西の異常と、無邪気な計算(リスクヘッジ)
原初神ミリアとの絶望的な死闘から、数日が経過した。
西東京市の御堂家は、八咫烏の莫大な資金力と魔術によって見事に元の姿へと再建され、俺は無事に「ちぐはぐで騒がしい日常」へと帰還していた。
「統、あーん、です! ほら、私がフーフーして冷ましましたから!」
「テメェ抜け駆けすんなエリート騎士! 統、アタシが焼いた肉を先に食え!」
「すばる君、私のお味噌汁も……あ、口元が汚れていますよ。私が綺麗に拭いてさしあげますね」
昼下がりのリビング。ソファに座る俺の両脇と正面を、三人の美少女たちが完全に包囲していた。
あの夜、ミリアから強引に奪われた(あるいは与えられた)『誓いの口付け』。あの一件以来、セリア、紅刃、雅の三人のガードはかつてないほどに固く、そしてあからさまに「重く」なっている。
「お前らなぁ、完治してんだから自分で食えるっての……」
苦笑いしながらも、俺はソファの柔らかい感触と、部屋に漂う温かい食事の匂いに、深く安堵の息を吐き出していた。
命をチップにして、光速のイカサマで神の盤面をひっくり返したのだ。この平和な時間は、俺が俺のやり方で勝ち取った正当な配当である。
だが、極東の最弱の王に、神々の闘争は長めの休暇など許してはくれなかった。
『……極東の王よ。お寛ぎのところ大変申し訳ないのだが、緊急の事態だ』
地下室に設置されたモニターから、八咫烏の幹部・京極弦斎の酷く焦燥しきった声が響いた。
「なんだ弦斎。またどこかの神様が海でも割りに来たのか?」
俺が口に運ばれた肉を咀嚼しながら気怠げに応じると、弦斎は血の気のない顔で首を横に振った。
『西日本の山奥だ。……三日前から、原因不明の「大規模な爆発」と「異常な神力」の検知が絶え間なく続いている。現地はすでに、地図を書き換えねばならないほどの惨状だ』
弦斎が映し出した衛星映像を見て、俺は思わず箸を止めた。
山脈の一部が丸ごと抉り取られ、なおも巨大な土煙と、落雷のような閃光が瞬き続けている光景が映っていたからだ。
「三日間、ぶっ通しで戦闘が続いてるってことか? どんなバケモノじみたスタミナしてやがる」
俺が眉をひそめると、イヴが映像をさらに拡大し、凄まじい速度で解析結果のデータを流し始めた。
『八咫烏の決死の偵察部隊が捉えた映像です。……すばるくん、戦っている一人は「神」ではありません。人間です』
「人間……六王か」
『はい。中国の巨大な黒社会を束ねるトップであり、現在世界最強の一角と目される六王……王 翠蓮。極めて稀な、複数の【6】の権能を同時に操る規格外の存在です』
荒いノイズ交じりの映像の中。
そこには、深いスリットの入った豪奢なチャイナドレスを血と泥で汚しながら、凄まじい体術で『何か』と交戦している、息を呑むほど美しい女性の姿があった。
彼女は、右拳から放つ権能の強烈な反動を、左足から放つ別の権能で相殺するという、常軌を逸した魔力コントロールで絶え間ない連撃を繰り出している。
「……へえ。中国最強の女帝様かぁ。すっげえ綺麗な人だな」
俺が、まるでテレビのアイドルでも見るような、あどけない少年の顔で感嘆の声を漏らすと。
「……ほぅ?」
「……統?」
「……すばる、君?」
両脇と正面から、マイナス百度を下回るような絶対零度の視線と殺気が俺に突き刺さった。
「お、おい待て、そういう意味じゃねえ! イヴ、その女帝様が戦ってる相手はなんだ!?」
俺が慌てて話題を逸らし、モニターを指差す。
翠蓮を挟み撃ちにするように立ち塞がっているのは、神話の威厳など欠片もない、ただひたすらに「殺意」だけを煮詰めたような異形の【2柱の神】だった。
ミリアが警告していた、千年に一度、神殺しを間引くための『猟犬(処刑神)』という言葉が頭をよぎる。
『問題は、その戦況です』
イヴの無機質な声が、リビングの空気を一段階冷たくする。
『翠蓮の戦闘力は圧倒的ですが、あの2柱の神は、まるで「六王の力を無効化し、確実に殺すこと」にのみ最適化されているような異常な連携を見せています。……三日三晩の激戦で、最強の翠蓮でさえジリジリと追い詰められ、神力の残量も限界に近いです。このままでは、彼女は間違いなく敗北するかと…』
「……なるほどな」
俺はモニターから目を離し、ソファの背もたれに深く体重を預けた。
無邪気な少年の顔はすでに消え失せ、そこにあるのは、圧倒的に不利な盤面を前にして、最も手堅い「勝ち筋」を弾き出そうとする、イカサマ師の冷徹な眼差しだった。
「他の国の王が極東に上がり込んで、勝手に喧嘩して死にかけてるんだ。……最初は様子見で放置しようかと思ってたが、そうも言ってられなくなったな」
「助けに行くのですか、統?」
セリアが白銀の刀を引き寄せながら、険しい顔で尋ねる。俺は「正義の味方気取りじゃない」と鼻を鳴らした。
「ただの損得勘定だ。……もしあの2柱が、過去に神殺しを皆殺しにしてきたっていう『猟犬』なら、あいつらが中国の女帝様を殺した後に狙うのは、間違いなく一番近くにいる極東の王……俺だろ」
俺は右腕を軽く回した。
「複数の【6】を持つ最強の一角を、三日三晩かけて削り殺すような無尽蔵のバケモノ2柱だ。そんな連中を、あの女帝様が死んだ後に、俺たちだけで相手にするのは……どう考えても割に合わねえ、最悪のクソゲーだ」
盤面が不利なら、手札を増やすしかない。
イカサマ師のロジックは、いつだって合理的でシンプルだ。
「あの女帝様が死ぬ前に介入して『恩(貸し)』を作る。そして、最強の六王と共闘して、あの気味の悪い猟犬どもをタコ殴りにして確実に潰す。……これが、俺たちの日常を守るための、一番手堅い勝ち筋だ」
俺の決断に、紅刃が獰猛な笑みを浮かべて両拳を打ち合わせた。
「ハッ、そういう悪い計算してる時のテメェの顔、最高に面白えよ。……アタシの爆炎で、その神どもを黒焦げにしてやればいいんだな?」
「ええ。私たちも同行します、すばる君。……その『綺麗な女帝様』が、恩を盾にすばる君に変なちょっかいをかけないか、見張る意味も込めて」
雅が、なぜか妖刀の柄を優しく撫でながら、ひどく冷たい笑顔を浮かべている。
「……お前ら、目的が護衛から監視に変わってないか?」
俺は呆れたようにため息をつきながらも、ゆっくりとソファから立ち上がった。
「弦斎、イヴ。八咫烏の術式で、俺たちを現地の最短距離まで転移させろ。……最強の女帝サマがゲームオーバーになる前に、極東のイカサマ師が盤面に乱入してやる」
こうして、原初神との死闘の傷も癒えきらぬうちに。
俺たちは新たなる戦いが待つ西日本の山奥へと向けて、反逆の歩みを進めたのだった。




