追われる少女
ぶらりぶらりと歩いて、俺は改めて思うことがあった。
「ゲームの中とは思えないよな……」
思わず、呟いてしまった言葉。
お世辞でも何でもなく、正直にそう思ってしまったんだ。
そう、思えなかった。
これがゲームだとは。
草木の漂わせるほのかな香りや触り心地は本物だし、俺の肉体も、皮膚の感触、質感、つくり、全てが現実世界の人間と違いを感じさせないものだ。
正直言って、もう一つの世界だと言われても信じられるレベル。
いや、この世界はそんな異世界なのかもしれないし、ゲームなのかもしれないが。
現実とはっきり違うと分かることと言えば、俺自身の体力ぐらいか。
現実では、年齢相応の平均的な体力を俺が持っているというのは、体力測定の結果から知ってはいる。劣っているというわけでも、優れているというわけでもない本当に平凡。
だが、この世界で行う戦闘や旅には平均的な体力があるだけでは不十分。βテスト時代に経験しているからわかるけど、そんな体力ではとてもじゃないが、この世界で生き残れない。
次々と襲いくる魔物と戦いながらも、忍耐を欠かず戦い続けられる精神力や持久力、ここぞという時に攻められる瞬発力等々色々と必要になってくる。
けれどまぁ、この世界の俺は、βテストにより鍛え上げられたステータスもあって、疲労をほとんど感じない。
まぁ、そういうことを本当の意味で実感するのは戦闘なんだろうけど。
俺は歩きながらも、いろいろ考えていた。
メニュー画面に存在する実装されたままのフレンドリスト。
そこに名前はない。
いや、それは俺が友達がいないだとかそういう理由ではない、決して、全く。
βテスト時は、そもそも三人のプレイヤーの冒険の開始地点が全く異なったこと、そして、プレイヤーかNPCかどうかを確実に知る方法がプレイヤー同士のメニュー画面の視界共有が成されたときのみという異様な条件があったことから、誰もフレンドには入れることが出来なかった。
街中で人に出会ったとしても、その人がプレイヤーかNPCなのかが、そう簡単には分からないのだ。
つまり、俺は他のβプレイヤーに会ったことがあるかもしれないが、実際に認識したことはない。
そう、だから、フレンドとして登録しているわけもなく。
ただ、いずれ分かる時が来るんじゃないかなーと俺は思う。
それは、ゲームである故、プレイヤーがあくまでメインである以上、アルタートラウムでは大抵のNPCよりプレイヤーの方が強いように設定されていることに由来する。
普通のプレイヤーならまだしも、βテストプレイヤーならば、いつの日か名声を上げ始めると思うのだ。
もしくは、俺が名声を上げれば、俺の存在に気付いて、向こうから来てくれるかもしれない。
オンラインゲームを一人でやるってほど悲しいことはないと俺は思うんだ。オンラインゲームってそりゃ人それぞれなのはわかるけど、オフラインゲームと違って人と関わりながら出来るってのが醍醐味の一つだと思うしさ。
まぁ、仮に、この世界に俺の他の二人のβテストプレイヤーがいれば、の話ではあるが。
肌をなでる風が、草原に生える大小様々な草を揺らす。一面に広がる草は、それをまるで波のように伝え、なびく。
そして、その先に見えるのは、日の光に照らされ、きらきらと輝く湖と紅葉している小さな山。
どう見ても、それは現実のものにしか見えなかった。
ここはおそらく、ここは大陸の中でもはずれの地域であるウィード地方。
俺がβテストを始めたところと同じ場所。
ちょうど、このあたりだよな、βテストの最初の方にやったイベントが起きたのって。
「助けてーーー!」
今まさに想像したイベントの開始アクションがまさにこれだった。
いやいや、嘘だろ?
ゲーム初期イベントの一つ。
『魔物に襲われている少女を救え』
少しずつこの世界に慣れ親しんできた時に初めて人命救助を行うこととなったクエストで、βテストプレイを六カ月こなした今でも印象に残っているものだ。
NPCとはいっても、自分の目に映るのは普通の少女。
三つ編みの長い髪を揺らしながら、逃げまどうその姿は本当に生きている人間と相違はない。
そんな姿を見せつけられたら、いやがおうにも焦りを感じてしまうのが人間ってもんでしょう。
どうにかしなきゃって。
NPCとは言えど、それは人なのだ。見た目について言うならば、現実のそれと見紛うほどのクオリティなのだから。
そして、そんな人を救う力がプレイヤーにはある。
それを行使するというゲームとしては基本的なことを学ぶためのイベント。
βテストと比べると、少女の年齢が明らかに異なっているが、それはこの世界が動き続けている証拠だろう。
完全に同じイベントはまず生じない。
なら、急ごう。
俺の昔経験したイベントなら、きっと急がないとまずい。
俺は助けを求めてくる方向へと向かう。
体は軽い。
足早に草原を駆け抜けていくそれは、俺自身の体とは思えなかった。だが、それは確実に俺自身の体で、今俺の意志で動かしている。
「大丈夫か!?」
そして、俺は叫び声をあげた少女と怪物との間に入った。
魔物。
人間を襲う魔の者。
その見た目は様々だが、今回目の前にいるのは、ゴブリンだ。
二足で立って、二本の腕を持っているなどといった人間と似たような特徴も持っている。
だが、彼らは肌が禍々しい黒ずんだ緑色であったり、口からはみ出た鋭い牙と豆粒のような黄色一色の目で俺を睨みつけていることから、はっきり人間とは違うと分かる。
そんな彼らの手には木の幹を少しけずって作られた棍棒が握りしめられており、口から洩れる息は荒く、今にも襲い掛からんとしていた。
「はい、まだ大丈夫です」
そんな返事を口にした少女は震わせていた。
百五十センチほどしかない小柄な体を。
こんな少女がゴブリンという魔物二匹に、一人追われていた。それはどれほどの恐怖だろうか、想像に難くはない。
見たところ、彼女が着ているひらひらとした薄い紺色のワンピースは乱れているものの、破けている箇所はないし、皮膚に傷は見当たらない。
まだ、ゴブリン達に追われ始めてから大して時間もたっていなかったようで、害は受けていないようだ。
俺は、ほっと一息つく。
「俺が守るから、安心して」
それを確認したら、あとは目の前にいる魔物を始末するだけだ。
俺は腰にぶら下げた高周波ブレードに手を伸ばし、握りしめた。
そして、一気に前に出た。




