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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第7話:破滅へのドライブ

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親と子

「…………いた!」


目を凝らしたあさみの視線が、遥か後方のビル屋上に、陽炎のような人影を捉えた。


「悠真! 新宿中央ビル、屋上南西の角!」


「りょーかい!」


あさみの叫びに、悠真が狂ったような速さでキーを叩く。


「屋上のライブカメラは……あった! ――あ、クソッ、もう移動してる!」


モニターに映し出されたのは、手際よくライフルをケースに収め、扉の向こうへと消えていく影だった。


「逃走した! 画像解析を回しながら、周辺の防犯カメラを全稼働させる。志乃さん、非常階段側の出口をジャックして!」


「サポートします!」


司令室が猛烈な勢いで「死神」の足取りを追う中、司が冷静に無線へ割り込んだ。


「現状報告を。発砲は一発だけ?」


「えぇ、どうやらそのようね。一発、それも完璧に計算されたタイミングだったわ」


あさみが司に答えながら、弾道の軌跡を脳内で逆再生した。

その延長線上にいたのは、稲取、そしてその後ろにいた――。


「待って……あの角度だと……」


あさみが勢いよく振り返った。

その表情が、驚愕に凍りつく。


「…………え?」


そこには呆然と立ち尽くす稲取。

そして、その足元で。


「か、香川ぁぁぁ――!!」


稲取の悲鳴が新宿の夜を切り裂いた。

左胸を撃ち抜かれた香川が、噴水のように溢れ出す赤に染まりながら、仰向けに横たわっていた。


「ちくしょう! ターゲットは口封じだ! 救急車、今すぐだ! 志乃さん!」


虎太郎が叫びながら香川の元へ走り込み、上着を脱いで傷口を強く圧迫する。


「すぐに手配しました! 直近の救急隊が3分で現着します!」


「遠方からの狙撃の可能性がある。各員、ロータリー周辺の警戒を緩めるな! 遮蔽物から出るな!」


古橋隊長の鋭い指示が飛び、SITが盾を構えて稲取たちの周囲を固める。


「……長居は禁物だね。あさみちゃん、護送車の助手席に乗れるかい?」


北条が険しい表情で、しかし迅速に次の判断を下した。


「OK! 私がいた方がこの車は安全ね。任せて!」


あさみを乗せた護送車は、本宮と桜川を確実に警視庁へ連れ戻すべく、タイヤを鳴らして現場を離脱した。


「人質の皆さんは?」


「各部署の誘導で避難完了。負傷者一名も搬送されました。これ以上の一般被害はありません」


「……良かった。二次被害だけは、絶対に阻止しなきゃいけないからね」


北条は、腹の底から煮えくり返るような怒りを押し殺し、現場の収拾に努めた。

だが、その視線の先では、最悪の情景が広がっていた。


「おい、香川! 目を開けろ! 香川!!」


「いな……とり……さ……ん……」


(……クソッ、血が止まらねぇ……!)


虎太郎が必死に止血を試みるが、熱い鮮血が指の間から溢れ出し、アスファルトを黒く染めていく。

心臓の直撃こそ免れたものの、肺、あるいは大動脈を損傷しているのは明白だった。


「香川くん……!」


周囲の安全を確認した北条が、最後に香川の元へ駆け寄った。

崩れ落ちそうな稲取を支え、弱まっていく香川の脈動に、特務課の面々は祈るような思いでその名を呼び続けた。


「稲取……さん」


息も絶え絶えになりながら、香川が血に濡れた唇を懸命に動かそうとする。


「もう喋るな! おとなしく救急隊を待て……おい、まだか! 救急隊は何をやってるんだ!」


目の前で崩れゆく教え子の姿に、稲取は正気を失わんばかりに怒鳴り散らした。


「落ち着け! あんたが取り乱してどうするんだ!」


「けどよ……クソッ、香川!」


虎太郎が両手で傷口を強く圧迫し、必死に止血を試みる。

だが、その手から溢れ出す熱い血の量は、一人の人間の限界をとうに超えていた。

手のひらを通じて伝わる香川の命の鼓動が、秒単位で弱まっていくのを、虎太郎は残酷なほど鮮明に感じていた。


(この出血……急がねぇとマジで間に合わねぇ……!)


「……稲取くん。しっかり話をしよう。香川くんと……最期まで」


虎太郎の表情と、香川の瞳から光が失われていく様を悟った北条が、稲取の肩に手を置き、静かに、しかし決定的な言葉を告げた。


「北条……さん……」


その言葉の真意を察した稲取は、顔面を蒼白に染め、震える視線を香川へと戻した。


「香川……もうすぐ救急車が来る。しっかりしろ、目を開けろ!!」


「僕は、もう……駄目です……」


「馬鹿野郎! 俺の部下が、俺の息子が、そう簡単に諦めてんじゃねぇ!」


「自分の身体のことです。……あと、どのくらいで消えるのか……わかってますから」


「だから死ぬなんて言うな! お前は、助かるんだ!」


稲取は叫び続けるが、香川の視線はもはや虚空を彷徨い、焦点が合わなくなっていた。


「稲取さん……本当は、貴方みたいな刑事になりたかった……。多くの部下に慕われ、その真ん中で笑っている……貴方のような、太陽みたいな刑事に……」


「これからなればいいじゃねぇか! お前には、まだその可能性があるんだよ!」


虎太郎が、止血していた手を静かに止めた。

その動作は、もはや医学的な処置が意味を成さない段階に達したことを残酷に物語っていた。


「刑事になって、貴方と仕事をするうちに……復讐したいという気持ちが、少しずつ消えていったのは事実です。刑事にも、貴方のような人がいると……わかったから……」


「香川……香川!!」


「でも……母を亡くした悲しみを、警察へ抱いた恨みを……僕は消し去ることができなかった。すべては……僕の弱さです……」


香川の声が、夜風にさらわれて消えそうなほど小さくなっていく。


「救急車は……まだなのか……!」


虎太郎が無線を叩く。


「……先ほどの騒ぎで、国道が完全に麻痺しています。都庁周辺の渋滞に巻き込まれ、救急車両が足止めされています……!」


無線の向こう、志乃の声も涙に濡れていた。


「クソ……! 緊急車両も通れねぇのかよ……」


香川の瞳から生気が失われ、灰色の影がその顔を覆っていく。


「生まれ変わったら……今度は、貴方の……本当の、息子に……」


「駄目だ、生まれ変わるなんて許さねぇ! 死なせないって言ってるだろ!」


「本当に……ありがとうございました……」


「香川ぁ!!」


「おとう……さ……ん……」


最期の感謝を、震える吐息と共に振り絞り、香川は静かに、ゆっくりと目を閉じた。


都庁前の冷たいアスファルトの上で、一人の若き刑事の鼓動が止まった。

降り注ぐ街灯の光が、血に染まった稲取と、動かなくなった香川を無慈悲に照らし出している。


「香川……? おい、嘘だろ……。おい……!」


稲取の絶叫が、新宿の夜空に虚しく響き渡った。



「香川、香川ぁぁ!!」


稲取が、香川の肩を掴み、狂ったように揺さぶる。

しかし、腕の中の若き刑事は、二度と動くことはなかった。


「虎……」


北条が、血に染まった手を下ろした虎太郎に視線を向ける。

だが、虎太郎は無言のまま、ただ小さく首を振った。

その拳は、白くなるほど強く握り締められていた。


「……おい、おかしいじゃねぇか。息子が親よりも先に死ぬなんて……これ以上ない親不孝じゃねぇか!!」


変わり果てた香川を抱きしめ、夜空に向かって叫ぶ稲取。

その慟哭は、冷たいアスファルトの上で空虚に響き渡った。


「稲取くん……」


かける言葉が見つからず、北条はただ、稲取の震える肩にそっと手を置くことしかできなかった。


「救急隊……到着します」


志乃が、震える声でその一報を告げる。

走り寄る救急隊の足音を聞きながら、稲取は力なく呟いた。


「……おせぇよ」


その声は、絶望の深淵に沈んでいた。


「護送車、戻ったよ。道中、襲撃はなかった。二人を確実に収容するまで、私が責任を持って見張っておくね」


あさみから、本宮と桜川の身柄を確保したという報告が入る。


「……ごめん、狙撃犯の足取りが消えた……。組織の犯行だ、防犯カメラの死角を完璧に把握して動いている。これ以上の追跡は不可能だ……」


悔しさに声を滲ませる悠真の報告。


「結局……組織の正体に迫ることはできなかったか……」


虎太郎が、やり場のない怒りを吐き出すように舌打ちをした。


「稲取くん、香川くんと一緒に救急車に乗って」


「しかし、俺はどこも怪我なんて……」


「……息子に、最期まで付き添ってあげてよ」


「……あぁ。わかった」


北条に促され、稲取は魂が抜けたような足取りで救急車へと乗り込んだ。

やがて、サイレンを鳴らすことなく走り去る救急車。

その「沈黙」は、もう救うべき命がそこにはないことを、残酷なほど明確に物語っていた。


「なんか……やるせねぇな……」


「うん……。でも、僕たちは立ち止まってはいられないんだ」


虎太郎と北条が、去っていく赤い灯を見送る。


「爆弾、解除できたぜ。それで、報告があるんだが……これは司令室に戻ってからの方が良さそうだ。重要な『手掛かり』が見つかった」 爆弾の解除を終えた辰川が、解体した部品と香川が身に着けていたベストを手に、二人のもとへ歩み寄ってきた。


「手掛かり?」


「あぁ……署に戻って型式を確認しなきゃ断言はできねぇが、この爆弾の出処……もしかしたら、今後の捜査を大きく動かす『鍵』になるかもしれねぇぜ」


その言葉に、北条の瞳に一筋の冷徹な光が戻る。


「了解。全員、一度署に戻って。今回の事件を、一から調べ直すわ」


司の毅然とした号令が無線に流れる。


「……結局、後手に回っちまう。俺たちはいつになれば、あいつらの喉笛に手が届くんだ……?」


夜が更けていく。

悪夢のようなバスジャック事件は、一人の若き命と引き換えに幕を閉じた。 しかし、新宿の冷たい風の後に残ったのは、深い虚無感、そして――。

組織『神の国』を絶対に逃がさないという、特務課の静かな、しかし苛烈なまでの復讐の誓いだった。

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