春の嵐と、通りすがりの泥這い
「神はサイコロを振らない」と言ったのは、かの有名な物理学者だ。
だが、訂正させてもらいたい。神はサイコロを振らないかもしれないが、神を殺した人間は、強制的にサイコロを振らされる。
高校二年の春休み。御堂統は、幼馴染の家族旅行に便乗する形で、観光客でごった返す京都に足を運んでいた。
名所の神社仏閣を巡り、抹茶パフェを食べ歩く。そんなありふれた、けれど心地よい平和な日常。
しかし、神社の鳥居をくぐろうとしたその瞬間——世界から「音」が消えた。
行き交う観光客たちはマネキンのように硬直化し、歴史ある木造建築を突き破って、血と砂に塗れた古代ギリシャの円形闘技場が顕現する。見慣れた観光地は、たった数秒で神の遊び場へと書き換えられた。
「……最悪だ。せっかくの春休みだってのに」
人類の1%しかいない『適格者』である統は、舌打ちをした。
かつて偶然下級神を倒した彼が、精神世界のカジノで振ったサイコロの目は最弱の**【1】**。与えられた権能は「触れたものを数秒だけ軽くする」という、ハズレ能力だ。
「俺はモブだ。首を突っ込めば死ぬだけだ」
物陰に身を潜めた統の視線の先。闘技場の中央で、一人の少女が絶望的な戦いを強いられていた。
白銀の髪をなびかせる、見ず知らずの同年代の少女。彼女が何者かは知らないが、その剣捌きは常軌を逸していた。雷を纏う刀で、身の丈3メートルを超える筋肉の鎧——ギリシャの軍神アレスへと果敢に斬り込んでいく。
だが、敵は闘争の概念そのもの。
少女の放つ雷の魔術も、神を裂くはずの刃も、アレスの絶対防御『不落の大盾』の前では傷一つ付けられない。
「脆い。人間にしては良い剣戟だが——神の戦争には届かん!」
アレスが虚空から黄金の大剣を引き抜き、薙ぎ払う。ただの一振りで発生した暴風が少女を吹き飛ばし、彼女の刀は無残にもへし折られた。
血を吐き、崩れ落ちる見知らぬ少女。その頭上に、アレスの大剣が処刑の如く振り上げられる。
——見捨てるか? 逃げるか?
いや、逃げられない。この神話空間では、神を殺す以外に出口はない。
「……っとに、何やってんだよ俺は!」
統は地を蹴った。
**権能解放:【1の目】。**代償:ゼロ。
自らの靴に権能を発動させ、体重を極限まで軽くして超音速のステップを踏む。アレスの大剣が少女を両断するコンマ一秒前、統は剣の側面に素手で触れた。
「重力干渉!」
数トンはある神剣の重量が、一瞬だけ「羽」のように軽くなる。
アレスは自身の剛力と狂った重量バランスにより軌道を大きく逸らし、大剣は少女の横の地面を叩き割った。
「貴様……ただの羽虫が、我が剣に干渉しただと?」
アレスの三白眼が、統をギロリと睨み下ろす。神の殺意が、物理的な重圧となって統の全身を押し潰した。
「通りすがりの観光客だよ……ッ!」
虚勢を張る統だったが、実力差は絶望的だった。アレスの裏拳が統の腹部を掠める。それだけで肋骨が数本砕け、統はボールのように吹き飛ばされて闘技場の壁に激突した。
「ガハッ……!」
肺から空気が抜け、視界が明滅する。
「羽虫は地べたを這いずって死ね」
ゆっくりと歩み寄ってくる軍神。逃げ場はない。助けた少女は気絶している。
統は薄れゆく意識の中で、すぐ傍に落ちていた「少女の折れた刀の刃先」を血まみれの手で握りしめた。
まともに戦えば100回やって100回死ぬ。
なら、神様も想定外の「イカサマ」で殺すしかない。統の瞳に、死狂いの光が宿った。




