さ。
俺は言葉よりも、こうしている時間で応えた。
やがて、ルーティは安心したように俺に体重を預け、ふぅっと息を吐いた。首筋にかかる吐息がくすぐったい。
「もう大丈夫」
ルーティがそう言ったので、名残惜しいが俺はゆっくりと身体を離す。
頬を赤くしたルーティは、俺の目を見て微笑んだ。
「ありがとうお兄ちゃん」
最高の笑顔だった、やはりルーティは可愛いな。
何を隠そう実はレッドはシスコンなんです




