alternative romance
新宿駅、東南口の近く、ガード下でうずくまる彼女、つまりは伊吹未来だ。
路肩にはビールとホッピーと焼酎と、あとは……何がなんだかわからない、かつては食物であったであろう物体が、ディスポーザーにかけられたような汚物として撒き散らされている。つまりは、そう。彼女の嘔吐物だ。
「おい! とにかくこれでも飲め!」俺は彼女の肩をミネラルウォーターのボトルで、トントンと叩いた。
「うん……、ありがと、……うっ!」そして、彼女は新たな汚物をぶちまける。
「はあ……」俺はウンザリしながら、彼女がすべて吐き出すのを待ってやった。
タクシーを捕まえるのに成功したのはそれから四十五分後だった。
彼女の自転車を運ぶ必要があったので、ワンボックスタイプのタクシーを使えるのに手間取った。
自転車をハッチバックに押し込み、伊吹を後部座席に押し込む。
『アダチサマ、ゴジタク、ナカノ、ケイユノ、イブキサマ、ゴジタク、コクブンジシ、デ、ヨロシイデスカ?』ドライバーロボットが尋ねてきた。
国分寺市? 伊吹はそんな遠くから自転車で通学しているのか?
「国分寺までだと、いくらだ?」俺はドライバーロボットに尋ねた。
『シツレイデスガ、オフタリノ、ショジキン。アワセテモ、タリナイヨウデス』
くそ! なんでこいつはそんな遠くから!
「……いいよ。透……、私、帰れるから……」焦点の定まらない目で、彼女はそう言った。
「帰れるわけねーだろ! バカ! いいよ。俺の自宅だ!」
『ショウチシマシタ。シートベルトヲ、ゴチャクヨウクダサイ』
東中野の俺のアパートの前まで来ると、意外にも伊吹は正気を取り戻していた。
軋む階段を上り、扉の前で一応聞いてみる。
「……別に、変な企みはないから……。今日は泊まっていけよ」
「……うん。ごめんね……」
彼女は呟いた。
「何にも出せないけど……、まあ、どうぞ」
なんてギクシャクとした台詞だろう。
俺は彼女を自室に招き入れた。
何故か、先ほどまでと打って変わって、彼女の足取りはしっかりしている。
そして、俺の自慢のショーケースをまじまじと見ている。
「……やっぱり。軍事オタクなんだ……」
「うるせー! 古典的サブカルオタクに言われたくない」
ショーケースに飾られてあるのは、旧旧ドイツ軍の戦車レオパルト1のプラモデルだ。51ミリ主砲を搭載した、俺がもっとも好きな戦車。
「男って、どうしてこういうのが好きなのかしら?」
男とは、俺の他に誰のことを言っているのだろう? ああ、あの男か……。
「アザラシみたいな元彼の先輩は、何が好きだったんだ?」お互い酔っ払っているのだから、デリカシーなど無用だろう。
「ロコモーティブ……」
「ん? なんだ、それ?」
「蒸気機関車よ。薪燃料を燃やして突き進む様が、男としてはロマンなんですって……」
「なあ……」さすがの俺ですら、この質問は躊躇った。条件設定がアルコールのせいで曖昧になっているのだろう。いや、単純にデリカシーの問題か。「あの先輩とは、……ヤッたのか?」
彼女は不機嫌になるだろう。それはシュミレーション・プログラムがなくたってわかる。
どんな罵詈雑言を浴びせられるのだろう。その覚悟はあった。
しかし、彼女の言葉は意外なものだった。
「……あんたは、私とヤリたいと思う?」
やはり。腐れ縁だ。そういう事にだけはなりたくなかったのに。
「それが、本物の愛と言えるか?」
「さあ……、でもそれがわからないから、私達は苦しんでいる」
「それが証明になるか?」
「あなたは経験したことがあるの? 本物の愛を……」
「ない」それははっきりとした、確かな意志を伝えた。
「じゃあ、実験をしなきゃ……」彼女はその身体を俺にもたらせた。
「……俺は、お前が嫌いだ」そう言いながら、彼女の髪から発せられる甘い香に、気が遠くなった。
「知ってるよ」彼女はそう言った。
俺と彼女は、何故かこうして抱き合っている。
なんだこれは? まるで”極めて原始的な恋愛のはじまり”ではないか?
AIとか、代理人格に縛れることなく、”本物の愛”を証明しよう! それが、
それが……、
俺たちならできる。
きっとできる……。
だけど……。
「もう寝ろよ。あと三ヶ月しかない」俺は言った。
「後悔しない?」悪魔の笑みをたたえ彼女が言った。
「しないよ。俺とお前の間にあるのは、信頼だけだ。”愛”ではない」
「信頼なんて、同じくらい曖昧じゃない?」
「いや。郷田教授もよく言うんだ。”信頼は時にちゃんと言葉にしなきゃ。”ってね」
「じゃあ。その言葉を頂戴」
その、伊吹の仕草に、俺の心はギュウっと、音を立てて絞られるような気がした。
「俺は、お前が嫌いだ」……だが、そう言ってやった。
「知ってる……」
その酒臭い言葉は俺の唇のすぐ手前、約一センチのところで発せられた。