107話 王子と海賊ハイエルフ
俺たちは貸本屋で本を借り、それから店に戻ると扉の鍵が開いていた。
「お帰りお兄ちゃん、リット」
扉を開けると、ルーティが出迎えた。合鍵を渡してあったので、別に不思議はない。もっとも、ルーティもティセも、市販の鍵くらいどうとでもできるだろうが。
「はい」
ルーティが手を差し出す。
「ありがと」
俺は着ていた上着をルーティに手渡した。
ルーティは上着を外套掛けへとかける。
「えへへ」
なぜかとても満足そうだ。
「リットも」
「ありがとう」
同じようにルーティはリットのローブを受け取ると、ブラシでホコリを取ってからクローゼットへ片付けに行った。
居間へ向かうと、ティセがコーヒーを飲みながらゾルタン市街の地図を眺めていた。
リットのローブを片付けたルーティもすぐに戻ってくる。
「モーエンもガラディンもいなかったよ、どうやらミストーム師も含め、先代Bランクパーティー全員が一緒になって行動しているらしい。それぞれの部下には行き先も告げずにだ」
「やっぱり。私も教会に情報を求める文面の草案を見てもらいに教会に行ったけれど、シエン司教はいなかった」
「そちらもか」
「司祭の人に代わりに見てもらって話は詰めたけど、その人も司教の行き先は知らないって」
予想通りというべきか。しかし、モーエンやガラディンと違い、シエン司教がいないというのはいくらなんでもおかしい。
シエン司教の役職である司教とは、別名を教区長とも言う。
教区、ここではゾルタン全域のことを指し、ゾルタンや周辺の集落にある教会すべてを管理するトップであり、下の階位である司祭や助祭の叙任権、つまり人事の関する一切の権利を持つ。理屈上は、シエン司教の一存で自由にゾルタンの教会の人間を入れ替えることもできるのだ。
今回の、ヴェロニアの要求に反対している張本人こそがシエン司教といってもいい。その彼が、ゾルタンで陣頭指揮を取るべきところにいなくなるなど、普通では考えられないことだ。
のんきなゾルタン人達だから先代Bランクパーティーの復活を無邪気に喜んだりしているが、明らかな異常事態である。
「まぁ様子がおかしいのはわかりきっていることか。リット」
「うん」
リットは腰のアイテムボックスから、何冊もの本をテーブルに並べた。
本はどれも同じサイズで、それほど分厚くはない。またどれも日焼けして色あせていた。
紙の質もよくなく、保存状態も悪かったため若干虫食いも発生している。
「これは?」
「ゾルタン新聞だ」
「新聞?」
「一冊につき一年分の新聞が収録されている」
ゾルタンの新聞は、木版刷りの週刊新聞だ。1枚の紙に一週間分の出来事が印刷され、コモーン銅貨10枚で取引されている。
そうした新聞を1年分まとめて本に綴じたものが、貸本屋で貸し出されているのだ。読んでみるとわりと面白い。
「ここにあるのはミストーム師がゾルタンに来た頃のものだ。50年前から去年まであるだけの新聞を借りてきた」
「よくそんな昔のも残ってましたね」
ティセが興味深そうに本をパラパラとめくる。
「前に倉庫の虫除け薬を相談されたことがあってね。その時、倉庫の奥の方に新聞の冊子が大量に押し込められているのを見かけたんだよ」
「レッドって色々頼られてるよね」
レッド&リット薬草店を開店してから数ヶ月。モンスター討伐なんて依頼は受けていないが、虫除けの薬草や、サウナに使う香り袋など、普段に暮らしに必要な薬草を採取したり調合したりといった依頼は受けてきた。
今回は、それが役に立った。
「俺とリットはミストーム師達とヴェロニアを結びつけるようなものが無いか調べてみるよ」
「手伝ってくれてありがとうお兄ちゃん」
「モーエンから話を聞いてくるって、ルーティと約束したからな」
「うん」
俺がそう言うと、ルーティは嬉しそうに口元を緩めた。
☆☆
翌日、朝。
ゾルタン軍なけなしの帆船に乗ってトーネード市長は、サリウス王子が乗る軍船へと向かっていた。
ゾルタン海軍……といっても、船員達は普段は交易船や漁船の船員として働いている者達で、まともな海戦の経験など無い。
船の操舵につきものの、タイミングをあわせる掛け声も不安で小さくなっている。
「それも仕方ないだろう」
トーネード市長は、近づくにつれその巨大なガレー船の持つ迫力に飲まれそうになるのを必死でこらえていた。
船に詳しく無い市長ですらこうなのだから、船の知識を持つ船員達の怯えは凄まじいものだろう。
なにせ、彼らはもし目の前の軍船が、ほんの気まぐれを起こしたりすれば、自分たちは何の抵抗もできず、小枝でも折るように皆殺しにされるであろうことを理解しているのだから。
もっとも、実際にヴェロニアが気まぐれを起こしたりなどしたら、後悔するのは彼らの方になるだろう。
なにせここには人類最強の『勇者』と『アサシン』が乗っているのだから。
「あなた方が同行してくれて安心するよ」
市長は傍らに立つ2人の女性に礼を言った。
「ティファ君と、ル……ええっと、白騎士殿で良かったのだったかな」
「うん」
ティセはいつも軽装にショートソードやスローイングナイフを隠し持つスタイルだが、ルーティの恰好がいつもと違った。
今日のルーティは、全身鎧に身を包み、顔全体を覆う兜を被っていた。
胸にはライオンの紋章。この紋章は誰にも属さず、ただ自己鍛錬と名声を求める遊歴の騎士が使うものだ。
(ヴェロニアには行ったこと無かったけれど、大国の王族ともなると、どこかで私の顔を見ているかもしれない)
旅立ちの頃から魔王軍に狙われるのを警戒したレッドが、ルーティの顔を絵画などに残さないよう徹底していたため、その高名に反し、ルーティの顔を知るものは直接会った者に限られていた。
そのため、サリウス王子がルーティの顔を知っている可能性は低いのだが、念の為にルーティは顔と姿を鎧兜で隠していたのだった。
2人の同行は、表向きは市長の護衛だが、サリウス王子の姿や話す言葉を直接聞いておきたいという目的のためのものだ。
とはいえ、王子と交渉するにはまだ情報が不足している。今回は相手の顔を下見する程度のものである。ルーティ達も発言するつもりはなく、護衛として同席するだけだ。
やがて巨大なヴェロニアの軍船の横に、子供のようなゾルタンの帆船が接舷した。
船の頭上には、ガレー船特有の巨大な櫂が、無数のギロチンのようにかかげられており、より一層の圧力をゾルタン側の船員に与えていた。
上からはしごが降ろされ、市長、ルーティ、ティセ、それと護衛の兵士達が3人軍船へと乗り込む。
ヴェロニアの兵士達が着ているのは袖のないチョッキ状の鎖帷子だけ。これは重い鎧を身につけると、海に落ちた時に泳げなくなるからだ。武器はカットラスという刀身70センチ前後の曲刀と、鍔の広いダガーだ。背中には弓と矢を担いでいる。
洋上の太陽で鎖帷子が熱くならないよう、上からよれよれのシャツを着ていることもあり、その姿は正規軍というより、海賊という印象をティセは受けた。
「やあ、親愛なるゾルタンの友よ。昨日ぶりだな」
船室への扉から現れたのは、日焼けした顔に笑みを浮かべる見た目は30代後半くらいの男。だが実年齢は50歳前後だとルーティは聞いている。
「冬海の甲板は身体に毒です。中へどうぞ」
男の3歩ほど後ろに立つのは、銀色の髪をまとめサイドに垂らした美女。その耳は長く、そして眼帯で覆った右目には縦に真っ直ぐ走る刀傷。
「妖精海賊団のリリンララ」
ティセが小さくつぶやいた。
50年以上も前、海賊覇者ゲイゼリクと共にその残虐さで恐れられたハイエルフ達によって構成される珍しい海賊。その名を妖精海賊団。
ゲイゼリクが先代ヴェロニア国王を裏切り、王都を襲撃した時に、リリンララ率いる妖精海賊団も協力し、ヴェロニア軍を撃破したと言われている。
戦いの後、リリンララや妖精海賊団の幹部達は、王となったゲイゼリクの元でヴェロニアの要職につき、長命なハイエルフ達は今もヴェロニア中枢の椅子に座っていた。
(影武者の可能性もあるけど、あの傷は話に聞くリリンララと同じ。ということはゲイゼリクのかつての同盟者……ゲイゼリクにつぐヴェロニアの大幹部がわざわざゾルタンに?)
目の前にいるのは正真正銘、ヴェロニアの王位を継ぐ可能性のある王子と王に次ぐ大権力者のハイエルフ。
ティセがリリンララのことをそっと市長に耳打ちすると、市長のトーネードは顔を青くした。
ゾルタンでは切れ者で豪胆と評価されているトーネードだが、さすがの彼も今回の件は完全に許容量を超えている。
「大丈夫」
不安そうに怯える市長に、ルーティは兜の中から言った。
「誰が相手でも市長のやることは変わらない」
「そ、そうだな」
ルーティの声には一切の動揺がなかった。市長はその声に勇気づけられ、ゾルタンの最高権力者としての態度を取り戻した。
ゾルタン共和国は開拓者によって辺境に建国された都市国家にすぎない。だが、それでも国は国なのだ。両国の格差は歴然とはいえ、王子相手にへりくだるいわれはない。
「では、案内をよろしく頼みますぞ」
若干、声が震えてはいるが、市長はニコリと笑ってリリンララにそう言った。
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