魔女の裏技と、奥多摩の死闘
「……で、イヴ先生。俺のこの炭化した右腕、気合いで1ヶ月以内に動くようになるか?」
西東京市の地下セーフハウス。俺が力なく垂れ下がった右腕を示すと、イヴは冷酷に首を振った。
「無理ですね。神の刻印のオーバーヒートによる魔術回路の断裂。通常の治癒魔術では、最低でも半年は使い物になりません」
終わった。交渉で1ヶ月の猶予をもぎ取ったが、決戦当日に俺は何もできない。
絶望する俺に、イヴは眼鏡を押し上げて妖艶に微笑んだ。
「一つだけ、神の呪い(代償)を上書きする裏技があります。……**『はぐれ神獣』**を狩るのです」
神獣。神に仕える神格を持った獣のことだ。通常は神と共に顕現し、神が敗れれば一緒に神界へ帰るが、稀に主を失って現世に取り残される個体がいるという。俺が倒したギリシャの軍神アレスが連れていた『戦神の魔犬』が、奥多摩の山中を徘徊しているらしい。
「神獣を倒しても、権能はもらえません。代わりに、精神世界で専用の**『神判のルーレット』**を回すことができる。全100枠。当たれば、神獣の魂が『あなたが今最も望む専用の神器』に変化し、右腕の代償を相殺できるはずです」
「……100枠ってことは、残りの99枠は?」
「アカシックレコードからの『完全ランダム抽出』です。強力な魔剣が出るかもしれないし、ただのフォークが出るかもしれない。あるいは、使い方も分からない不気味な呪物が出る可能性もあります」
「ソシャゲの闇鍋ガチャより極悪じゃねえか!」
だが、文句を言っている暇はない。俺がトドメを刺さなければルーレットは回せないため、セリアをサポートとして連れ、俺たちは即座に深夜の奥多摩へと向かった。
「……デカすぎだろ。これで神様より下なのかよ」
奥多摩の深い森の中。木々をなぎ倒し、口から炎と血の匂いを吐き出しながら暴れ回っていたのは、象ほどもある巨大な三つ首の猟犬だった。
『グルルルォォォォッ!!』
「統、右腕は庇ってください! 私が隙を作ります!」
セリアが白銀の雷光を纏って斬り込む。しかし、魔犬の皮膚は鋼鉄のように硬く、弾かれた刀の余波でセリアの腕が弾き返される。
「チィッ!」
俺も左手一本で【1】の権能を発動し、自身の体重を軽くして魔犬の死角に回り込もうとする。だが、ダメだ。
一歩踏み込むたびに、炭化した右腕がちぎれるような激痛を発し、全身のバランスが崩れる。痛みのせいで魔力操作が乱れ、ステップの速度が普段の半分も出ていない。
『ガァァァァッ!!』
魔犬の三つの首が、素早い動きで俺を捕捉した。
炎を纏った巨大な前足が、俺の頭上から振り下ろされる。
「——権能解放!! 対象、魔犬の右足!」
俺は咄嗟に左手を伸ばし、振り下ろされる前足の重量を「ゼロ」にした。
だが、魔犬は神獣だ。ただの獣ではない。自らの右足の重量が消えたことに一瞬驚きはしたものの、即座に「炎の推進力」を足裏から爆発させ、無理やり軌道を修正して俺の腹部を蹴り飛ばした。
「ゴハッ……!!」
巨木を何本もへし折りながら、俺は地面をバウンドして吹き飛ばされた。
「統ッ!!」
セリアの悲痛な叫びが響く。全身の骨が軋み、口から大量の血が溢れた。右腕の痛みが脳を焼き尽くしそうになる。
「……あ、がっ……つえぇ……」
立ち上がれない俺に向けて、魔犬の三つの口の奥で、周囲の酸素を奪うほどの極大の炎のブレスが圧縮され始めた。あれを喰らえば、灰すら残らない。
「やらせるかッ! 我が一撃、神の理を断つ——!」
セリアが俺を庇うように前に出て、全魔力を込めた『迅雷』の型を構える。だが、魔犬はセリアの動きを見切り、三つの首のうちの一つを彼女に向け、残りの二つを俺に向けた。
このままでは、二人とも死ぬ。
頭を回せ。右腕が使えないなら、左手と、頭と、この命をチップにしてイカサマを仕掛けろ。
「……セリア! 俺のことはいい、アイツの『足元』の地面を全力で抉れ!!」
俺は血反吐を吐きながら叫んだ。
「しかし!」
「いいからやれッ!!」
セリアは一瞬だけ唇を噛み締めると、魔犬そのものではなく、魔犬が踏みしめている「岩盤」に向かって、最大火力の雷撃を叩き込んだ。
ドガァァァァン!!
岩盤が砕け散り、魔犬の巨体がバランスを崩して大きく傾く。
「——ここだッ!!」
ブレスの発射がコンマ一秒遅れたその隙。俺は最後の力を振り絞り、【1】の権能で自身の体重をゼロにして、崩れる足場を蹴り飛ばした。
俺が向かったのは、逃げ道ではない。
魔犬の、巨大な三つの顎の『真正面』だった。
「食ってみろ、駄犬……ッ!!」




