光速のイカサマと、原初神の死の歓喜
音も、光も、時間すらも置き去りにする世界。
質量【ゼロ】となった俺の肉体は、紅刃とセリアの放った極大のエネルギーを背後に受け、理論上の限界速度である『光速』へと到達していた。
「ガ、ァァァァァッ……!!」
全身の皮膚が蒸発し、筋肉が千切れ飛び、血液が沸騰する。
世界そのものが、異常な速度で移動する俺の存在を「バグ」として弾き出そうと、容赦なく原子レベルで分解にかかってくる。
だが、その崩壊のすべてを、右腕に宿る不死のウロボロスが超絶的な速度で強制的に修復し、強引に「俺」という形を繋ぎ止めていた。
視界は真っ白に染まり、激痛すらも神経の伝達速度を超えて麻痺していく。
そんな極限の加速の中、俺は雅が展開した漆黒の桜吹雪(暗闇)を切り裂き、上空の原初神ミリアへと肉薄していた。
ミリアの周囲には、向かってくる物理的質量をすべて海に沈めて圧壊させる『原初の絶対防壁』が何重にも張り巡らされている。
——だが、防壁は微塵も反応しなかった。
当然だ。今の俺の質量はゼロ。重さを持たない光の弾丸に、海の概念(水圧)は干渉できない。
俺は、神話の理である絶対防壁を、まるで薄い紙をすり抜けるように、一切の抵抗なく突破した。
雅の放った『桜花暗転』の効果が切れ、世界に光が戻った、その瞬間。
「……なに?」
退屈そうに宙に浮いていたミリアの赤い瞳が、微かに見開かれた。
永遠の時を生きる原初神の超絶的な知覚能力をもってしても、俺の飛来を認識した時には、すでにすべてが『手遅れ』だった。
俺は、ミリアの華奢な胸元の、わずか数センチの距離(ゼロ距離)に到達していた。
「な——!?」
ミリアの整った顔に、神話の歴史上初めて、明確な『驚愕』の色が浮かぶ。
全身から血と白煙を噴き出す俺の瞳が、ミリアの赤い瞳と至近距離で交差した。
(かかったな、クソ胴元ディーラー)
俺は、光速の運動エネルギーを殺すことなく、残ったすべての意志を込めて、左手を強く握り込んだ。
神の絶対防壁の内側。
防がれることのないゼロ距離で、俺は盤面のルール(質量)をひっくり返す。
「権能反転……ッ! 【1の目】・俺の質量、限界突破ッ!!!」
パァァァァァンッ!!!
世界が、甲高い悲鳴を上げた。
質量ゼロだった俺の肉体が、一瞬にして数十トンの『特大質量』へと反転する。
光速のスピードに、特大質量という異常な重さが掛け合わされた、物理法則を無視した破壊のエネルギー。
俺はそこに、アレスの【6の目】である『万軍の戦車(闘争の神威)』の黄金の火力を全開で上乗せし、右腕をミリアの腹部へと真っ直ぐに叩き込んだ。
「お前のテーブルごと、完全に破産させてやるよッ!!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
西東京市の空に、太陽がもう一つ生まれたかのような黄金の爆発が巻き起こった。
神を騙し、理をバグらせた『光速の質量反転イカサマパンチ』が、原初の海を統べる女神の無防備な腹部へと、一切の減衰なく直撃する。
「ガ、ハァァァァッ……!!?」
ミリアの小さな体が、くの字にへし折れた。
彼女の口から、おびただしい量の『金色の神血』が噴き出し、夜明け前の暗い空に黄金の雨となって降り注ぐ。
六王の最大火力を至近距離で叩き込まれたその一撃は、ミリアの体をボールのように弾き飛ばし、上空の分厚い雨雲を一直線に真っ二つに割り裂きながら、遥か彼方の空の果てまで彼女を吹き飛ばしていった。
「……ハァ、ハァ、ハァ……ッ」
俺は空中で質量を通常に戻し、全身から血と煙を噴き出しながら、ズンッ、と泥だらけの地面に両足で着地した。
光速の反動とアレスの出力により、俺の肉体は完全に限界を超えていた。膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に踏みとどまる。
「統ッ!!」
「すばる君……ッ!」
限界を迎えた俺の元へ、セリア、紅刃、雅の三人が、涙と泥にまみれた顔で駆け寄ってくる。
三人の命懸けのパスがなければ、絶対に届かなかった一撃。俺たちは、神の盤面を確かにひっくり返したのだ。
その頃。
遥か上空、雲の切れ間まで吹き飛ばされたミリアは、空中で強引に姿勢を立て直しながら、自身の腹部から流れる『金色の血』を、呆然と見つめていた。
痛い。
熱い。
生命が削り取られる、ひどく冷たい感覚。
それは、神話の時代から数え切れないほどの時を生きてきた彼女が、初めて味わう『死の気配』だった。
人間という脆弱で寿命の短い生き物が、原初の神である自分の懐に潜り込み、あろうことか防壁を騙してダメージを与えたのだ。
「……あ、あ……」
腹部を押さえるミリアの細い指先が、カタカタと震えていた。
それは、下等な人間に傷つけられたことへの怒りでも、屈辱でもない。
永遠に続く退屈な凪いだ海の中で、彼女が一度も感じたことのない、強烈で、脳髄が痺れるような『歓喜』の震えだった。
「……アハッ。アハハハハハハハッ!!!」
幼き原初神は、腹部から血を流しながら、三日月のように目を細め、夜明けの空でひたすらに狂ったような笑い声を上げ続けていた。
「素晴らしい……! 素晴らしいぞ、人間のオスよ!!」
彼女の笑い声が、雲を散らし、極東の空に響き渡る。
絶対的な神が、一人のイカサマ師によって「死」という至上の悦楽を知ってしまった瞬間。
それは同時に、神殺しの闘争が、これまでの小競り合いとは次元の違う「神々の執着」を引き寄せてしまったことを意味していた。




