命の全賭け(オールイン)と、燃え盛る原初の灰燼
舞い散る蒼いダイヤモンドダストが、熱を帯びた南米の風に溶けて消えていく。
かつて世界を恐怖で支配し、最後に『家族』のために命を散らした氷の王は、もうこの世のどこにもいない。
「……ハァ……ハァ……」
俺は、レヴィの遺した蒼いマントの切れ端を左腕に固く巻きつけ、右手に握りしめた禍々しいカジノチップ——【星のブラックチップ】を、血まみれの指先で見つめた。
『——命を散らした氷の王に報いず、自らも灰となる道を選ぶか。愚かなる人の子よ』
頭上の『光の門』から、純白の剣の姿をした執行神・メタトロンの、底知れぬほど冷酷な声が降り注ぐ。
『——星の理は絶対なり。如何なる炎を灯そうと、真なる主を迎える天の門は焼けぬ』
漆黒の盾の姿をした執行神・サンダルフォンが、メタトロンの言葉に重圧な声を重ねる。
「……理だと? 知るかよ」
俺は、血反吐を吐き捨て、ゆっくりと顔を上げた。
悲しみも、絶望も、恐怖も。すべての感情は、とうの昔にドス黒い殺意の奥底へと沈み込んでいる。
「テメェらが作った星のルールなんて、俺の知ったことじゃねえ。……俺の家族を奪ったクソみてえな盤面ごと、一滴残らず燃やし尽くしてやる」
俺は、ウロボロスの傷跡が刻まれた左腕を高く掲げた。
今まで、このブラックチップを使う時は、己の寿命の「数年分」を削り取って燃料にしてきた。
だが、今回は違う。今の俺の魂にあるのは、数十年先の未来を捨ててでも、目の前の神々を皆殺しにするという純度100%の殺意だけだ。
「……全額ベット(オールイン)だ」
俺は、己の命の『すべて』を掛け金として、赤黒く脈打つチップを天空へと弾き飛ばした。
カチンッ……!!
チップが空中で止まった瞬間。
俺の心臓が、物理的に握り潰されたかのような激痛に襲われ、視界が真っ赤に染まった。
魂そのものがゴッソリと抉り取られ、髪の毛の先端から色素が抜け落ち、真っ白な灰のように変色していく。
引き換えに、俺の全身から噴き上がったのは、シベリアで見せたものとは比較にならない、夜の闇よりも深く、地獄よりも熱い『漆黒の炎』だった。
「おおおおおおおオオオォォォッ!!!」
『——無知なる泥人形め。身の程を知れ』
メタトロンが、光の門から【終焉の閃光】を再び放つ。
レヴィの氷壁すら粉砕した、触れるものすべてを無へ還す絶対的な淘汰の光。
だが。
「……消えろ」
俺が漆黒の炎を纏った右腕を振るった瞬間。
終焉の閃光は、俺に届く数メートル手前で、まるで紙くずが燃えるようにボワッと音を立て、真っ黒な『灰』となって崩れ落ちた。
『な、に……? 天の光が、燃えただと……?』
サンダルフォンの重厚な声に、初めて『驚愕』の感情が混じる。
これこそが、命を削り切って引きずり出した【原初の灰燼】の真髄。
相手の魔法を相殺しているのではない。メタトロンの放った「淘汰の概念」そのものを、漆黒の炎が『燃やして無効化』しているのだ。
「驚くのはまだ早いぜ、神様よ……!」
俺は大地の岩盤を蹴り砕き、重力すらも燃やし尽くして、天空の双柱へ向けて真っ直ぐに跳躍した。
『——させぬ。基盤の隔絶!』
サンダルフォンが、巨大な漆黒の盾を前方に展開し、俺の行く手を完全に遮断する。
レオンの斬撃も、ガルドの拳も、すべてを数倍にして跳ね返した絶対防御の理。
「……テメェの盾は、もう見切ってんだよッ!!」
俺は、空中で左手を翳した。
そこに握られているのは、北米で第2の執行者から奪い取った【青き払い戻し】のチップ。
「——【空白の断絶】!!」
青き権能が発動し、サンダルフォンの絶対防御の盾の『空間そのもの』が、幾何学的なグリッド状にズレて切り取られる。
防御に一瞬の『亀裂』が生じた。
『馬鹿な……我らと同質の理を、人間が……!?』
『——サンダルフォン、退がれ!』
メタトロンが純白の剣を振るい、俺を両断しようと迫る。
だが、俺の懐にはまだ、アフリカで奪い取った【赤き払い戻し】のチップが残っている。
「……こいつで、お前も道連れだ!!」
俺は右手に宿した漆黒の炎(原初の灰燼)を全開にしながら、左手で赤き権能——【淘汰の抱擁】を解放した。
俺の背後から、無数の不可視の『多腕』が顕現し、振り下ろされたメタトロンの純白の剣に絡みつき、その刀身の進行を強制的に縛り上げる。
『ぬぅぅぅッ……! この泥人形、我らの権能を幾重にも……!』
「ハッ……イカサマ師の袖の中には、いつだってテメェらの想像を超えるカードが隠されてるんだよ!!」
俺は、メタトロンの剣を不可視の腕で押さえつけ、サンダルフォンの盾の亀裂へ向けて、漆黒の炎を限界まで圧縮した右拳を叩き込んだ。
「——レヴィの分だァァァァァッ!!!」
ガァァァァァァァァァァァンッ……!!!
星を砕くほどの轟音が、南米の空に響き渡る。
俺の魂を燃やした漆黒の炎が、サンダルフォンの盾の亀裂から内部へと侵入し、その絶対的な理を内側から焼き尽くしていく。
ピキ……ッ、パァァァァァァンッ!!
世界を隔絶するはずの漆黒の盾(第5の執行者)が、真っ二つに叩き割られ、美しい光の粉となって空中に爆散した。
『……サンダル、フォン……だと……!?』
相方を砕かれたメタトロンが、信じられないものを見るように俺を見下ろす。
「……ハァ、ハァ……どうだ、クソ代行者……。次は、テメェの番だ……」
俺は空中で不敵に笑い、メタトロンの純白の剣へ向けて漆黒の炎を放とうとした。
——だが。
「……が、はッ……!?」
俺の口から、おびただしい量の黒い血が噴き出した。
右腕を見ると、漆黒の炎を纏っていたはずの腕の肉が、ボロボロと崩れ、炭のように黒く変色している。
(……命の、前借りが……限界……ッ)
ブラックチップで己の魂のすべてを燃料にした代償。
俺の肉体は、神を殺す前に、俺自身の放つ原初の炎の熱量に耐えきれず、自壊を始めていたのだ。
『——愚かな。己の器を超える力を引き出し、自ら滅びを招いたか』
メタトロンの冷酷な声が響く。
俺の身体が、力を失い、空の彼方から真っ逆さまに墜落していく。
薄れゆく意識の中で、俺は見た。
サンダルフォンの盾が砕け散ったにも関わらず。
頭上の『光の門』が、すでに必要な魔力を充填し終え、ギギギギ……と、悍ましい音を立てて完全に開け放たれるのを。
『……時が、満ちた。サンダルフォンの犠牲は無駄ではなかった』
メタトロンが、天空に開いた門へ向けて、恭しく純白の剣を掲げる。
『——降臨せよ。我らが真なる主。星の理を統べる【名もなき神】よ』
墜落していく俺の目に最後に映ったのは。
開かれた光の門の奥から、今までの執行者たちとは次元の違う、ただ見つめるだけで魂が押し潰されそうになるほどの『絶対的な絶望の影』が、この星にゆっくりと這い出してくる光景だった。




