108話 女海賊は感嘆する
テーブルを挟んでサリウス王子、リリンララ、トーネード市長が席に座る。
王子の背後には、ハイエルフの護衛が2人。端整なエルフの顔に走る無数の刀傷や火傷の痕は、彼らが修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の海兵であることを雄弁に語っていた。
「さて、良い話を持ってきてくれたのかい?」
口調に親しみを込めて、しかしその視線にはまるで自分の家来に向けるかのような横柄なものが混じりながら王子は言う。
市長は不快感から僅かに眉をひそめたが、笑みを崩さなかった。
「それが、教会から激しい反発を受けてましてね。なにせ前代未聞のことで。そこはご理解いただけると思いますが。現在、司教を説得中でして。今しばらくお時間をいただければ良い結果をお伝えできると思いますが。司教も現実は分かっているでしょうし、おそらく抵抗したというポーズが必要なのでしょうとも。ええ、何も問題ありません。ただ、お時間さえいただければ解決できるでしょう。我々としてもヴェロニアのサリウス王子の頼みとありましては、是非協力したいとゾルタンの上層部はみな思っているのですよ」
そこまで喋り終えると、市長はハンカチで額の汗をぬぐった。
市長が話している途中で、王子の顔から笑顔が消え、無表情でじっと市長の目を睨みつけていたからだ。
市長はプレッシャーで高速で脈打つ胸に鈍い痛みを感じたが、ぐっと唇を噛み締め、弱みを見せまいとこらえていた。
「なるほど、教会は反発しているか」
「目下説得中でして」
コツコツと王子の指がテーブルを叩く音がする。
王子の表情にはあきらかなイラつきが見えた。
ルーティはそれを少し不思議そうに見つめる。
(反発があることくらい予想できただろうに。規模だけでいえばアヴァロニアの最大勢力たる教会が相手。王子として長年政治の場にいたサリウスにそれが分からないなんてことはないでしょう)
ルーティは兜の中からじっと王子の顔を見た。
(……分からない)
そもそも自分はそういうのは苦手なのだ。他人の考えていることを推し量るというのが、どうもできない。ルーティは「むぅ」と顔をしかめる。
これはルーティが『勇者』の加護によって、人間的感情のいくつかを知らないままに成長したためで、ティセをさんざん脅かした時もそうだったのだが、相手の感情に共感する経験が圧倒的に不足しているのだ。ルーティの精神面が他の人間に比べて異質過ぎるというのもある。
しかも、これまでルーティは兄であるレッド以外まったく眼中になく、感情の機微が必要な交渉関係はそのレッドがやっていたので、最近まで自分が実はコミュニケーションが絶望的に下手であるという自覚がなかった。
(お兄ちゃんには通じるからいいもん)
『勇者』をやめてゾルタンで暮らすようになったルーティは、コミュニケーションを改善する必要性は感じつつも、レッドなら自分をわかってくれるという駄目な方向に幸福感を感じ、そして今はティセに丸投げすることにした。
(はいはい、分かってますよ)
ティセは万事分かっていると言うように、ちょっと困ったように笑って、ルーティのかわりに王子を観察する。
(あれは焦りね)
優位のはずの王子の心に浮かんでいるのは焦りだった。
腹芸ができないタイプというわけではないだろう。今も、表面上は相手を威圧するために不快感を示しているという体裁を取り繕っている。交渉の達人とは言えないだろうが、一般的な王族程度の交渉能力はあるようだ。そうティセは分析した。
(つまり、王子側にとって、探している人物はそれだけ重要で、さらに時間制限もあると)
それだけの情報と、昨日のレッドの話を合わせれば見えてくるものも広がってくる。
あとはその見えてきたものが錯覚でないか、裏付けていくだけ……
(……!)
その時、ティセの背筋に冷たいものが走った。
ティセを左目で静かに睨むリリンララの視線が、ティセを射抜いていた。
(いきなり殺気を叩きつけられたなぁ。さすが元海賊。いや、今でも現役の海賊かな)
リリンララの視線から感じる殺気は、研ぎ澄まされた名剣というより、何人もの命を奪ってきた血塗られた刃にたとえるべきだと、ティセは思った。
(まぁルーティ様と出会った時の方がよっぽど怖かったけど)
当時の頃が思い出され、ティセの口元に思わず微笑が浮かんだ。
危ないとティセはすぐに気を引き締める。
そうこうしているうちに会談は終わったようだ。
いくら王子が焦ろうとも、ここで拳を振り上げ強権を発動することはできない。教会の反発は予想通りであり、ゾルタン当局が教会を説得するよう働きかけるというのは十分すぎる譲歩だからだ。
リリンララも次回交渉まで最低13日間の猶予が必要という市長の意見に同意し、王子は不満そうながらも市長の提案を受け入れた。
ひとまず、ゾルタンはルーティの狙い通り、人探しをするための猶予を得たのだった。
ヴェロニアの軍船から降りるとき、小さな影がピョンとティセの背中に飛んだ。
「お疲れ様」
ティセは、単独で船の中を調べてくれていた頼れる小さな相棒をねぎらう。
うげうげさんは、「余裕だぜ」とでも言うように、両手をゆるく振っていた。
☆☆
コツコツと板張りの床をブーツが叩く音がする。
船室の中を忙しなく歩いているのは、ハイエルフのリリンララだ。
「あの小娘、何者だ?」
リリンララは『海賊』の加護を持つ天性の海賊だ。ハイエルフの集落を飛び出し、各地に散る犯罪者になってしまうような、加護を持った仲間を集め、ブルグンド、ヴェロニア、アヴァロニアの三王国を股にかけ、血なまぐさい伝説と共に名を挙げてきた。
戦いの中で、彼女の加護はヴェロニア王国では海賊覇者ゲイゼリクに次いで高いと自負している。
そのリリンララのスキル“ストロングインプレッション”は、殺気を叩きつけることで相手を恐慌させ正常な判断力を奪うスキルだ。
こんな辺境の果てのようなゾルタンに、自分のスキルに耐えられる精神を持つ者がいるはずはないと彼女は思っていたのだが……。
「あの小娘、私のスキルを受けて平気などころか笑っただと」
先程の視線の応酬は、お互い剣の切っ先を合わせた程度のものだ。
だがそこで、市長の護衛だというあの少女は、リリンララの傲慢な一撃を見事に斬って落とした。敵ながら見事というほかないと、リリンララは悔しさと感嘆が混じったため息を漏らす。
「この国を舐めるな。そういう意味を込めた笑いだろうね」
ゾルタン側が出した猶予案に乗ったのも、このゾルタンが考えていたほど与しやすい相手ではなかったと認識したためだ。リリンララはこのゾルタンの英雄達についても、しっかりと調べ対策を立てる必要性を感じたのだ。
「ここに住んでいる奴らがどんな財宝を持っているのかすら調べなかったのは、私の怠慢だ。海賊として恥ずべき失敗だ」
リリンララの口が横に伸びる。最近は見せていなかった獰猛な笑みがリリンララの顔に広がった。
「上等だ」
リリンララはそう鋭くつぶやくと、連れてきた部下の顔を思い浮かべながら、誰にどの役目を割り振るか、考え出したのだった。