鉄の盟約と、反逆の玉座
「……それで? ただ泣いて謝るために、わざわざ俺たちの前に出てきたわけじゃないだろ。本当の目的を言ってみろ」
死臭が薄れつつあるヨーロッパの谷底。俺の問いかけに対し、片膝をついていた初老の魔術師ハインリヒは、泥に塗れた顔を上げ、決死の覚悟を宿した瞳で俺を見つめ返した。
「極東の新たなる王よ。……我々『鉄の盟約』を、あなたの『傘下』に加えてはいただけないでしょうか」
その言葉に、背後で息を呑むセリアと紅刃の気配がした。俺自身も、思いがけない申し出に目を丸くする。
「傘下って……俺の、か? 冗談だろ」
「本気です」ハインリヒの後ろに控えていた数人の部下たちも、一斉に深く頭を垂れた。
「既存の【六王】のほとんどは、ゼインやアルテアのように、己の欲望や権力のために他者を虫ケラのように消費する暴君ばかりです。我々のような無派閥の弱小結社は、常に彼らの顔色を窺い、いつ理不尽に命を奪われるかと怯えて暮らすしかなかった」
ハインリヒは、俺の背後で毛布にくるまり、安堵の涙を流している村人たちへと視線を向けた。
「ですが、あなたは違った。王という絶対的な力を持ちながら、自身の不利を承知で泥臭いイカサマを仕掛け、村人たちを誰一人殺すことなく、神と屍王を退けてみせた。……あなたになら、我々の命と未来を預けるに足ると、そう確信したのです」
彼らの目は、すがるような哀れなものではない。数十年もの間、神殺しの闘争という地獄の底で耐え忍んできた者たちが、ようやく見つけた「本物の王」へ捧げる、重く、純粋な忠誠の眼差しだった。
『……受けるべきです、すばるくん』
インカムの奥から、西東京市の地下で状況をモニタリングしているイヴの冷静な声が響いた。
『アルテアとゼイン、二人の六王を敵に回した今、あなたには情報網も戦力も圧倒的に足りていない。彼らのような現地の魔術結社を傘下に収めれば、ヨーロッパ全土の六王の動向を探るための「目と耳」として、これ以上ない手駒になります』
「手駒って……。俺はただの高校生だぞ。裏社会のボスなんかやるガラじゃねえよ」
俺が無意識に、完治したばかりの右腕を左手で強く握りしめた時だった。
「いいじゃないか、受けてあげなよ」
ずっと傍観を決め込んでいたレヴィが、氷のティーカップを空中にふっと消し去り、俺の肩にポンと手を置いた。
「君はもう、極東の島国で大人しくしていられる立場じゃない。……世界を相手にイカサマのゲームを続けるなら、自分の『手札』は一枚でも多い方がいいだろう?」
レヴィの銀色の瞳が、試すように俺を覗き込む。
「どうする、極東の王様? 君は一人で世界を敵に回すかい? それとも、彼らと……そして『僕』という手札を使って、この盤面をひっくり返すかい?」
それは、先ほどレヴィが口にした「原初神を殺すための同盟」への、最終的な回答を迫る問いだった。
風が吹き抜け、谷底に残っていた死の灰を遠くへと運び去っていく。
俺は、ハインリヒたちを見下ろし、大きくため息をついた。
「……わかったよ。ハインリヒさん、あんたらの結社を、俺の傘下に入れてやる」
ハインリヒたち結社の面々はパッと顔を輝かせ、震える声で歓喜を漏らした。
「ありがとうございます……ッ! 新たなる王よ!」
「極東の王とか、大層な呼び方はやめてくれ。俺の名前は『御堂統』だ。……ただの、高校生だよ」
「すばる様……! 我が命に代えましても、この盟約を守り抜きます!」
ハインリヒは感極まったように、泥の地面に額を擦り付けた。
「ただし、絶対の条件がある」
俺はハインリヒたちを指差し、冷たい声で明確なルールを突きつけた。
「俺の派閥に入るなら、今後一切、『一般人を巻き込むような真似』は禁止だ。神様同士の殺し合いに、関係ない奴らの日常を巻き込むな。……それが守れねえ時は、俺のイカサマと特大質量で、アンタらの結社ごと盤面から叩き潰してやるからな」
「ははっ! 肝に銘じます!」
そして、俺は振り返り、300年の王であるレヴィを見据えた。
「……それとレヴィ。身の上話には泣けたけどよ、俺は『復讐』なんて物騒な目的には加担しねえぞ。俺の戦う理由はあくまで、俺のちぐはぐな日常を守ることだけだからな」
その言葉に、レヴィは微かに目を伏せた。
「……そうか。それは残念だ。君のイカサマがあれば、憎き原初神へ手が届くかと……」
「だがよ」
俺は言葉を遮り、完治した右腕を、レヴィの胸元へと真っ直ぐに突き出した。拳を作って。
「もしアンタが、そのバカでかい神様に追い詰められたり、たった一人で死にそうになった時は……絶対に俺を呼べ」
レヴィが弾かれたように顔を上げる。
「アンタの復讐を一緒に背負ってやる気はねえ。だけど、アンタがピンチになったら、俺のイカサマと特大質量で、そいつの盤面ごとブチ壊して助けに行ってやる」
俺はニヤリと笑い、突き出した拳を少しだけ前に押し出した。
「同盟だの復讐だの、堅苦しい理由は抜きだ。……もう『ダチ』だろ、俺たち」
その言葉を聞いた瞬間。
300年もの間、愛する者を失った冷たい復讐心だけで生きてきた絶対零度の王の瞳が、大きく見開かれた。
彼の中で分厚く凍りついていた何かが、パチンと音を立てて割れたような気がした。
「……ダチ。……友達、か。アハハッ」
レヴィは呆然と呟いた後、腹の底から、本当に楽しそうに笑い声を上げた。そして、俺の突き出した拳に、彼自身の冷たく白い拳をコツンと合わせた。
「ああ、最高だ。……君を選んで、本当に良かったよ、すばる」
最弱のイカサマ師と、絶対零度の最古参の王。
ただの打算的な同盟ではなく、損得抜きの『悪友』としての絆が結ばれた瞬間だった。
数時間後。俺たちはレヴィが手配したプライベートジェットに乗り込み、日本への帰路についていた。
窓の外には、見渡す限りの青空が広がっている。
「さて、ダチとしての最初の頼みだ! 日本の君の家にいかせてくれ! 君のお母さんのハンバーグ、ぜひ食べてみたいと思っていたんだ!」
「……は? お前も日本に来るのかよ!?」
革張りのシートでくつろぐレヴィの言葉に、俺は思わず大声を上げた。
「当然だろう? 友達なんだから、同じアジト(君の家)に遊びに行くのが筋というものさ。日本のサブカルチャーにも興味があるしね」
「ふざけんな! セリアと紅刃だけでも生活費カツカツなんだぞ! これ以上、異常な居候を増やしてどうする!!」
「案ずるなすばる! このセリア・フォン・ローゼンベルク、庭に畑を耕して自給自足の生活を……!」
「アタシが毎日、奥多摩でイノシシ狩ってくるから安心しろ、ハズレ枠!!」
「お前ら全員、日本の現代社会を舐めすぎだ!!」
俺のツッコミと、レヴィの腹を抱えて笑う声が、高度一万メートルの機内に響き渡る。
右腕の激痛は消え、最高の無限コンボを手に入れた。だが、俺の周りの騒がしさは、以前よりもずっとスケールアップしてしまったようだ。
世界を巻き込む神殺しの闘争。俺の盤面は、ついに神話の深淵へと足を踏み入れた。
だが、次にどんな理不尽な絶望が襲ってきても、俺は必ずこのちぐはぐな日常を守り抜いてみせる。
——こうして、俺のヨーロッパでの泥棒稼業は、最悪で最高の結末を以て幕を閉じたのだった。




