氷王のツケ払いと、砕け散る絶対零度
「レヴィ……やめろ! 行くなッ!! レヴィィィィッ!!!」
かつて熱帯雨林だった赤茶けた南米の荒野。
俺の喉が裂けんばかりの絶叫も、第4と第5の執行者が交差して生み出す、星を滅ぼすほどの『淘汰の轟音』にかき消されていく。
「……統。お前は、いつも背負いすぎる」
振り返りもせず、氷王レヴィは執行者の双柱へ向けて歩みを進めていた。
その背中は、かつて世界を恐怖で支配した王の威厳に満ちていながら、どこか穏やかで、静かな熱を帯びていた。
(……俺は、とうの昔に死んでいたはずだった)
レヴィの胸の内に、遠い過去の記憶が静かに蘇る。
憎き宿敵、炎の原初神。あの絶対的な灼熱の権能によって、愛する者を腕の中で灰に変えられ、国を焼かれ、己の魂にまで消えない火傷を刻み込まれたあの日。
レヴィは自らの心を『絶対零度』で凍りつかせ、ただ炎の原初神への復讐のためだけに生きる、孤独な亡霊となった。
だが、その分厚い氷を、泥臭いハッタリと無茶なベット(賭け)でカチ割った馬鹿なイカサマ師がいた。
そいつは、レヴィの生涯を懸けた復讐の対象であった『炎の原初神』を、自らの命を削って共に討ち果たし、レヴィの凍りついた魂を解放してくれたのだ。
『テメェも今日から、極東のテーブルに座る家族だ』
笑い合い、飯を食い、背中を預け合う。あの騒がしくも温かい地下アジトの食卓。
それは、すべてを灰にされたはずのレヴィにとって、玉座よりも遥かに眩しく、愛おしい『帰る場所』だった。
(……原初の炎は消え、俺の復讐はすでに終わっている。……これ以上、俺の命を惜しむ理由など、どこにもないのだ)
『——統! 二柱の執行者の魔力波長が、極限まで圧縮されています! あの光の門から、測定不能な量のエネルギーが……!』
通信機越しに響くイヴの声が、戦慄に震えている。
その時だった。
荒野に立つ俺たちの脳内に、直接『声』が響き渡った。
それは、獣の咆哮でも、機械の音声でもない。絶対的な超越者としての、底知れぬ知性と冷酷さを孕んだ『神の意志』だった。
『——我は、天の意志を代行し、不純を裁く白き刃。メタトロン』
純白の剣の姿をした執行者が、光の門を押し広げながら、荘厳な声で告げる。
『——我は、世界の基盤を隔絶し、理を閉ざす黒き盾。サンダルフォン』
漆黒の盾の姿をした執行者が、それに呼応するように低い声で重なる。
『星の理を盗みし、極東の泥人形どもよ。我らが『名もなき真の主』がこの星に降り立つ前に……その醜き存在ごと、淘汰の光へと還るがいい』
知性を持った神の代行者。
メタトロンとサンダルフォン——その二柱が、極東の咎人たちを完全に「無へ還す」ための、星の理そのものを凝縮した【終焉の閃光】を放とうとしていた。
「……ハッ」
レヴィが、愛刀である氷の細剣を天空へと掲げながら、冷たい鼻で笑った。
「真の主だの、代行者だの。……ただの世界に組み込まれた『掃除用具』の分際で、随分と饒舌じゃないか」
その瞬間、彼の魂の奥底に刻まれた神の理——彼だけが到達したサイコロの【6の目】が、心臓の鼓動を燃料にして、爆発的に蒼く輝き始めた。
「レヴィッ!! 駄目だ、それ以上魔力を引き出したら、テメェの魂が……身体が割れるぞッ!!」
血反吐を吐きながら立ち上がった俺が、手を伸ばして走る。
だが、遅い。
『——己の理を解放する:【絶対零度・永久氷穴】』
レヴィの全身から、彼の命そのものを限界まで燃やし尽くして生み出された、途方もない蒼光の吹雪が巻き起こった。
ゴォォォォォォォォォォォォォッ!!!
執行神メタトロンとサンダルフォンから放たれた終焉の閃光が、南米の荒野を白く染め上げながら、俺たち極東陣営へ向けて襲いかかる。
だが、その閃光と俺たちの間に、レヴィが自らの命を楔にして生み出した、天を突くほどの『巨大な蒼き氷壁』がそびえ立った。
ギィィィィィィィィィィンッ……!!!
神の代行者の理(光)と、神殺しの理(氷)が激突する。
かつてない凄まじい衝撃波が荒野を吹き荒れ、意識を失って倒れている雅や紅刃たちの身体が宙に浮く。セリアが必死に盾を地面に突き立てて耐え、俺は吹き飛ばされながらも、レヴィの背中を、その氷の壁を血走った目で見つめ続けた。
「……ぐ、ぅぅぅぅぅぅおおおおおッ!!」
氷壁の向こう側で、レヴィが血を吐きながら細剣を押し込んでいる。
圧倒的な質量の差。双柱の淘汰の光は、分厚い氷壁をジリジリと「無へ還し」ながら、確実にレヴィの身体へと迫っていた。
『愚かな。星の理に抗うなど、一片の価値もない無駄な足掻きだ』
頭上から、メタトロンの冷酷な声が降り注ぐ。
ピキッ……。
不吉な音が、レヴィの身体から鳴った。
「あ……」
俺の喉から、間の抜けた声が漏れる。
限界を超えて魂の魔力を引き出した代償。そして、淘汰の光に触れた余波。
レヴィの右腕が、陶器のようにひび割れ、指先からパラパラと『氷の粒子』となって崩れ落ちていく。
「やめろ……レヴィ……! もういい、もうやめろォォォォッ!!」
俺は、全身の骨が軋むのも構わず、彼へ向かって手を伸ばして駆け出した。
レヴィの足が砕ける。左腕が崩れ落ちる。
それでも彼は、残った魔力のすべてを氷壁に注ぎ込み、俺たちに終焉の光が届くのを、その身一つで押し留め続けていた。
「……統」
崩壊していく身体の中で。
レヴィは、ゆっくりと、こちらを振り返った。
その顔の半分もすでに氷の亀裂が走り、砕け散ろうとしている。
だが、その表情は。
俺が今まで見たどんな時よりも、深く、温かく、そして誇り高い『王の微笑み』だった。
「……泣くほどの価値はない。お前たちが原初の炎を消し去ってくれたあの日から……俺の命は、とうに極東のテーブルに置いてある」
「ふざけんなッ! 誰もテメェにそんな支払い求めてねえ!! 生きろ、生きろよレヴィッ!!」
俺が彼の手を掴もうと、必死に指を伸ばす。
あと数メートル。あと少しで、届く。
「……お前は、俺の永遠の闇を溶かしてくれた。……俺の、たった一人の……最高の、ディーラーだ」
ピキィィィィィンッ!!!
レヴィの優しい声が響いた直後。
メタトロンとサンダルフォンの閃光が、ついに限界を迎えた氷壁を完全に粉砕した。
「————」
俺の目の前で。俺の伸ばした指先をすり抜けて。
レヴィの身体が、無数の美しいダイヤモンドダストとなって、南米の空へと弾け飛んだ。
彼が命を賭して稼いだ数秒間のおかげで、終焉の閃光は威力を失い、極東の陣地を焼き払うことなく空の彼方へと逸れていった。
だが、光が過ぎ去った後の赤茶けた荒野には。
氷王レヴィの姿は、どこにもなかった。
ただ、彼の纏っていた蒼いマントの切れ端だけが、俺の足元に力なく舞い落ちた。
「……あ、あ……」
俺は、舞い落ちたマントの切れ端を拾い上げ、膝から崩れ落ちた。
指の隙間から、彼を形作っていた氷の粒子が、サラサラとこぼれ落ちていく。
『……統。……レヴィの魔力反応……完全に、ロスト、しました』
イヴの声が、ひどく掠れて聞こえた。
炎の原初神からすべてを奪われ、それでも最後に『家族』のために命を懸けた、誇り高き氷の王。
俺の手札。俺の仲間。俺の、かけがえのない家族。
それが今、俺の目の前で、理不尽な星の天災によって、完全にこの世から消し去られたのだ。
「ああああ……ああああああああああああああああああああああッ!!!」
俺の絶叫が、赤茶けた荒野にこだまする。
血を吐くような、魂が引き裂かれるような悲慟。
『哀れな。一つのエラーが消去されたのみ。……さあ、真なる主を迎え入れよう』
執行神サンダルフォンの無機質な声と共に、純白の剣と漆黒の盾は、目障りな氷が消え去ったことで、再びゆっくりと頭上の『光の門』へと魔力を注ぎ込み始めた。
「……許さねえ」
俺は、レヴィの蒼いマントを強く握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。
瞳から溢れていた涙は、あまりの怒りと絶望の熱によって、とうに蒸発している。
「星の理だろうが、神の代行者だろうが……俺の家族の命を奪った落とし前……絶対に、許さねえ……!!」
俺は、左手のポケットの奥。
俺自身の寿命そのものを灰にする、禁断の【星のブラックチップ】を鷲掴みにした。
今までとは違う。俺の魂を、文字通りすべて燃やし尽くすほどの、底知れぬ漆黒の殺意と共に。
南米の荒野に、静かにダイヤモンドダストが降り注ぐ中。
レヴィを失った最悪のイカサマ師は、愛する友の死を乗り越え、星の淘汰そのものを道連れにするための『真の全賭け(オールイン)』へと、その手を伸ばすのだった




