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何故、俺が、ライバルともいえる伊吹未来と一緒に課題に取り組んでいるのか?
その提案をしたのは伊吹の方からだった。
同じAI学部と言えど、人口心理開発学科の俺と、ロボット工学科の伊吹とでは、得意不得意分野が厳密に言えばまったく違う。
そのような二人が同じ課題で競い合うのはフェアではない。
なので、いっそ協力体制を築き、まったく同じアプローチで課題制作を行い、まったく同じモノを作り、その精度を競い合おう。とのことだった。
郷田教授に念のためお伺いをたてると、「好きにしなさい」とのことだった。
しかし、俺はたった一瞬だけ迷った。
そう、俺は伊吹の性格は受け入れられない。しかし、彼女の能力については……。
彼女は間違いなく天才だ。伊吹と共同でAIを作るとなれば、きっと凄いものが作れる。
俺はその欲求に素直に従った。従わざるを得なかった。
初めて伊吹と出会ったのは、高校の頃、AIインターハイの会場でだった。俺も伊吹も二年生だった。
彼女は優勝。俺は準優勝だった。
肩を落とし、控え室へ向かう廊下で、彼女が俺を呼び止めた。そして彼女は俺にこう言った。「総合では私の勝ちだけど。アイディアは君の方が上かな。まあ、お互いこれからも頑張ろうよ」
まだ彼女の髪は黒かったし、俺はダサイ詰め襟を着ていた。
嫌な女だ――。それが彼女に対する第一印象だった。
しかし、同時に予感もした。
同じ年齢、同じ分野で、同じだけの能力を持った人間同士。つまり腐れ縁のはじまりを予感した。そして、その予感は当たっていた。
俺は新宿の居酒屋で一人、キーボードを叩いていた。レイバン製のVRアイウェアには膨大な文字列が映し出されている。
そこに、給仕ロボットが床を滑ってきた。
『アダチサマ、オツレサマガ、オイデニナリマシタ』
「ごめーん! お待たせ!」伊吹が言った。
彼女の配慮に欠ける大声も、居酒屋の喧騒の中でなら気にならない。ここにして正解だったようだ。
「あいかわらずだな。安定の十分遅れ」
「バイトが上がれなくってさ。別に先に飲んでてくれてよかったのに」
「まあいい……。俺は生な」給仕ロボットに向かって言った。
「あ! 私も!」
俺は少々驚いた。給仕用ロボットも驚いたようにセンサー・アイをキュルキュルと動かした。
「ビール、飲めるのか?」
彼女は甘いカクテルしか飲めないと思っていた。
「やっぱ仕事のあとはビールでしょ!」
「ってことは、お前今日も自転車か?」俺は呆れた眼差しを向けた。
彼女は自転車便のバイトをしている。企業間の緊急の紙媒体を運ぶ仕事だ。
大昔はそのような企業も隆盛を極めたらしいが、現在でも極少数存在はしている。この国にはどうしてか判子を突くという風習が絶滅することはないらしく、紙媒体がなくなることはないようだ。
「そうよ。都心なら電車よりずっと便利よ」
「あのなー。飲酒運転って知ってるか? 自分で操作操縦する乗り物に乗る時は……」
「わかったわよ! 押して帰ればいいんでしょ!」
給仕ロボットが二人分のジョッキを運んできた。
『アダチサマ、イマナラカラアゲガ、アゲタテデス。イカガデスカ?』
「じゃあ頼むよ」
『イブキサマ、シーザーサラダハ、イカガデスカ?』
「今日はいらない。タコワサちょうだい」
『……カシコマリマシタ……』
給仕ロボットは何か解せないといった様子で去っていった。
「タコワサ?」
「あれ? 嫌いだった?」
「いや、俺は好きだけどさ、伊吹は好きだったっけ?」
「……まあ、いいじゃない!」
「そんな気まぐれなことしてると、代理人格の精度が下がるぞ」
「ホント、細かい男ねー。いいじゃない。とりあえずは、乾杯でしょ!」
「それには賛成する」
「よし! ほいじゃ、カンパーイ!」
ガンっとジョッキをぶつけ合い、二人して半分ほどを流し込む。
「かー! やっぱいいわねー!」
「んじゃ、早速はじめるぞ。VRかけろよ」
「待って。その前にさ、ちょっとこれ見てよ!」
ガサゴソと伊吹がメッセンジャーバッグから取り出したのは、古臭いデザインの液晶端末だった。
「なんだそりゃ?」
「知らないの? スマートフォンよ。最終世代の」
「またそんなものを……。どこで見つけたんだ?」
「アキバのジャンク屋で。千円だったから」
「何に使うんだ?」
「とりあえずデータ復旧できるかなーって。昔の人たちがどんなネットワーク・コミュニケーションをしていたのか、興味あってね」
「確か、その頃って、SNSの黎明期だろ?」
「そうそう。お金払って男女の出会いを提供するサービスもあったとか」
「なんだそれ?」
「信じられないわよねー」
「ああ……、でもちょっと前に、学内でも問題にならなかったか? 代理人格同士にセックスをさせるシュミレーションプログラムを使ったSNSがあるとか」
伊吹は少々不機嫌そうな顔になった。下品な話題が好きだろうから、ちょっとしたサービスのつもりだったのだが……。まったく、これだからデリカシーというものはコストがかかる。
「……知ってるか?」俺は強引に話の着地点を修正した。「そのSNSにバグを仕掛けて壊滅させたの、郷田教授らしいぜ。やっぱあの教授ってすげーよな。AI研究の権威っていうのも伊達じゃない」
「なんでそんなこと知ってるの?」伊吹は聞いてきた。
彼女の不機嫌の数値は少々下がったようだ。何故に俺はこいつにこんなにも気を使っているんだ?
「それはさ、学内のサーバーにある、トラッシュ・ボックスを覗いたんだ」
「え? あそこに入れるの?!」
「ふっ、俺の得意分野は、何を隠そう、ハッキングだぜ! 防御プログラムと、ステルス・プログラムによってパトロール・プログラムを完全に欺ける。ただし! ディスポーザーに近付かなければな。もし万が一ディスポーザーに巻き込まれたら俺の代理人格は粉々に噛み砕かれちまう。二十年間の俺の人生のデータがバラバラにされて無意味な文字群としてクラウドの中に散る。……だけど、その手前までなら行ける」
そこには、学部の生徒達が作った膨大なプログラムが、処分される時を待っている。
俺はそのゴミの中から時々使えそうなプログラムを拝借している。
「あんたの天才的作業スピードの秘密が、今解明されたわ」
「企業秘密だ。誰にも言うなよ」
「わかったわ。そのかわり、時々私にも使えそうなの回してよ」
「お安い御用だ」
「で、どうなの進捗は?」伊吹はオークリー製のVRアイウェアをかけた。フレームが赤いやつだ。
「よし。まずこれを見てくれ」俺はキーボードを叩いた。
二人のVRには同じものが映されている。
「……なるほどね。危険因子をフィールドに組み込むわけだ。……で、この自己防衛システムは、あなたが作ったの?」
「もちろん。中学の頃にな」
「すごい! 条件設定が天才的ね。自己との共通点が多い他者に対しても防衛範囲を広げられるわけね。でも……、これは元々何のために作ったの?」
「そりゃあ、軍事的なものさ。自己だけを守るのではなく、味方も守る。そういうものを目指した」
「ひょっとして、あんた、軍事オタク?」
「否定はしない……。とにかくだ、自己だけでなく他者も守る。これが人間で言うところの、”愛”というものに近い気がしたんだ」
「うん! いいんじゃない。見えてきたわね。で、フィールドはどうするの? やっぱり一から作る?」
「まさか! コストがかかりすぎる。フィールドのプログラムなんて、探せばフリー素材がいくらでもネットに落ちてるだろ?」
「じゃあ、これから丁度いいのを探す?」
「一応、これなんかどうだろう? っていうのを一つ見つけてきた」
「なになに?! どんなの?」
「これだよ!」俺はEnterキーを押した。
二人のVRに広がるのは荒涼とした大地。所々に朽ちた街が点在している。
「おお! これいいよ! 凄い綺麗なフィールド! 余計なプログラムが無くて、凄く綺麗!」
「だろ? 元々はゲーム用の素材らしい。タイトルは”終末世界”」
「終末の世界でAI同士が恋に墜ちるか? ……あんたって、もしかして案外ロマンチスト?」
「古い言葉だなあ……、だけど、否定はしない。……あとは、とにかくこのありとあらゆる材料をぶち込める容量……、つまり”容器”の方は任せたぞ」
「了解!」
「しかし……、この時代にハードを組むとはな……」
きっと、彼女はまたアキバのジャンク・ショップを回って、部品や材料を集めて、前時代的な手作業をするのだろう。
ドライバーと、ハンダゴテで。……そう、それこそが、この伊吹未来の超得意分野だ。
「超重要機密事項を、誰かのプログラムと一緒にどこかのクラウドに預けるなんて、ぞっとするわ! 勝負下着をランドリーに預ける様なもんよ!」
どんなものかは想像したくもないが、勝負下着の色は伊吹にとっては超重要事項らしい。
「案外、その感覚もロマンチストと言えなくもないか……」
「んー。……どちらかと言えば、私の”宗教”かな?」
「ほう。そうきましたか……。じゃあ伊吹にとっての”神様”はなんだ?」
「カーボン・フレームの自転車!」
「は?」俺は意外な返事に面食らってしまった。「まさか、自転車が、”愛”とか”希望”を与えてくださるのか?」
「私、”希望”って言葉が一番嫌い。そんな曖昧なものにすがった連中はことごとく衰退したわ」
「いやいや、”希望”は大事だ。もうどうしようもないって時、一本の藁さえも”希望”になるらしいからな」
「ふんっ! 私は、百パーセントを自分がコントロールできる物質しか信じない。それが、私の宗教」
「AI開発には不向きな宗教な気がするが……。それに、この時代じゃ異端とみなされるな」
「何言ってんの? 自転車は素晴らしいわよ! 大きなギヤを回して、その駆動を小さなギヤに伝える。すると、それは大きな動力になるのよ! こんなにもシンプルで偉大なプログラムを、あなたは組めるの?」
俺は考えた。そして気付いた。ああ……、そうか。……今回も俺は負けてしまったらしい。
「……それは、物理だ。自然界の法則だよ……、それは……、そう。そのプログラムを組んだのは……、きっと神様だ」