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終末のヴェロシティ  作者: 三崎 剛史
20/22

our verocity

 ジリリリリリリリン! っと、けたたましいベルの音。

 「起床!」廊下から声が響く。

 それを合図に、布団を被った同部屋の連中がもぞもぞと動き出す。

 午前七時。

 皆一斉に、布団を畳み始めた。

 二段ベッドが二台ある、広さ六畳ほどの部屋。俺以外の三人は部屋を掃除するためにバケツと雑巾を用意しはじめていた。

 彼らに俺は「ごめん」とだけ声をかけて一人部屋を出る。皆、俺が炊事当番だということを知っているので、何も言わない。

 ここでの生活は極めて原始的だ。代理人格端末ドッグ・タグは没収されているので、ありとあらゆることを手作業で行わなくてはならない。業務用炊飯器は、わざわざボタンを指で押さなくてはならないし。お湯を沸かすにも、ガスコンロに火をつけなくちゃならない。信じられないことだが、文明の水準が百年ほど前のそれを強いられている。

 しかし、ジャガイモという食材には、元々皮が張っていて、芽の部分には毒があるということを知れたし、魚という食材が元々はあんなにもグロテスクな水生生物だということを知れたのは貴重な学びだと思う。

 そして、不思議なことに、この極めて原始的な生活を強いられて一週間。俺の心の中は妙な充足感で満たされている。きっと、文明の力に極力頼らない生活が、俺の中にある人間としての原始的な何かを呼び覚まそうとしているのかもしれない。それは、朝の光を浴びて背伸びをする瞬間に。俺が作ったジャガイモの味噌汁を皆が「うまい!」と褒めてくれた時に。代理人格端末ドッグ・タグなしで、他人との意志の確認ができた時に……。それらは、俺がこの人生の中で経験してきたどんな感情よりも密度の濃い、……小さな”幸せ”の連続だった。

 朝食の後には自由時間が待っている。

 俺は、アナログ時計を見ながら、経験したことのない、妙に落ち着かない気持ちを堪えていた。


 午前十時。自由時間のはじまりだ。

 俺は、通用口から外へ出た。

 そして、駐輪場にある、ロードバイクを引っ張り出した。

 彼女が組み上げてくれた自転車。アシスト機能も、制御AIも搭載されていない。クローム・モリ・ブデン鋼がフレームの原材料だという、ビンテージ品だ。

 俺は河沿いの道を走る。

 青臭い夏の風を受け、夏らしい威勢の良い日差しを浴びて、息を切らし、頬をつたう汗を袖で拭い。俺は走った。

 河川敷を見下ろせば、網を持った子供をつれた若い家族の姿。

 おそらく、鮎を採りにきているのだろう。ナノ・マシンによって河川の水質は千年前のそれと同じにまで回復したと聞く。秋にはきっと、何千匹、何万匹の鮎が、故郷である海を目指す姿を見ることができるのであろう。

 俺は、待ち合わせの場所へ急いだ。クルクル、クルクルと、ペダルを回して。

 

 彼女は、いつもどおり、水門の壁にもたれて、俺を待ってくれていた。

 傍らには悪趣味な自転車ピスト。カーボン製の太いフレーム、色は赤。そこに、なんだかわけのわからないステッカーをべたべたと貼っている。

 そう、彼女こそ、待ち合わせの相手、俺の”腐れ縁”……。そして、俺の恋人。

 ロボット工学科、二年。伊吹未来いぶきみらいだ。

 「おそーい!」彼女は言う。

 「これでもぶっ飛ばしてきたんだよ!」

 この合宿中、俺と伊吹は毎日こうして自由時間を過ごしている。

 ”この合宿”とは、郷田教授が主催する夏季講習合宿だった。俺と伊吹が共に犯してしまった不正。それを見逃す代わりに、この合宿への強制参加が命じられたのだ。そして、午後からは、あの、悪名高い、郷田教授による『倫理』の講義が控えている。

 当然ながら、二人とも特待インターンシップ生になる権利を剥奪された。かわりに、名誉ある我が校初となるニュートロン・ワークス㈱への特待インターンシップ生に選ばれたのは、繰り上げ当選という形で、ある先輩が選ばれた。

 合宿に出発する前日、俺と伊吹はVRで学内報を見ていた。そこには動画も添えられていて、それは特待インターンシップ生へのインタビューだった。

 その先輩は、ふんだんに脂肪を蓄えた頬をさらに膨らませるような勢いで、自分の夢を語っていた……。

 「僕は、リニア開発部門におけるニュートロン・ワークスの社会貢献の姿勢に共感……、いえ、いうなれば感動を覚えて、必ずやその道に進みたいと思いました。なぜなら、僕は、幼い頃より、特に蒸気機関車ロコモーティブが大好きでした。……何故好きか? と、問われても、それに対しては明確な答えをお伝えすることはできません。ただただ好きでした。一目見たときからずっと……。そう、それは、言うなれば”愛”です……」

 何を言うか?! 相変わらずアザラシのような顔して……。

 俺の作った課題も、伊吹が作った課題も、郷田教授に没収されてしまった。きっと、今頃は、トラッシュ・ボックスの中で処分される日を待っていることだろう。とてつもなく残酷なことだが、仕方がない。あれらは、二人の”AI法違反”の証拠なのだから。

 それにしても……、方法は違えど、二人はお互いの複製人格ドッペルゲンガーに愛を生み出そうと必死だったのだから、今思えば笑えてしまう。恥ずかしい限りだ。

 しかし、結局それは上手くいかなかった。

 どうしても、二人の複製人格ドッペルゲンガーには、自殺因子アポトーシスが生まれてしまったのだ。

 ”もしかしたら、二人はうまくいかないのか?”、心の底にその嫌な考えがあったからこそ、俺も伊吹も必死だった。

 だが、上手くいくはずがなかったのだ。あとで知ったことだが、代理人格ミラー・アイディにデフォルトで組み込まれているとされる”バグ”こそ、自殺因子アポトーシスだったのだ。どうやら、それは、郷田教授が開発し、特許を持っているものだという。複製人格ドッペルゲンガーを作ると同時にそれが発動する。

 やはり、郷田教授はすごい……。

 「ねえ! 海が近いらしいよ! 行ってみない?」伊吹は溌剌とした声でそう聞いてきた。

 「近いって……。十キロくらいあるんじゃなかったか?」

 「大丈夫。四十分くらいで着けるわよ!」

 「ちょっと待て! 今計算する! つまりは……一キロ四分ってことだろ、時速だと……」

 「いいから! とばすわよ!」

 「ちょっと待て!」

 そう言いながらも、ペダルに力を込めた。

 そう。俺達には俺達の速度ヴェロシティがある。

 本物の”愛”が何か? そんなことは、未完成な今の俺達にはわからない。

 だけど、俺と彼女は一緒に走ってゆける。一枚のギヤではできないことも、二つのギヤが噛み合えば、大きな動力になる。

 俺達は、神様が創った、単純なプログラムを手に入れたのだ。

 きっと。

 きっと、二人なら……、”二人で”ならどこへでもゆける。

 そう願う心に、……まずは、”希望”という名を与えるところからはじめてみようと思う。

 そう、それが。

 それが、俺達の速度ヴェロシティだから。

 

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