絶対零度の殺意と、神殺しのための夜
西東京市が未曾有の絶望に沈んでいた頃。
極東から遠く離れた、中東の灼熱の砂漠地帯。その地下深くにある古代遺跡の中で、一人の男の足取りがピタリと止まった。
「……なんだ、今の波動は」
歴300年の王、レヴィ。
彼は不意に胸を押さえ、遺跡の天井越しに、遥か東の空——『日本』の方角を鋭く睨みつけた。
ドクンッ、と。
彼の中で分厚く凍りついていたはずの復讐心が、けたたましい警鐘を鳴らす。
途方もない質量の魔力。人間の理を完全に無視した、圧倒的で傲慢な『概念』の顕現。
「間違いない。この吐き気を催すほどの不快な神威……『原初神』だ。しかも、極東の島国に降臨しただと……!?」
レヴィの銀色の瞳に、狂気じみた殺意と、もう一つの『強烈な焦燥』が渦巻いた。
あのちぐはぐで騒がしい日常を愛する、彼の初めての『ダチ』がいる国だ。すばるたちが、あの次元の違う怪物と正面衝突すればどうなるか、レヴィには痛いほど分かっていた。
「……すばる」
レヴィは周囲の砂漠を一瞬にして凍てつかせながら、自身のコートのポケットを強く握りしめた。
「待っているぞ。君に渡した『氷星の涙』……それを砕け。砕いた瞬間、僕が必ず、その原初神の海を絶対零度で凍らせてやる」
彼は極東の空へ向けて、祈るように、そして殺意を研ぎ澄ませながら、召喚の時を待ち構えていた。
一方、西東京市の地下シェルター。
俺たち四人は、メインモニターの前に集まっていた。ウロボロスの超再生のおかげで、ボロボロだった俺の体も、動くことだけはできる状態まで回復している。
「……すばる君。あの、お別れの時にレヴィさんからもらった『氷の結晶』は……? 今こそ、彼を呼ぶ時では……!」
雅が、祈るように尋ねてきた。彼女も、レヴィという絶対零度の王の規格外な力は知っている。
だが、俺は首を横に振った。
「いや、まだ呼ばない。あいつは『一番美味しいところ』まで温存する」
「なッ、強がってる場合ですか統! 相手は原初神ですよ!?」
セリアが慌てるが、俺はモニターに映るミリアの映像を指差した。
「強がりじゃねえよ。ただのロジックだ。……イヴ、あいつの絶対防壁の性質をもう一度説明しろ」
『……はい。ミリアの周囲には「原初の海」という概念の防壁が存在します。向かってくる敵意ある物理的質量や魔力は、すべて彼女の知覚領域に入った瞬間に、異常な水圧で圧壊し、海に沈められます。……真正面からレヴィの氷をぶつけても、凍る前に沈められる可能性が高いです』
「そういうことだ」
俺は、自分の右腕をギュッと握りしめた。
「敵は世界のルールそのもの。レヴィを呼ぶにしても、まずは俺たちで、あいつの『絶対防壁』をブチ抜いて、隙を作る必要がある。……狙うのは、あいつの首だ。あの退屈してるクソガキに、本当の『死』を刻み込んで、この盤面から完全に排除する」
「でも、どうやって防壁を抜くんだよ? アタシの炎も、統の質量も、全部届く前に潰されちまうんだぞ?」
紅刃が、険しい顔で問いかける。
「ああ。だから、真正面からは殴らない」
俺は、作戦の全貌を話し始めた。
「あいつの防壁は『向かってくる物理的質量』を海に沈める。なら、『質量がゼロ』で、なおかつ『相手の知覚処理を完全に置き去りにする速度』で潜り込めば、懐を叩けるはずだ」
俺は、三人の少女たちを見回した。
「まず、ミリアの意識を完全に削ぐ。……雅、お前の妖刀『黒曜』の桜花暗転。あれで、あいつの視覚と魔力感知を一瞬だけ、完全に奪えるか?」
雅は、漆黒の妖刀を胸に抱き、力強く頷いた。
「……はい! 私の命を懸けて、必ず視界を奪ってみせます」
「その一瞬の暗闇の中で、紅刃の『爆炎』とセリアの『迅雷』を同時にフルパワーで放て。狙いはあいつじゃない。俺の背中だ」
「はぁッ!? テメェの背中を撃つだって!?」
「そうだ。俺はその瞬間、【1の目】で俺自身の質量を完全に『ゼロ』にする。……質量ゼロの物体が、背後から爆炎と雷という極大のエネルギーを受けたら、理論上、加速は無限大に近づく」
その言葉に、イヴが息を呑んだ。
『……理論上、光速に到達します。ですが、すばるくん! 質量ゼロの状態で光速移動すれば、あなたの存在そのものが世界から弾き出される! 衝突の瞬間に少しでもズレれば、あなたの肉体は原子レベルで四散します!』
「そこをウロボロスの再生で強引に繋ぎ止める」
俺は、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「光速で『海の概念』の処理速度を上回り、あいつが知覚すらできない一瞬で懐のゼロ距離に到達する。そして、接触の瞬間に、俺の質量を【1の目】で『特大質量』へと反転させ、アレスの【6の目】を全出力で叩き込む」
質量ゼロから、無限大への急激な反転。
これこそが、神の防壁を貫き、その首を刈り取るための、唯一にして最狂のイカサマだ。
神を欺き、世界の物理法則を根底からバグらせる、文字通りの自殺行為。
タイミングがコンマ一秒でもズレれば、俺は仲間の攻撃で蒸発するか、光速の負荷で消滅するか、ミリアの水圧で塵になる。
「……正気じゃないぞ、ハズレ枠」
紅刃が、呆れたようにため息をついた後、その口元に好戦的な笑みを浮かべた。
「だが、最高に面白え。アタシの爆炎で、テメェを神様の首元までブッ飛ばしてやるよ」
「まったく、王がこれほど無茶をするなら、騎士も命を張るしかありませんね」
セリアが白銀の刀を抜き放ち、美しい雷のオーラを纏わせる。
「すばる君……。私、あなたの道を作ります。……絶対に、一緒に生きて帰りましょうね」
雅が、俺の服の袖をギュッと握りしめ、覚悟を決めた瞳で見つめてきた。
「ああ、約束する。……俺のテーブルに座った客は、全員勝たせて帰すのが俺の流儀だからな」
俺は三人の顔を見渡し、深く頷いた。
日本沈没のタイムリミットまで、あと11時間。
シェルターの外では、原初神の気まぐれによる暴風雨が吹き荒れ、海鳴りが大地を揺らしている。
「行くぞ。……退屈してる神様に、この世界で一番熱い死闘をプレゼントしてやろうぜ」
最弱の王と、三人の少女たち。
絶対に勝てない原初神を「殺す」ための、一晩に及ぶ逆襲の幕が、今、静かに切って落とされた。




