都庁
一方、場面は変わり、東京都庁。
「知事、お疲れさまでした」
「……いいえ、このくらいは何ともないわ」
東京都知事、一色 春子は、連日の会見に追われていた。
「会見でしたら、副知事や広報も控えております。少しお休みになられては?」
先日のバスジャック事件以降、一色は早朝に登庁し、深夜に帰宅する過酷な日々を過ごしていた。
秘書がその身を案じ、いたわるように進言する。
「毎日こういう生活をしているわけではないわ。今は『有事』なの。不安を強いられている都民に直接説明を尽くすのは、知事である私の役割よ。少しでも私の言葉で誰かの不安が和らぐのなら、それでいい」
「……かしこまりました。ですが、不調を感じたら無理をせず必ず私にお伝えください。倒れられては元も子もありません」
「ええ、もちろん。でも心配しないで。そんな失態は演じないわ」
一色は周囲の職員に声をかけながら、都庁内を歩き始める。
これが彼女のルーティンだ。
公務で手が離せないとき以外、わずかな隙間時間を見つけては庁内を巡回し、職員たちと会話を交わす。
同じ場所で働く仲間だからこそ、現場の意見や近況に耳を傾け、労うことを彼女は何よりも重んじていた。
前任の汚職、さらにその前の麻薬事件。
不祥事が続き、地に落ちていた都政のイメージ。
そこに彗星のごとく現れ、当選したのが数代ぶりの女性知事である一色だった。
弁護士出身である彼女が掲げたスローガンは『正義の政治』。
その言葉通り、彼女は都民の声を拾い上げ、職員一人ひとりと向き合い、緩みきっていた体制を劇的に立て直した。
議会でもその姿勢は変わらない。
テレビ中継で、居眠りをする古参議員を容赦なく一喝する姿は都民の喝采を浴び、彼女への期待感は着実に高まっていた。
そんな矢先に起きた、『神の国』による一連の事件。
知事としての、そして一人の政治家としての技量と裁量が、今まさに試されている。
(それにしても、高橋警視監が辞任なんて……。彼という柱を失うことで、現場の警察官たちの求心力が失われなければいいけれど……)
弁護士時代、高橋が解決した事件の被害者遺族を幾度となく弁護してきた一色は、彼の辞職を心の底から惜しんでいた。
「それにしても、今日は出入り業者が多いわね……」
ふと、一色は庁内の空気の微かな変化を感じ取った。
外部から出入りする業者の姿が、いつもより多い。
作業着に身を包んだ男たちが、慌ただしく廊下を行き交っている。
その光景に、一色の鋭い直感が小さな警鐘を鳴らしていた。




