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119話 ルーティは独り膝を抱える

 この世界に生きとし生けるものは、アスラデーモンという例外を除き、生まれた時に至高神デミスから『加護』を与えられる。

 『加護』はレベルとスキルという力を与え、脆弱な人間が巨人や魔獣といったモンスターと対等以上に戦うことを可能にする。もし『加護』がなければ、人間などとうの昔に滅んでしまっていただろう。


 村の司祭は、小さな教会に集まった子供たちにそう言った。

 黙って座っていることが辛そうな子供達もいたが、ルーティとギデオンも大人しく椅子に座っている。その様子を見て、行儀が良いというより不自然なほどに大人びていると、司祭は不気味に思ってしまう。


「しさいさま!」


 タップという名の少年が手を上げた。頬がふっくらとした愛嬌のある顔の男の子だ。


「なんでもんすたーにも『かご』があるんですか? もんすたーはわるいやつでしょ?」


 モンスターも多種多様で一概にそうとも言い切れないのだが、確かに大半のモンスターは人間に害をなし、食べるためではなくただ殺すために襲ってくる残虐なものも多い。また、デーモンのような悪の体現とも言える存在にすら『加護』はある。

 もし、悪に『加護』がなければ、人間やハイエルフといった善の種族はもっと栄えていたに違いない……そう誰もが一度は考えることだ。

 こうして説法をしている『祈祷師アデプト』の加護を持つ司祭も、子供の頃に同じ質問を当時の村の司祭に、やはりこの教会でしたことを憶えていた。


「タップ君、その答えも私達の『加護』にあるんだよ」

「『かご』に?」

「『加護』は『加護』を持つ者を殺すことで成長する。でも、この世界に善い人しかいなかったら、一体私達は誰を殺せばいいのだろう。神様は私達に悪と戦い、より正しく生きられるよう願っているんだ。そのために悪にも『加護』を与えているのだよ」


 司祭の言葉に、タップは理解できた様子で何度も頷いている。隣に座る『戦士』の加護に触れている早熟の少年は、「もっとモンスターどもをぶっ殺してやるんだ」と周りに宣言していた。彼の加護レベルは3。すでに大人達に混じり、棍棒片手にモンスター狩りに参加しているほどだ。


「あの」


 小さいが、どれだけうるさい場所にいようとも、なぜかはっきりと伝わる強い声と共に、小さな手が上がった。うるさかった子供たちも、口を紡ぎ遠慮がちにその少女を見る。


「なんですかルーティ?」


 司祭はわずかにたじろいだ。あの得体の知れない少女が質問をしてくるのは初めてだ。


「衝動は何のためにあるんですか?」

「あ、ああ、そうだね。良い質問だ」


 司祭はほっと胸をなでおろす。衝動の意義なんて自明な問題。算学の1+1を教えるようなものだ。あの異質な少女も、中身は存外普通なのではと司祭は思い直していた。


「みんなも知っての通り、『加護』には衝動がある。私の『祈祷師アデプト』であれば、こうしてみんなの心の平穏を保ちたい、そして苦しむ人を私の魔法の力によって救いたいという衝動を与える。私が司祭になろうと思ったのも、この衝動のおかげなんだよ」


 他に、新しい考えを認められず保守的になるという衝動もあるのだが、それを伝える必要もないだろうと、司祭は心の中で呟いた。


「神様が我々に与えて下さった『加護』は、強い力を与えてくれる。だがその力を無軌道に使わないように、我々が進むべき道を示して下さるのが衝動だ。衝動に従うと心の中に安心感が広がるものだ。この安心感を得るために生きることこそが、楽しく、そして正しい人生を送るコツなんだよ」


 司祭の言葉に『戦士』の加護に触れている少年は、ウズウズしている様子で拳を握っている。

 この少年は、後日、村の喧嘩自慢の少年達を叩きのめし、暴君的なガキ大将として君臨することになるのだが、そのキッカケがこの日の司祭の言葉であったことは他人には知られなかった。

 だがルーティの表情は冷たいままだ。


☆☆


(だったら、お兄ちゃんの加護『導き手』の衝動は……)


 外はもう暗い。別に帰っても良かったのだが、ミストーム師に泊まっていくように言われ、とくに断る理由もないとルーティ達は一晩だけ、この集落に留まることにした。

 ルーティにはもう衝動はない。新しく生まれた『シン』という加護のスキルで、『勇者』の衝動を無効化しているからだ。

 ずっと自分を苦しめていた『勇者』の衝動から解放され、今のルーティは毎日が楽しかった。輝く朝日も、土から飛び出す緑の新芽も、お兄ちゃんの作るオムレツも、世界がこれほど鮮やかな色に満ちあふれていたことに、ついこの間までルーティは気がついていなかったのだ。


 世界はこんなにも美しい。


 世界を守るために生まれた勇者ルーティは、皮肉にも『勇者』でなくなったことで、初めて世界を好きに思えるようになり始めていた。


(これが衝動の無い世界)


 燭台の上で燃えるロウソクの炎の輝きに照らされ、アカマツの柱の木目が美しく見える。

 窓の外では夜の中を、せっかちなカエルが冬眠から目覚めてケロケロと鳴いている。

 空にかかる月は綺麗な満月だ。薄くたなびく雲が月にかかり、雲を通して月はおぼろに輝いていた。


(ずっと旅をしていたのに。私には世界は違って見えた。お兄ちゃん以外の何もかもが灰色だった)


 ルーティの記憶の中のレッドが感動した様子で山を見上げている。

 眼の前にあるのは、ウッドエルフの聖地であった“ララエルの足跡”という名の霊峰。周囲の森から突き出たその山の姿に、エルフも人も何か特別なものを感じるらしい。


「美しいな」


 レッドがつぶやいた。その山は測ったような三角の形をした山であり、山頂を覆う雲によって色彩が薄い、それが周囲の緑の山とのコントラストになり、この山を特別視する要因になるのかもしれない。

 ルーティは特に感動することもなくそう考えていた。


(あの時、私に衝動がなければ、お兄ちゃんが見ていた美しい光景を共有できたのかもしれない)


 ルーティはそれを少し寂しく思う。ロウソクの明かりにつられ、窓から虫が入ってきたのを見て、ルーティは窓を閉めた。


(私は衝動から解放された。世界が違って見えた。だったらお兄ちゃんの世界は?)


 衝動の有無で見えていた世界が変わったように、今も『導き手』の衝動があるレッドが見ている世界と、ルーティが見ている世界は違うのではないか?


(だとしたら……もしお兄ちゃんの衝動が無くなった時、私はどう見えるのかな)


 もしを想像するだけで、ルーティは背筋が恐怖で震えるのを感じた。

 ルーティが『勇者』の衝動に耐え、ルーティという人格を失わなかったのは、すべてレッドの存在があったからだ。

 『勇者』に成り果ててしまえば、レッドに対するこの気持ちも失われてしまう。レッドが死んでも、涙をながすことすら出来ず、悲しむ素振りを見せるのも兄が死んだら『勇者』は悲しむはずだという周りの期待に応えるため。

 そんなこと、ルーティは断じて認めるわけにはいかない。そんな存在に自分が成り果てるなど我慢がならない。兄に対する気持ちだけは、たとえ神様にだって奪わせたりはしない、それがルーティの心の芯だ。

 だからルーティは、どれほどの衝動にさらされても、ルーティであることを止めなかった。


 レッドはルーティを溺愛している。そのことはルーティにもしっかりと伝わっていた。

 なにせルーティの存在は両親にとっても異質で、育児放棄一歩手前の状態だったのだ。それを兄であるレッドただ1人が、父としても母としても兄としても、あらゆる愛情をルーティに注ぎ、村人達の奇異と悪意の視線からも、そして『勇者』からも身体を張って守り続けてくれた。

 誰かを救うことを強制された世界で、レッドただ1人が、ルーティを救ってくれた。


 ルーティにとって、兄であるレッドの存在を言葉で表現するのは難しい。

 それは自分を育む親に対する愛情でもあり、自分を守る兄に対する愛情でもあり、自分を救ってくれて恩人に対する愛情でもあり、そして生涯を共に過ごしたいという恋人に対する愛情でもある。

 この世界に存在するあらゆる種類の愛情を一点に凝縮したような、そんな計り知れない愛情を、ルーティは兄に対して感じていた。


 つまりは、お兄ちゃんに嫌われたら生きていけないレベルなのである。


「う、うぅ……」


 思わず口から嗚咽が漏れた。

 竜の牙で内臓を噛み砕かれても、眉を動かすこともなく自分に“癒しの手”を使って再生していたルーティが、頭の中にある“もし”という疑念だけで苦しんでいる。

 もしレッドの愛情が衝動によってもたらされたもので、本当は自分のことを好きでも何でも無く、無理やり好きであるように強制させられていたとしたら。

 想像するだけでルーティは全身の力が抜け、固いベッドの上に座り込んだ。

 気がつけば、ポタポタと両目から涙がこぼれている。


 もし、もし、ミストームのようにお兄ちゃんと別れることになったら……。


「嫌だよ」


 だが、もし自分が『勇者』の衝動で苦しんでいたように、お兄ちゃんも『導き手』の衝動で苦しんでいたとしたら。今の自分なら触れた相手の衝動を一時的に無くすことができる。もしそれでお兄ちゃんを救えるのなら……。


(お兄ちゃんには嫌われたくない。でもお兄ちゃんには苦しんでほしくない。ただ、幸せになって欲しい)


 ぐるぐるの回る思考の中で、ルーティは独り膝を抱えて泣いていた。

 その時、ノックの音がした。


「ルーティ。入っていいか?」


 聞こえてきた声は、愛するレッドの声。


「お兄ちゃん……うん」


 ルーティは慌てて涙を拭うと、少しかすれた声がそう答えた。

書籍版重版かかりました! ありがとうございます!

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