初夏の雪と、凍りつく日常
西東京市の高校、昼休みの屋上。
アルテアとの死闘から数日後。俺は右腕を三角巾で吊ったまま、セリアと紅刃と共に、母さんの作った弁当箱を広げていた。
「統、アタシの卵焼きと、オマエのタコさんウィンナー交換しろ」
「お前それ絶対等価交換じゃねえだろ。それに居候の分際で要求がデカいぞ、ストーカー女」
「主のウィンナーは、第一騎士である私が毒見を……ッ!」
「お前はただ食いたいだけだろ、エリート気取り!」
右腕の激痛はまだ引かないが、この騒がしい日常の空気は、鎮痛剤よりもずっとよく効く。
そんなくだらない言い合いをしていた、その時だった。
「……あれ?」
初夏の温かい風が吹いていたはずの屋上で、紅刃がふと、身震いをした。
彼女の口から吐き出された息が、真っ白な『白い息』に変わっている。
「なんだ、急に寒く……」
俺が空を見上げた瞬間。
青く澄み渡っていたはずの初夏の空から、ひらりと、一枚の『雪の結晶』が舞い落ちてきた。
それは俺の弁当箱のフタの水滴に触れた瞬間、パキィィッ!と不気味な音を立てて、水滴だけでなくプラスチックのフタ、そして中身の唐揚げごとを一瞬で「絶対零度の氷」へと変えてしまった。
「なッ……!?」
「統、伏せてッ!!」
セリアが血相を変えて俺を押し倒す。
直後、屋上のフェンス、給水塔、そして空を飛んでいた鳥までもが、連鎖的にパキパキと音を立てて真っ白く凍りついていく。
『——統くん!! 今すぐそこから逃げなさい!!』
インカムから、イヴの悲鳴のような通信が飛び込んできた。常に冷静な魔女が、かつてないほど取り乱している。
『西東京市の上空に、異常な気象ドメインが急速展開しています! 観測される神威の波形……アルテア以上のバケモノです! 歴300年を誇る【六王】の最古参クラスが、直接そちらへ向かって……ッ!』
通信の音声すらも、強烈な冷気によるノイズで途切れていく。
俺は凍りついた地面に手をつき、青空がまるで「巨大な氷のドーム」のようにヒビ割れていくのを絶望的な気分で見上げた。
「……ウソだろ。退院して、まだ一週間も経ってねえぞ……」
「——逃げなくていいよ。別に、君たちを殺しに来たわけじゃないから」
唐突に、背後から優雅な男の声がした。
振り返ると、屋上の鉄扉の前に、見知らぬ青年が立っていた。
長い銀髪を一つに束ね、仕立ての良いクラシカルなコートを着こなしている。アルテアが放っていたような「暴力的で重い威圧感」はない。ただただ、彼がそこに立っているだけで、周囲の空間が『熱を失って静止していく』のだ。
紅刃が、ガタガタと全身を震わせ、顔面を蒼白にして後ずさった。
獣の直感が、目の前の存在が「絶対に逆らってはいけない理不尽」だと告げているのだろう。
銀髪の青年は、警戒して刀を構えるセリアを気にも留めず、俺たちの広げていた弁当箱の前にしゃがみ込んだ。
そして、カチカチに凍りついた『俺の唐揚げ』を指でつまみ上げ、そのまま口の中に放り込んで、ガリッと音を立てて噛み砕いたのだ。
「……うん、冷食も悪くない。日本の家庭料理は実に興味深いね」
青年はニコリと、無邪気な子供のように微笑んだ。
「初めまして、新参の王様。僕はレヴィ。君と同じ玉座に座って、かれこれ『300年』になるただの傍観者さ」




