118話 思い出話の終わりに
俺達がミストーム師の部屋に戻ると、ミストーム師はニコニコしながら迎えてくれた。
「さぁお茶が入りましたよ。飲みながらまた老人の思い出話に付き合ってちょうだいな」
ミストーム師の側を漂うホラーフォッグも運動でもしてきたのか、ぷくっとした満腹状態から少し戻っている気がする。霧の塊だけど。
俺達はテーブルのカップを取った。
すると、周りの景色が豪華絢爛な宮殿のホールへと変わる。50年前の貴族達が、談笑しながら、だが少し緊張した様子でパーティーを楽しんでいた。
再びミスフィアとレオノールが向かい合っている。だが、以前と違いレオノールに余裕はない。その口元は時折痙攣したようにひきつり、手は忙しなく扇を開けたり閉めたりを繰り返していた。
「ゲイゼリク伯爵夫人」
「あら、昔みたいに姉さんでいいのよ」
ミスフィアは笑った。その表情には余裕がある。
二人の姿は対照的だった。
「ゲイゼリク伯爵夫人。確かにあなたは今やヴェロニア王国最大の領地と戦力を持つ大貴族ね。でも所詮は成り上がりものよ、ゲイゼリクには王家に連なる血がない。私のピエトロには王家に連なる血がある。最後に笑うのはこの私よ……!」
「あなたはいつもそればかりねレオノール」
ミスフィアは一度俯き再び顔を上げる。
「ひっ!?」
レオノールは小さく悲鳴をあげた。
そこにはミスフィア姫としての可憐な笑みではない、海賊ミスフィアとしての獰猛な笑みが浮かんでいた。
「血なら私の中に流れているわ」
ミスフィアは自らの心臓の上に手を当てて言い放った。
ミスフィアは窓の外を眺める。ヴェロニア王都の港には巨大な黒鉄の船が浮かんでいる。魔王から奪った海賊覇者ゲイゼリクの旗艦ヴェンディダート。アヴァロン大陸の船では太刀打ちできない無敵の船だ。
この圧倒的な力により、ヴェロニア王国は大陸最強の海軍を手に入れていた。
そして景色が変わる、変わっていく。
炎に包まれるヴェロニア王都。笑うゲイゼリク。
「簒奪の場面か」
俺がそうたずねると、ミストーム師はうなずいた。
「ああそうだよ。交渉も尽くしたんだけど、父上はゲイゼリクを王にすることを認めなかった。オースロ公爵の言いなりだったくせにね。多分、相手が私だから実力行使には出ないと考えていたんだろうけれど……」
王座の間の扉が海賊によって打ち破られる。
「ミスフィア! 気でも狂ったか!」
父親であるヴェロニア王の叫びを、ゲイゼリクの隣に並ぶミスフィアは静かな顔で受け止めた。
「父上、国家は強くなければなりません。オースロ公のような私欲を貪る腐敗貴族に好きなようにされ、度重なる敗戦で領土の大半を失い、ゴブリンキングに襲われる村々を救うことすらできない……このような状況にもかかわらず王宮では、砂の上の権力にしがみつこうと保身のために争い続ける王族達に生きる価値がありましょうか」
「だったら余にどうしろというのだ! 王とは名ばかり、余が手に入れたのは盗賊すら討てぬ貧弱な王軍と堂々と国庫を着服する貴族ども! こんな状況で一体何ができると!」
「何もできないから罪なのです! 王が無能を嘆いたところで、王家を頼る国民達が救えましょうか!?」
ヴェロニア王はミスフィアの糾弾に、がっくりとうなだれた。
「ならば、やることを分かっておるのだろう?」
「はい」
ヴェロニア王はゲイゼリクを、次代のヴェロニア王を見る。
「ゲイゼリク。お主は余と違って力も知恵も、そして勇気もある」
「…………」
「余からお主に言えることは唯一つ……容赦はするな」
「なんだと?」
「王族を1人でも残せば、必ず血を御旗に掲げ、新王家に牙を剥く者が現れる。王を継ぐからには、容赦をしてはならぬ。慈悲は復讐に、寛容は血に、王とはそういうものだ」
ヴェロニア王は剣を抜くと自分の喉に当てる。
「ゲイゼリク、お主が『帝王』の加護を持つというのは本当か?」
「ああ本当だ」
「ならばこれは必然だな。羨ましいものだ。余の加護を知っているか?」
「いや知らん、ミスフィアも知らないと言っていたな」
「喧伝することではないからのう。知っているのはほんの少数だった。余の加護は『薬師』だ。王の人生など、もとより不相応だったのだ……余は、王などではなく、ただ小さな店で薬を売って暮らすような、そんな人生を送りたかったぞ」
ヴェロニア王は寂しそうに笑うと、目をつぶり喉に当てた剣を一気に突き入れた。
側近達が悲鳴を上げる。ゲイゼリクは僅かな間目を閉じ、死んだ王に敬意を示すと、王の訓戒通りに、容赦なく生き残り達を殲滅していった。
☆☆
王座に座るゲイゼリク。隣にはミスフィア。
吹き鳴らされるファンファーレ。
困惑しつつも、待ち望んだ強い王の登場に沸き立つ市民。
反旗を翻した貴族達もすでに鎮圧され、その首をゲイゼリクの部下や同盟者へとすげ替えられた。
リリンララも今や伯爵位。ゲイゼリクの副官達も今やその多くが爵位を持つ貴族だ。
先代ヴェロニア王の時代に独立し、神聖クラール公国を名乗っていたクラーク公爵が逃げてきた貴族達の要請を大義名分に攻めても来たが、ゲイゼリクの再編されたヴェロニア王国軍はこれを撃破。そのままクラーク領へと進軍し、悲願であった旧領回復を成し遂げる。王国の民は新王の強さに歓声をあげた。
何もかも上手く行っていた。
ゲイゼリクとミスフィアの様子も仲睦まじく、2人の顔には笑顔があった。
ゲイゼリクはアヴァロニア王国の介入も跳ね除け、無敵の船ヴェンディダートでフランベルク王国の軍艦ガレアス艦隊を打ち破り、有利な条件で停戦協定を結ぶ。
都市国家レベルにまで衰退していたヴェロニア王国は、再び強国へと返り咲いていった。
☆☆
「血塗られた覇道だったけど、私は幸福だったよ……」
ミストーム師はため息を吐いた。
場面は変わり、三度ミスフィアとレオノールが対峙していた。
場所はどこかの修道院だろうか?
飾りっ気のない廊下だ。
レオノールはこれまでのような豪華なドレスではなく、ありふれた修道服に身を包んでいる。
だがそれより目につくのは、ミスフィアの方だろう。動きやすいドレスの下で、ミスフィアのお腹は大きく膨らんでいた。
「王妃様、もうじきですわね」
王族がことごとく粛清された中、レオノールは生き残っていた。
「ええ、典医が言うのはでは来月の終わりか再来月くらいになるそうよ」
「お世継ぎができましたら、陛下もご安心なさるでしょう。責任重大ですわ。私などのところへ足を運ばず、宮廷でご自愛なさった方がよろしいのでは?」
「あら、心配してくれるの? でも大丈夫。移動は馬車ですし、少しくらいは体を動かしたほうがいいと典医も言っているのですよ」
「それならよろしいのですが」
「あなたの方はどう? 修道院の暮らしも慣れたかしら?」
レオノールはニコリと穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ、静かで穏やかで、いつ自分の立っている場所が崩れてしまうのか怯える必要もない。全員が規則正しく、それぞれの加護に合わせた暮らしをさせてもらえています」
「加護に合わせた暮らしですか」
「私の加護はありふれた『闘士』ですから。機織りと荷運び、それとたまに写本ですわ」
レオノールの顔からは以前の高慢さは無かった。少なくとも表面上は。
「……もしよろしければ、もう少し労役のない修道院に移すこともできるわよ」
「いいえ、私はここが気に入ってますの。それに王妃様ともこうして会うことができますので」
「そう。分かったわ、変なことを聞いてごめんなさい」
「お姉さま。私は平穏な幸せで満足しますわ。でも王宮は危険な場所。そして陛下は野心の強い方です。果たしてお姉さまの寵愛もいつか消えてしまわないものか。私は心配です」
「そのようなことはありません」
「そうですか。何にせよ、決して油断なさらぬように……でなければ、こうして修道女として暮らしている私でさえ得られるような笑顔さえも失ってしまうかもしれませんわよ」
レオノールはそう言って、頭を下げると退室していった。
「レオノールは夫であるピエトロの首をゲイゼリクに差し出し、自らは修道女として王宮から身を引くことを条件に助命されたんだよ」
ミストーム師が言った。
さすがの海賊ミスフィアも、命乞いをする妹を殺すのは忍びなかったのだろう。
「王宮という万魔殿を生き抜いてきた王族なんだ。これくらいの腹芸はできるさ」
俺の言葉にロガーヴィア公国のお姫様であるリットは頷きつつも、ため息をついた。
「でも私は苦手。もっとシンプルに生きたい」
そう言ってリットは俺に抱きつく。
「こうして好きな人にいつでも、どこでも触れ合える今の方がずっといいよ」
「人前ではどうだろう」
俺はリットの身体を抱きとめるが、冒険者ギルド幹部のガラディンとシエン司教は英雄リットの英雄らしからぬ姿に戸惑っている様子だった。
「その通りだね。私も、ただゲイゼリクの隣にいるだけで幸せだった……でも、ゲイゼリクは『帝王』。私はゲイゼリクを王にしなければならなかったのよ。そうでなければ、あの人は私を必要としなくなってしまうから」
場面は変わる。
鮮やかだった世界が、暗い闇に覆い潰される。
これはミストーム師の記憶を再現したもの。その時の感情によって見えている世界は大きく変わる。
ロウソクの灯された部屋で、医師が必死に赤子の尻を叩き、産声をあげさせようとしている。
だが、赤子はぐったりとしたまま動かない。
ベッドに横たわるミスフィアは祈るように赤子を見つめていた。
何が起きたかは明らかだ。
ミスフィアの第一子は死産だったのだ。
「え?」
リットが声を上げた。
「サリウス王子が生まれたのはこの後なの?」
「…………」
ミストーム師は黙ったままだ。その表情は、これまでの飄々とした態度から一転して暗い。
また場面変わる。次々に変わっていく。
「2人連続で死産だなんて……これではお世継ぎは」
「どこの馬の骨とも知れない海賊を王にしようというのだから、デミス神がお怒りなのではないか? 『帝王』の加護? どうせデタラメに決まっているだろう」
「3人目もご懐妊なされたようですけれど、これもダメなら……」
ミスフィアは追い詰められ、ついに両手で耳をふさいだ。
そして。
「お姉さま」
そこには、再びドレスを身にまとったレオノールが居た。
「私、陛下の側室としてお仕えすることになりましたの」
「え、あ……」
「勘違いなさらないで、陛下の愛は今も変わらずあなたのもの。でもね……」
レオノールがミスフィアの耳にそっと囁く。
「あなたと一緒じゃ、陛下は加護の求める夢を失うのよ」
☆☆
俺も含め、ミストーム師の記憶を見ている者たちの表情は暗い。
それはバッドエンドが分かっている物語を読み進めている時のものに近いだろう。だが本と違って、今映し出されているミストーム師の記憶を止めることはできなかった。
ミスフィアはこの3人目の出産に臨んでいた。
やがて生まれた赤子は……泣かなかった。
子の誕生の光景とは奇妙なものだと思う。
赤子が泣けば、母親は笑う。だが赤子が泣かなければ、代わりに親が泣くのだ。
リットはその光景から目を背け、俺の背中に額を当てて呻いた。
ルーティも俺の側に寄り添い、眉を歪めている。
「何が原因だったのかは分からない。当時、死産する者が多かったから、何か流行り病だったのかもしれないね。でも、それすらゲイゼリクのせいにされていた。デミス様がゲイゼリクにお怒りになっているんだとね」
「王は人間が定めた権力者だ。誰が王につこうが神様にとって何の違いがあると言うんだ」
「民は不幸の原因が分からないと不安になるものさ。だからゲイゼリクは一日でも早く先王の血を引く世継ぎが必要だった」
だが、3人目もミスフィアの子は泣かなかった。自分のせいでゲイゼリクが追い詰められていること、そして最愛の人を妹に奪われる恐怖から、ミスフィアは絶望していた。
そこに……ハイエルフのリリンララが現れた。
その腕には生まれたばかりの赤子が1人。
「ミスフィア。ゲイゼリクにはもう後がない」
「リリンララ、その子は」
「あんたの子だよミスフィア」
「な、何を言っているの?」
「今日死んだあの子の母親はあんたじゃない。あんたの知らない誰かの子だ」
「ふ、ふざけないでください! あの子は私の……」
「ふざけてなどいない。言ったろう、ゲイゼリクにはもう後がないと」
ミスフィアは言葉を無くし、リリンララの腕の中で眠るその子を見た。
「第二子が生まれたらなんのかんの理由をつけてそちらに王位を継承させればいい。これ以上はゲイゼリクも待てないんだよ。いくらあんたでも捨てられる」
「ゲイゼリクが……私を捨てる?」
ミスフィアの顔に恐怖が浮かんでいた。
☆☆
幻影の時間は流れるように進んでいく。
成長していくサリウス王子。我が子を溺愛するゲイゼリク王。
そしてその後ろに、引き裂かれるような苦悶の表情でうずくまるミスフィア王妃。
「私はあの人を裏切った。そして今も裏切り続けている」
記憶を反映しているホラーフォッグの幻影は、実際の光景というより、当時のミスフィアの心の中を映しているようだ。
幸せな父子。周囲からの言葉。生まれたことすら消された我が子。
正直、見るのが辛い。
俺達の様子を見て、ミストーム師は目をつぶって頭を下げた
「悪かったね嫌な思いをさせてしまって。でも最初からこれを見せても何のことかわからないだろ? 長い話になってしまったけれど……これでおしまいさ」
王妃の笑顔の裏で、幸せな母親の顔の裏で、少しずつやつれていくミスフィア。
やがて力なく座り込んだ、ミスフィアの妹であるレオノールが現れた。
その腕には小さな赤子が抱かれていた。
「お姉さま」
「レオノール……」
ミスフィアの目は暗く濁っている。かつての賢姫の面影はない。
「陛下の御子を私も賜りましたわ」
「おめでとう……」
「だからもうお姉さまも楽になってくださいな……いつまでも愛する人を騙し続けるのは疲れたでしょう」
「なぜ……それをあなたが……」
ミスフィアにはもう、レオノールに立ち向かう気力がなかった。
眼の前の野心の怪物に怯えるばかりだった。
「私は王宮のことだったら何でも知っているのですよお姉さま。そうでなければ生き残れませんから」
「何が……望みなの?」
「陛下にすべてお話してみるのはいいかもしれませんわね。愛する人に裏切られたことで絶望し、お姉さまを憎悪する姿を見てみたいとは思いますが」
「お願いそれだけは許して……なんでも言う通りにするから」
レオノールは座り込むミスフィアを優しく抱擁した。
「お姉さまは私の命を救ってくれましたわね。だから私も一度だけ慈悲をあげますわ」
「レオノール……」
「ミスフィア。その名は捨てなさい。あなたはもう王妃でも王族でもない。ヴェロニアから遠く離れた辺境の土地で暮らすただの『アークメイジ』。私の邪魔をしないのなら別に何をしててもいいけれど」
レオノールの顔が醜悪に歪んだ。ずっと心の中に溜めていた憎悪を吐き出すように。
「修道院にでも入って、この私の幸せを羨み続けるといい」
パチンと音がして、幻影が掻き消えた。
ミストーム師は額に手を当てながら、疲れた様子で椅子に腰掛けた。
シエン司教とホラーフォッグが気遣うように寄り添っている。
「はい、おしまい」
ミストーム師は震える声で言った。
「私がいなくなったことで、レオノールは正妻になり。レオノールの子が第一継承権を持つことになった。サリウス、あの子は皇太子から一転して、継承権を奪われたのさ。でもゲイゼリクと私との離婚はまだ成立していない。もし私が見つかり、ヴェロニアに戻れば、継承法ではあの子の継承権が1位に戻る。ゲイゼリクが反対しなければだけど」
「それでサリウス王子はあなたを探していたのか」
「だけど私が戻ればレオノールがあの子の秘密をバラす。本当に証拠を握っているのか、あの時の私には調べる気力もなかったけれど……それがあの子にとって本当の破滅となる。あの子の後見人として力を尽くしてきたリリンララにとっても」
だからリリンララはサリウス王子とミストーム師が接触する前に、ミストーム師を亡き者にしようとしたのか。
もしかすると、リリンララは定期的に間者を送ってミストーム師の様子を調べていたのかも知れない。
「酷い母親だ、身勝手な妻だ……分かっているさ。デミス様が私を地獄送りにしても文句は言えないね。でもね、私は、ただ、あの人に嫌われるのが怖かったんだ。あの人が愛しているのが私なのか、あの人の加護が愛している王座なのか、私には分からなかった……捨てられるのが怖かったんだよ」
これが今回の事件の裏側。
1人のお婆さんの人生と、1つの王国の未来が、何の因果が辺境ゾルタンを舞台に精算される。
(とはいえ、まだ腑に落ちないところはあるけどな)
俺の心の中の疑問が伝わったのか、ティセが軽くうなずいた。
「交渉のカードは出揃いました。あとの秘密は直接リリンララから聞きましょう」
そう言って目標を明らかにするティセだったが、ルーティの方はミストーム師の半生を憂うように、赤い瞳を伏せていたのだった。