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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第8話:東京の最も長い1日

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98/105

暗躍

再び、場面は変わり……。


「……準備は、出来ましたか?」


「はい。工作員の大半が、清掃員や出入り業者に扮して都庁内への潜入に成功しています」


「……いいでしょう」


都庁・地下駐車場。

コンクリートの冷気が漂う中、一台の高級セダンから一人の男が数人を連れて降り立った。


「しかし……本当にいいんですか? あなたは……」


供回りの一人が、懸念を口にする。


「……良いんです。先日の失敗で、私の立場はすでに潰えている。挽回するには、この作戦を完遂するしかない。成功し、無事に逃げ延びることができた暁には、私は晴れて幹部へ昇格する……。そういう約束なのです。『我が盟主ジョーカー』とのね……」


スーツを完璧に着こなした初老の紳士が、指先で眼鏡のブリッジをスッと整える。

その所作は優雅ですらあるが、瞳の奥には狂気的な執念が宿っていた。


「予定通りの時刻に開始します。各自、準備を怠ることのないように……」


「了解です!」


紳士の短い号令と共に、周囲の男たちが影に溶け込むように霧散していく。


「まさか、都庁前であれほどの騒動があった直後に、再び都庁の内部で事件が起こるなど、誰も思ってもいないでしょうね……」


小さく、愉悦を孕んだ笑みを漏らし、紳士は駐車場から庁内へと足を踏み入れる。

そして、迷いのない足取りで受付カウンターへと向かった。


「こんにちは。本日、都知事はいらっしゃいますでしょうか?」


「……失礼ですが、お約束は……?」


突然の知事への面会希望に、受付嬢が警戒心をあらわにする。

しかし、それも想定内といった面持ちで、紳士は穏やかに言葉を紡ぐ。


「おやおや、話が通っておりませんでしたか……。間もなく13:00に面会していただけることになっていたはずなのですが……」


紳士がさりげなく目配せをする。

ロビーに紛れていた数人の男たちが、一般客を装って素早くエレベーターに乗り込んだ。


(本日、知事は都庁内にいるようですね……)


紳士は、受付嬢が「不在です」と言わずに「お約束は?」と返答した一瞬の反応だけで、一色が庁内に留まっていることを確信していた。


「失礼ですが、お名前を伺っても……?」


「あぁ、いいえ。結構ですよ。また改めてアポを取ることにいたしましょう。私の都合など、今の都においてそれほど重要なことではございませんから」


紳士は、聖職者のような優しい笑みを受付嬢に向けると、


「……少し、庁内を見学させていただいても宜しいですかな?」


「ええ。どうぞごゆっくりご覧ください」


都庁内を見学すると一言告げ、背後で閉まりかけたエレベーターへと滑り込む。


「……知事は、庁内にいるようです」


「……了解しました」


エレベーターの中には、先ほど乗り込んだはずの男たちが、既に殺気を帯びた表情で紳士を待っていた。


「予定通り13:00、作戦を決行します。皆さん……これが我々の『聖戦』となるでしょう。くれぐれも、気を抜くことのないように……」


紳士は、高級な腕時計に視線を落とすと、不敵な笑みを深く刻むのであった。



「知事、巡回お疲れ様でした。ですが、最近はスケジュールも詰まっておりますし、巡回の回数を減らして休む時間を作られた方が……」


12時54分。


都庁内の巡回を終え、一色は執務室に戻ろうとしていた。


「大丈夫よ。帰宅したらすぐに休むようにしているわ。都庁にいる間は勤務の時間。私が働かなくてどうするの?」


「しかし……」


「私の身を案じてくれているのね。ありがとう。でも、本当に大丈夫だから」


体調を案じる秘書に柔らかな笑みを向け、エレベーターを降りる一色。

だが、執務室の重厚な扉を前にした瞬間、彼女の歩みが止まった。


(……人の気配がする)


弁護士時代に培われた鋭い感覚が、扉の向こう側に潜む「異物」を捉えた。

微かな衣擦れの音、そして抑えられた低い会話。


「……お願いがあるの」


一色が唐突に、秘書に向き直った。


「今すぐ防災センターへ行って、監視カメラの映像をチェックしてきてほしいの」


「映像のチェック……ですか? それなら警備の者にすぐに手配を……」


「いいえ、あなたにお願いしたいの。今日は出入り業者が多すぎる。補修にせよ発注にせよ、あれほどの規模なら私の元に稟議が上がっているはずよ。でも、私はここ数日そんな書類は見ていない。どこの部署に、どの業者が向かったのか、それをあなたの目で精査してほしい。この仕事は、あなたにしか頼めないわ」


秘書は一色の射抜くような眼差しを受け、その言葉の裏にある「警告」を即座に理解した。


「なるほど……。他の者に任せるより、私が直接確認し、異常があれば即座に報告しろ……ということですね」


「……さすがは私の秘書。お願いできるかしら?」


「もちろんです! すぐに向かいます!」


信頼を寄せられた秘書は、迷いのない足取りでエレベーターへと引き返していく。

一色は彼女が乗り込み、表示階数が『1』に変わるのを冷徹に確認してから、執務室のドアノブに手をかけた。


カチリ、と硬質な音が響く。

一色は何かを探るように、ゆっくりとドアノブを回した。


「…………」


扉を開けた先には――。


「お帰りなさいませ、都知事。日々の巡回、本当にお疲れ様でございます」


地下駐車場で指揮を執っていたあの初老の紳士が、知事専用の椅子に深く腰掛けていた。

周囲には作業着に身を包んだ男たちが六人、壁際に音もなく控えている。


「……知らない顔ね。アポイントを取った覚えはないのだけれど?」


「ええ。少々急を要する内容でしてね。不作法ながら飛び込みで参りました」


悪びれる様子もなく、紳士は優雅に眼鏡の縁を触る。


「……良からぬ報せのようね?」


「……恐れながら」


一色は怯むことなく、紳士の方へ毅然と歩み寄ろうとした。

だが、瞬時に六人の男たちがその行く手を阻む。


一斉に突きつけられたのは、黒光りするサブマシンガン。


「……物騒ね」


「申し訳ございません。ですが、そちらの対応次第では、話をもっと穏便に進めることも可能です」


紳士の眼鏡の奥、氷のように冷ややかな視線が一色を鋭く射抜いた。

13時まで、あと5分。

都庁の中枢が、静かに、そして確実に行き止まりへと追い詰められていた。



「……それで? あなたの言う『対応』という言葉。つまり、私が何らかの決断を迫られるような要求を、これから突きつける。そういう解釈でいいのよね?」


六方から突きつけられた機関銃の銃口。

その死の円環の中心に立たされてなお、一色は眉一つ動かさず、毅然と言い放った。


「……此度の知事殿は、大した心臓をお持ちのようだ」


紳士は感心したように細く息を吐くと、優雅に脚を組み替えた。


「左様です。我々はこれから、あなたに幾つかの『対応』をお願いすることになります。まぁ、知事だけに限らず、国の方にもお願いすることにはなりますが……」


「……犯罪者の汚い要求に、皆が耳を貸すとでも思っているのかしら?」


「ふふ、そんな強がりを言っていられるのも今のうちですよ。……さぁ、時間だ」


時計の針が重なり、13時00分を指す。

その瞬間、都庁内の空気が一変した。


「この執務室にいるのは我々七人だけです。しかし、都庁全域には既に戦闘訓練を積んだ工作員が潜伏し、大量の武器弾薬が搬入されています。……この言葉の意味、聡い貴女にならお分かりのはずだ」


うっすらと愉悦の笑みを浮かべ、紳士が一色を射抜く。


「……この都庁にいる職員、そして来庁者、数千人すべてを人質にするということね?」


「御明察です」


「でも、都庁をジャックするなんて愚かだわ。地理的にも構造的にも、貴方たちに逃げ場はない。要求を呑ませたところで、鮮やかに逃走することなんて不可能よ」


一色もまた、紳士の放つ威圧感に抗うように、冷ややかな笑みを口元に湛えて答える。

しかし、返ってきた言葉は彼女の予想を遥かに超える絶望だった。


「……いいのです。逃げ場など」


「……え?」


「我々の最終目的は『要求が通ること』その一点にあります。生き延びよう、逃げ延びようなどとは最初から考えていない。だからこそ……そう、我々は何でもできる。何にでもなれる」


「……っ!」


「我々は、先日の件で一度失敗しているのです。これが『盟主(ジョーカー)』と共に戦う最後のチャンス。いわば……『捨て駒』の矜持とでも言いましょうか」


紳士は事も無げに言うと、胸ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。


「もしもし……ええ、事件です。直ちに繋いでいただきたい」


「まさか……自分から警察に通報を……!?」


紳士の常軌を逸した行動に、一色は初めて言葉を失った。


「特務課さんに繋いでいただけますか? この事件の概要とルールを、正確に警視庁の皆さんにお伝えしなければならない。それにはまず、北条さんたちに話を聞いていただかなければなりませんから」


淡々と、まるで午後の茶会の約束でも取り付けるような落ち着き払った声。


「あぁ、私が何者か、というお話ですか? そうですね……」


受話器越しに正体を問われたのか、紳士は少し困ったように眉を下げた。


「どうしましょうか。正式に名乗って良いものか、確認しておりませんでしたね……」


紳士は執務室の窓際へ歩み寄り、眼下に広がる新宿の街を見下ろしながら、ふと思いついたように口角を上げた。


「……そうだ、こうお伝えください。私は『F』。特務課の皆さん、お久しぶりです……と」



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