深海の祝福(キス)と、千年の処刑人
太陽がもう一つ生まれたかのような黄金の爆発が、西東京市の夜空を切り裂いた。
光速のイカサマパンチを放ち、すべての力を使い果たした俺は、全身から白煙と血を噴き出しながら、ドサリと泥だらけの地面に仰向けに倒れ込んだ。
「統ッ!!」
「すばる君、しっかりして……ッ!」
セリア、紅刃、雅の三人が血相を変えて駆け寄り、俺の体を抱え起こす。ウロボロスの再生能力も限界に近く、俺の視界は明滅を繰り返していた。
「……やった、か?」
俺が掠れた声で空を見上げると、分厚い雨雲が完全に吹き飛び、そこから美しい夜明けの朝日が差し込んでいた。
そして、その光を背に受けて、一人の少女がゆっくりと地上へと舞い降りてきた。
原初の海を統べる女神、ミリア。
彼女の華奢な腹部には、俺の『特大質量』とアレスの『神威』が抉り取った痛々しい傷痕が刻まれ、そこから金色の神血がポタポタとこぼれ落ちている。
だが、彼女の顔に怒りはなかった。
「……見事だ。人間のオスよ」
ミリアが指先を軽く鳴らすと、日本列島を飲み込もうとしていた異常な海面上昇と暴風雨が、まるで幻だったかのように一瞬にして嘘のように引き潮となっていった。
「日本沈没は、取りやめだ。……我の負けでいい」
彼女は傷口を押さえながら、どこか夢見るような、恍惚とした表情で頬を紅潮させていた。
「永遠に続く退屈な海の中で、我が己の『死』を感じたのは初めてだ。……痛くて、熱くて、ひどく恐ろしい。だが、これほど我が魂を震わせる『歓喜』が、この下等な箱庭に存在していたとはな」
ミリアは、パシャ、パシャと水たまりを踏んで、動けない俺の目の前まで歩み寄ってきた。
「……狂ってやがる。痛いのが好きなら、最初からそう言えよ。いくらでも殴ってやったのに」
俺が皮肉交じりに悪態をつくと、ミリアは三日月のように目を細め、クスクスと笑った。
「極東のイカサマ師よ。……貴様は、我の退屈を見事に殺してくれた。その褒美をやろう」
ミリアは、俺を抱え込んでいるセリアたちを、原初の水圧でフワリと数メートル後方へ押し退けた。
「あっ、ちょ、何をする気ですか!?」
セリアが叫ぶより早く。
ミリアは俺の顔を両手で挟み込み、そのまま自分の小さな唇を、俺の唇へと強引に押し当てた。
「なッ……!?」
俺の目が見開かれる。
唇が触れ合った瞬間、ミリアの傷口から溢れていた金色の神血が光の粒子となり、膨大な『原初の海の魔力』となって俺の体内に流れ込んできたのだ。
「んっ……ぷはっ」
数秒後、ミリアは唇を離し、艶やかに舌なめずりをした。
「我の権能のほんの一端(欠片)を、貴様に分け与えてやった。次に会う時まで、死ぬでないぞ。我の愛しき『退屈しのぎ』よ」
ミリアは満足げにウインクをすると、そのままフワリと宙に浮き上がり、朝焼けの空へと溶けるように消えていった。
後に残されたのは、体の奥底で未知の冷たい魔力が渦巻いている俺と。
「……」
「……」
「……」
水圧の拘束から解放され、般若のような顔でワナワナと震えている三人の少女たちだった。
「……と、とと、統!? 今、あのロリ神と、き、きき、口付けを……!?」
セリアが顔を真っ赤にして、バグったように後ずさる。
「ア、アタシだってまだ……手ぇ繋いだくらいしかしたことねえのに……ッ!!」
紅刃が、両手から物騒な爆炎を噴き出しながら地団駄を踏み始める。
「すばる君……。泥棒猫ならぬ、泥棒女神……。私、あんな卑劣な神様、絶対に許しません。次は黒曜で微塵切りにして海に沈めます……(ブツブツ)」
雅が、完全にハイライトの消えた漆黒の瞳で、妖刀の柄をギリギリと握りしめている。
「お、おいお前ら落ち着け。あれはただの魔力譲渡で、そういうラブコメ的なアレじゃなくてだな……」
「問答無用ォォォォッ!! 統の唇は、私がアルコール消毒しますゥゥゥッ!!」
「抜け駆けすんなセリア! 消毒すんのはアタシの炎だ!!」
「すばる君、私がお口の中まで綺麗に……!」
「お前ら、ケガ人に何すんだァァァッ!!」
俺の悲鳴が、廃墟と化した西東京市の朝焼けに虚しく響き渡った。
こうして、日本を滅亡の危機に陥れた原初神との絶望の死闘は、かつてないほど騒がしく、そしてちぐはぐな結末を迎えたのだった。
——ミリアが日本を去る直前、俺の脳内に直接響かせた『警告』がある。
『気をつけるのだな、極東のイレギュラーよ。……貴様らのような六王は、盤面を支配する「あのお方」からすれば、千年に一度刈り取られるただの作物に過ぎない。
千年前に極東の六王を皆殺しにしたものたちが、今もまだこの島国のどこかで眠りについているはずだ』
その数日後。
西日本のある山奥。誰にも気に留められることのない、名もなき古い『古墳』の前に、一人の女性が立っていた。
艶やかなチャイナドレスの深いスリットから、鍛え上げられたしなやかな白い脚を覗かせている、圧倒的な美貌の女性。
彼女の名は、王 翠蓮。
中国の巨大な黒社会を束ねる女帝であり、現在最強の一角を担う【六王】である。
「……ここですね。1000年以上生きた神殺しが存在しない、この世界の歴史の空白。……その答えとなる、異常な神の痕跡は」
翠蓮は、歴史の謎を追ってこの極東の島国へと極秘裏に上陸していた。
彼女が細く美しい指先を古墳の古い岩肌に触れ、自身の神力を流し込んだ、その瞬間。
ズゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
古墳が真っ二つに割れ、中から『二つの巨大な影』が泥をまとって這い出してきた。
それは、アレスやミリアのような、神話の威厳を持った神格ではない。
六王を殺すことだけを目的に最適化されたような、無機質で、おぞましく、ただひたすらに『神殺しの命を刈り取る悪意』だけを凝縮した、異形の【2柱の処刑神】だった。
「……キサマ、モ、ル、ル……【6】ノ、排除対象……」
処刑神の虚ろな眼窩が、翠蓮を捉える。
「……なるほど。これが、過去の神殺したちを間引いてきたさしずめ『猟犬』というわけですか」
翠蓮は、一切の恐怖を見せず、美しい唇に好戦的な笑みを浮かべて構えをとった。
彼女の背後に、複数の【6】の権能が、規格外のオーラとなって立ち昇る。
神殺しの歴史の真実を暴き、盤面そのものをひっくり返すための新たなる嵐が、今、極東の地で産声を上げようとしていた。




