春の終わりの同居人と、赤髪のストーカー
春の京都。崩壊していく神話空間の中で、燃え盛る炎を纏った女——紅刃は、凄惨な笑みを浮かべて統に歩み寄った。
『その産まれたてで熱々の【6】の権能……アタシのサイコロの肥やしにさせてもらうよ!』
統は、痛む体を無理やり動かして身構えた。
先ほどアレスを倒したばかりで、魔力は完全に底を突いている。右腕には【6】を引いた証である黄金の刻印が焼き付いているが、使い方もわからない。万事休す。そう覚悟した時だった。
「……チッ。なんだい、近くで見たら魔力欠乏で今にも死にそうじゃないか」
紅刃は舌打ちをして、燃え上がる獣の爪をスッと引っ込めた。
「アタシは【6】の権能が欲しいんだ。そんなスッカスカの魂ごと殺してサイコロを振っても、せっかくの大当たりが濁っちまう。……興醒めだね」
彼女はつまらなそうに統を見下ろすと、空間の裂け目へと背を向けた。
「いいかい、新米。その右腕の【6】の力、しっかり使いこなせるように育てておきな。極上に熟した頃に、アタシが命ごと刈り取ってやるからさ」
狂戦士は獲物を品定めするような流し目を残し、炎と共に姿を消した。
張り詰めていた糸が切れ、統はそのまま京都のアスファルトへ意識を手放した。
……神様が用意した理不尽な春休みは、こうして幕を閉じた。
いや、閉じたと信じたかった。
ーーーーーーーーーーー
数日後。
「……んぁ」
統が目を覚ますと、そこは京都の路地裏でも神話の闘技場でもなく、見慣れた西東京市にある自宅のベッドの上だった。
窓の外からは、西武線の走るガタンゴトンという平和な音が聞こえてくる。
「……夢、か?」
統は体を起こし、己の右手を見た。
手首から甲にかけて、びっしりと黄金の幾何学模様——【6】の刻印が刻まれている。アレスの神核を貫いた時の激痛も、確かな記憶として残っていた。夢ではない。自分は神を殺し、世界で数人しかいない厄災クラスのバケモノ【六王】になってしまったのだ。
重い溜息をつきながら、1階のリビングへと向かう。
キッチンからは、トトトトッという小気味良い包丁の音と、出汁のいい香りが漂ってきていた。母親は今日からパートでいないはずだが。
「おはようございます。新たなる王よ」
キッチンに立っていたのは、統のぶかぶかのジャージを着た、見知らぬ銀髪の美少女だった。
手にはお玉。エプロン姿。そして背中には、厳重な布でぐるぐる巻きにされた退魔の刀(現在は折れている)を背負っている。
「……どなた様でしたっけ」
「セリアです。京都であなたに命を救われた、【守護者】の剣。覚えていないとは言わせませんよ」
セリアは真顔で味噌汁の味見をしながら、淡々と告げた。
「【6】を引き当てた新王を、野放しにはできません。あなたは今、世界中の『簒奪者』から命を狙われる存在です。故に、上の組織からの命令で、私があなたの監視および護衛として24時間体制で同居することになりました」
「事後報告すぎるだろ! てか、親になんて説明したんだよ!」
「『スウェーデンから来た親戚の留学生で、武者修行のためにホームステイさせろ』と。ご両親は『あらあら金髪碧眼ねぇ!』と喜んで受け入れてくれました」
「うちの親のガバガバ判定!!」
平和な西東京市の自宅が、瞬く間に前線基地へと変貌してしまった。
頭を抱える統。そこに、ピンポーンと無情なインターホンの音が鳴り響く。
「すばるー! 春休みの京都のお土産、取りに来たよー!」
玄関のドアをガチャリと開けて入ってきたのは、幼馴染の葵だった。弓道部の朝練に向かう途中らしく、ジャージ姿だ。
「ちょ、葵! 今はダメだ!」
「何がダメなのさ……って、ええええええ!?」
葵は、リビングで統のジャージを着て味噌汁をよそうセリアを見て、完全に硬直した。
「と、統……あんた、春休みの旅行先で……見知らぬ外国人の女の子を……犯罪よ! 警察呼ぶわよ!」
「違う! これは親戚の……ええと、留学生で!」
「セリアだ。統の『剣』として、寝食を共にし、命を預け合う契約を結んだ」
「剣!? 命!? 統、あんた変なカルト宗教にでも入ったの!?」
生来、神々の気配に敏感な「霊感」を持つ葵は、セリアから発せられる微かな魔力に無意識の悪寒を感じていた。なんとか必死に葵を誤魔化し、「京都土産の八ツ橋」を押し付けて追い返す統。
「……はぁ。心臓に悪い」
嵐のような朝だった。だが、これもなんとか日常の範疇だ。うまくやり過ごせば、また元の平穏な高校生活に戻れるかもしれない。
「あ、そうだ統」
玄関から出ていったはずの葵が、ひょっこりと顔を出した。
「言い忘れてたんだけどさ。今日、この辺でお祭りでもあるの?」
「祭り? いや、何もないはずだけど……」
「そう? さっきからそこの電柱の影に、赤い髪のすっごい目つきの悪い女の人が立っててさ。ずっと統の家の窓、じーっと睨みつけてるのよ。知り合い?」
統の全身の血の気が引いた。
まさか。京都で別れたはずの狂戦士が。
統が弾かれたようにリビングの窓に駆け寄り、カーテンの隙間から外を覗き込む。
朝の穏やかな住宅街。登校する小学生たちの列の向こう側。
電柱に寄りかかっていた女——紅刃と、バッチリ目が合った。
彼女はカジュアルなライダースジャケット姿で、手には缶コーヒーを持っている。一見すればただのヤンキーだが、その瞳孔は獣のように縦に裂け、統に向かってニィッと犬歯を剥き出しにして笑った。
『(熟すまで待つって、言っただろ?)』
ガラス越しの口の動きで、はっきりとそう告げた。
平穏な日常など、とうの昔に終わっていたのだ。
世界最悪のストーカーに居場所がバレている絶望的な状況下で、統の「ハズレ枠の生存特化型高校生活」の第2ラウンドが、強制的に幕を開けようとしていた。




