悪の組織
都庁周辺も、先日の事件の爪痕を消すための後片付けが進められていた。
ロータリーでの格闘や香川の狙撃に関しては、幸いにも大規模な器物損壊は免れた。
しかし、都庁内にいた人々のパニックを伴う避難、そしてバス内に閉じ込められていた人質の救出。
その際の混乱で、数箇所の植え込みが踏み荒らされ、ガラスが割れるなど、現場には荒涼とした空気が漂っていた。
「……ここのところ、一番の被害者は都知事かもしれないね。これほど凄惨な事件が立て続けに起きて、東京の治安維持能力を疑問視されている。警察が手を抜いているわけじゃないけれど、知事の心中を察すると、申し訳ない気持ちになるよ」
今や『神の国』に関連する事件は、全国ニュースのトップを飾り、連日報道番組で特集が組まれるほどの社会現象となっていた。
SNSでは『神の国』の過激な思想を支持する層すら現れ始め、警察の不手際を糾弾し、現体制のあり方に疑問を呈する声が急速に膨れ上がっている。
「僕たちが後手に回っている間に、世論の天秤が少しずつ傾き始めた。今は知事の責任問題で済んでいるけれど……これが国の大問題に発展するのは、もう時間の問題だね。僕たちには、一分の猶予も残されていないってことさ」
ワイドショーの画面を睨みつけながら、北条が苦い表情で吐き捨てる。
「おーい、爆弾の分析が終わったぞ!」
重苦しい司令室の空気を切り裂くように、辰川が声を上げた。
「あぁ、辰さん。おかえり」
「で、どうだったの? 何か収穫は?」
北条とあさみが、辰川の手元を注視する。
「爆弾自体の構造は、それほど難解なものじゃねぇ。爆破工作の基礎をかじっていれば、誰にでも組める代物だ。薬品も闇ルートを探れば入手可能。……だがな、問題は爆弾そのものじゃねぇんだ」
「爆弾じゃ……ない?」
「あぁ。香川の奴が爆弾の装着に使っていた、この『ベスト』だ」
辰川は、爆薬ユニットがきれいに取り外された一着のベストを、司令室中央のテーブルに静かに置いた。
「なんだよ、ただのタクティカルベストじゃねぇか」
「……ええ、どこにでもあるミリタリーショップに売ってそうだけど」
怪訝な顔でベストを覗き込む虎太郎とあさみ。
だが――。
「……これ……」
「ええ……間違いないわね」
メンバーの中で、瞬時にその異質さに反応したのは北条と司だけだった。
「……あぁ。お前たちは警察官だから見慣れすぎていて、逆に盲点になったのかもしれねぇ。だがこのベスト、細部の縫製も素材も『警察の備品』そのものなんだよ。それも、現在支給されているモデルじゃない」
「……それって、どういうこと?」
「つまり――『今では公式には流通していない』、旧式の特機隊用ベストなんだよ」
辰川の言葉に、メンバーたちは一斉に顔を見合わせた。
「このベストを香川がどこで入手したのか。組織から渡されたのか、あるいは香川自身が横流し品を調達したのかは分からねぇ。だがな、どちらにせよ、一介の刑事が一人でコソコソ動いて手に入る代物じゃねぇんだ」
「香川くんは、現役の警察関係者……あるいは、警察組織の内部事情に精通した『OB』と接触していた、ということだね」
北条は、鈍い光を放つそのベストを、射抜くような視線で見つめた。
闇は、彼らが考えていたよりもずっと深く、そして身近な場所に潜んでいるのかもしれなかった。
「ってことは、警察の古株とか、その手の連中が『神の国』に加担してるってことか?」
「うーん、そこなんだよねぇ……」
虎太郎のストレートな疑問に、北条は顎に手を当て、思考の海に沈むような仕草を見せる。
「そもそも、『神の国』という団体が、構成員全員が犯罪者なのか。そこからして疑問でね」
「何言ってるんだ。これまでの事件、ことごとくあいつらが絡んでるじゃねぇか」
「そう……。でも、それがそもそも巧妙なミスリードのような気がしてね」
北条は自身の手帳を開き、これまでの事件の記録がびっしりと書き込まれたページを指でなぞった。
「犯行前に送られてくる荷物に刻印された『蠍のマーク』。これが団体のシンボルであることは確認済みだ。彼らにとって蠍は神の使い……背く者に苦痛と死を与える聖なる存在だそうだ」
「何それ、ただの邪教じゃない」
「まぁ、それはさておきだよ。僕らはそのマークがあることで、脊髄反射的に『神の国』の関与を断定した。さらにあの公式サイト。あそこでも名前が堂々と掲げられている。だから僕たちは疑いもせず、神の国という実体を探して捜査をしてきた。……でもね」
北条がスマホの画面をメンバーに向けた。
「マークはある。名前も名乗っている。……でも、『誰が』その荷物を出したのか、『誰が』動画を配信したのか。その個人の特定には、何一つ至っていないんだよね」
「あ……」
「……確かに、そうね」
あさみと虎太郎の顔色が変わる。
形は見えているのに、実体が見えない不気味さ。
「僕の中ではね、『神の国』という組織は二つの顔を持つ二重構造で、表と裏のそれぞれに幹部が存在している……そう思っているんだ」
「二つの団体が、共同活動をしているってこと?」
北条は無言で立ち上がると、ホワイトボードに大きな二等辺三角形を描き込んだ。
「これはあくまで僕の予想。断言はしないけどね……」
北条は三角形の大部分を占める下層を指差した。
「このピラミッドの広大な裾野が、いわば『表の顔』だ。宗教じみた活動を純粋に信じている信者たち。彼ら自身は、これまでの凄惨な事件には一切関与していない」
次に、三角形の中腹あたりに横線を引き、色を付ける。
「ここが『表の幹部』。教団の運営や集金、対外的な活動を司る、いわば経営陣だね。組織が宗教法人として存続できているのは、この層が潔白を装っているからだ」
最後に、北条は三角形の最頂点、針の先のような極小のスペースを黒いペンで塗り潰した。
「そして――この黒く塗り潰した部分。ここが『裏の幹部』だ。数々の犯罪を実行し、あるいは斡旋している実行部隊。彼らは表の教団を巨大な隠れ蓑にし、吸い上げた布施を犯罪の資金源にしている。おそらく、この裏の幹部の誰かが、表の幹部にも席を置いて『橋渡し』をしているはずだ」
司令室に、冷たい沈黙が流れる。
「……表の信者たちが『聖なる活動』だと信じて捧げた金が、裏では爆弾やライフルに化けている。……僕の予想が正しければ、だけどね」
北条の眼鏡の奥で、鋭い知性の光が冷徹に明滅した。




