隣の中華屋敷と、義姉弟の盃
原初神ミリアや処刑神たちとの連戦から数日。
俺の体はウロボロスの超再生によってすっかり元通りになり、西東京市の御堂家には、ようやく平穏な朝が訪れた……はずだった。
ガガガガガガッ!! ドドォォォォンッ!!
「……んあ? なんだ、朝っぱらから工事か?」
休日の朝。俺が目をこすりながらベッドから身を起こすと、窓の外から凄まじい重機の駆動音と、男たちの威勢のいい中国語の怒号が聞こえてきた。
「統! 大変です、家の隣に……っ、隣の敷地に、信じられないものが!!」
パジャマ姿のセリアが、血相を変えて俺の部屋に飛び込んできた。
俺が嫌な予感を抱きながら窓の外を見下ろすと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
御堂家の隣にあったはずの空き地と古いアパート。
その一帯の土地が完全に更地にされ、何十台もの黒塗りのトラックとクレーン車が入り込み、たった数日で『巨大で豪奢な中華風の邸宅』が組み上げられようとしていたのだ。
「……は? なんだあれ、映画のセットか?」
俺が呆然と呟いた、その時。
「おはようございます、すばる君! よく眠れましたか?」
俺の部屋の窓がガラリと開き、隣の敷地に組まれた足場から、艶やかな紅のチャイナドレスを着た女性が、ひらりと部屋の中へ飛び込んできた。
中国の黒社会を束ねる女帝にして、世界最強の王の一角。王 翠蓮だ。
「なッ……お前、なんでここに! というか、あの外のバカでかい中華屋敷はなんだ!?」
俺が顔を引きつらせると、翠蓮はフフッと大人の余裕たっぷりに微笑み、扇子で口元を隠した。
「中華屋敷だなんて人聞きの悪い。私の新しい『拠点』ですよ。……命の恩人であるあなたと『家族』になるために、隣の土地の一画を組織の資金で丸ごと買収させていただきました。今日からお隣さんですね、すばる君」
「買収って……中国のトップが、こんな西東京市の住宅街に引っ越してきてどうすんだよ!」
「愛する殿方の側に住む。女として、これ以上の理由が必要ですか?」
翠蓮は、ほんのりと頬を染めながら、俺のベッドの横にスルリと腰掛け、その豊かな胸を俺の腕に押し当ててきた。
大人の色気と、圧倒的な美貌。
だが、俺は気怠そうにため息をつき、無邪気な少年の顔で彼女の肩を軽く押し返した。
「……あのさ、女帝様。俺はギャンブラーだぜ。ブラフ(ハッタリ)と本気の違いくらい、見りゃ分かるって」
「えっ……?」
「二十歳そこそこの、男慣れしてる大人の女ぶって誘惑してきてるけどさ。……俺の腕に触れてる手、さっきからガチガチに震えてるじゃん。無理して『悪い女』のフリしなくていいよ」
ピタッ、と。
翠蓮の動きが完全に停止した。
「あ、あ、あああ……っ」
数秒後。黒社会の女帝の顔は、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染まり、ボンッ! と頭から湯気を噴き出した。
(ば、バレてる……!? 私が本当は、男の人と手も繋いだことのない純情だということが、この年下の少年に完全に……ッ!!)
翠蓮は両手で顔を覆い、ベッドの上で悶絶し始めた。
「……まあ、隣に住むのは勝手にしてくれ。でも、『夫婦の盃』は断る。俺には自分の日常を守る責任があるし、あんたみたいにデカい組織の看板をホイホイ背負うわけにはいかねえからな」
俺がハッキリと拒絶すると、翠蓮は顔を覆ったまま、少しだけ寂しそうに肩を落とした。
「……そうですか。振られてしまいましたね」
だが、俺はニヤリと笑って、自分のジャージのポケットに手を突っ込んだ。
「でも、背中を預け合える『同盟相手』なら大歓迎だ。……夫婦がダメなら、『義理の姉弟』の盃ってことで手を打たないか? 姉ちゃん」
「義理の……姉弟」
翠蓮がパチリと瞬きをする。
「まあ、あんたの方が俺より年上だろうしな。最強の姉さんが隣に住んでるなら、これ以上心強い自警団はいねえ。……どうだ? この条件で」
俺が右手を差し出すと、翠蓮の顔が再びパッと明るくなり、満面の笑みでその手を強く握り返してきた。
「ええ……! 喜んでお受けします、すばる『弟』! ふふっ、可愛い弟のためなら、お姉ちゃん、何だってしてあげますからね!」
「——ちょっと待ったァァァッ!!」
バンッ! と部屋のドアが開き、紅刃と雅が殺気を放って突入してきた。
「姉弟だァ!? 誤魔化されるな統! それはヤツがテメェの生活に合法的に入り込むための罠だ!」
「その通りです! 年上のお姉ちゃんというポジションは、ラブコメにおいて極めて危険な存在……! 黒曜で、そのチャイナドレスごと切り刻みます!」
「あら。義理とはいえ、私はすばる君の『姉』ですよ? 弟の交際相手は、私が厳しく審査させてもらいますからね」
翠蓮が扇子を広げ、三人の少女たちとの間にバチバチと激しい火花が散り始めた。
「……俺の平穏な朝を返してくれ」
俺はベッドの上で頭を抱え、深々とため息をついた。
隣の敷地に巨大な中華屋敷が建ち、最強の女帝様が『義姉』として加わった御堂家の食卓は、かつてないほどのカオスな日常へと突入していった。




