under the maple tree
”しばらく会うのは控えましょう”
”わかった。そうしよう”
彼女と俺の代理人格がそんな会話をしたのが、雨の日が増えた、七月の上旬だった。
それは何故か。そう、ここからが勝負なのだ。俺は最後の一手、勝敗を決する材料を手にした。
恐らく彼女も……、
ここからはお互いの手の内を見せられない。本当の勝負が始まったのだ。
最終的にはAIの精度が鍵となる。だとすれば、これ以上ない良策を思いついた。
しかし、それは危険な賭けでもある。
だとしても、彼女には負けられない。負けるわけにはいかない。
そう。彼女と、俺は敵同士、そして……、忌々しい腐れ縁……。
待ち合わせの時間は守れず、あのファッションセンスは一緒にいて恥ずかしくなるし、声が無駄にでかくて、品性の欠片もないくせして俺にはデリカシーを求めてくる。オマケに酒癖も悪くて、あとは……、あとは……。考えればきりがない、とにかくあいつの……、伊吹未来のすべてが嫌いだ!
そんな相手からやっと開放された、という安堵感。
安堵感? そう、この心の落ち着きこそが、安堵感だろう。
しかし、何故だろう?
その心の穏やかさは、すぐに静けさに変わっていた。なんなのだろう? この何かが足りないような、一人で過ごす時に突然降って沸いてくる、ざわざわとしたものは……。
わからない。その感情をなんと呼ぶのか。百年前の人間達なら知っているのだろうか?
わからないが、伊吹未来と会う頻度が減った俺は、一時期の勢いを失っていた。
アイディアが浮かばない。
もはや、単純作業として条件設定のプログラムを組み、それを組み込んでゆく。
バグやミスを取り除き、速度を弄り回し、クロックを進めたり、遅らせたり、巻き戻したり、何度も実験を繰り返す。
いつも、気がつけば朝になってる。
半ば義務的に、シャワーを浴び、歯を磨き、着替え、駅に向かい、電車に乗る。
でも、なぜか乗る電車はずっと遅い各駅停車だ。
そりゃそうだ。待ち合わせもないのに、満員電車にすし詰めにされる必要はないのだから。
大学のラウンジで、濃いコーヒーを飲みながらVRアイウェアと窓越しに、何かを探してしまう。
認めたくはなかった、自分が何を探しているのかを……、
また、中庭の楓の木を見やる。
霧雨が降る中庭には誰もいない。そして、楓の木はただ寂しげに雨に濡れた黄緑の葉を揺らしていた。
そう。そこには、悪趣味な赤い自転車はなかった。
俺はまた学内のサーバーに存在するトラッシュ・ボックスにハッキングをしていた。
使えそうなプログラムを探す目的もあるのだが、本当の理由は、単なる暇潰しだ。
その時、妙なモノを発見した。
何十にも防壁を張ったプログラム。いかにも”見られたくない”とステッカーが張ってあるようなものだ。
俺はいとも容易く防壁を破る。こんなの、寝ぼけた頭だってできる。
すると、中身は単純なチャット機能のプログラムだとわかった。実にシンプルで古典的なプログラムだ。
念のため俺は中を覗くことにした。悪趣味かもしれないが、俺の暇つぶしの為だ。
Enterをクリックする。
そこに広がるのは、極めて原始的な罵詈雑言だった。
”あいつ調子に乗り過ぎ!”
”ってか、あいつのファッション、なんなの? ダサすぎじゃね?”
”代理人格のビジュアル投稿見た? 安達ばっかじゃね?」
安達? 俺か、……いや、珍しい苗字でもないか……。
”ええ! あいつって、アザラシと付き合ってなかった?”
”三日もたなかったとか、代理人格の精度低すぎっしょ!”
アザラシ?
俺は、設定ワードを解析することにした。まさか……、いや。すでにその予感は確信だった。
このチャットに参加できる条件。
それは、
『イブキミライ キライ』だった……。
ふー、と俺は溜め息をついた。
何故、自分がそんなことをしたのか、よくはわからない。
フォルダからとっておきのプログラムを取り出す。
きっと、俺の頭は日々の寝不足のせいで、条件設定が曖昧になりすぎているのだろう。そう、やっていいことと悪いことの条件だ。
”好戦型破壊プログラム”。……その名を……、”レオパルド1”。
俺がもっとも大好きな、旧ドイツ軍の戦車と同じ名を与えたプログラムだった。
それを、チャットに参加していたであろう人間達の代理人格を攻撃してくれる。
俺がコーヒーを飲み終わる頃には、51ミリ主砲が、すべてを粉々に吹き飛ばしてくれるだろう。
そして、俺は首にかけた代理人格端末を見た。
メッセージは送信されていない。
おかしい……。なんで、こんなにも大事なメッセージを送信してくれないんだ? そんなにも俺の代理人格の精度は低いのか?
俺は、久々に……、そう、小学生以来か……、
自分の手でメッセージを入力した。
”今夜、会えないか?”
まったく! 気の効かない代理人格だ。こんなことは初めてだ!




