葛西クリニック
「こんにちはー。ちょっとお願いがあるんだけど」
北条が、いかにも場違いな軽い調子で受付の女性に声をかける。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか」
「えーとね、この隣の兄ちゃんをさ、もっと優しい感じのイケメンに施術してほしいんだけど……。いくらくらいかかるかな?」
「ご予約はされてますか? 先生のスケジュールを確認いたしますが……」
「おいおい待て待て!! そんな用件じゃねぇだろうが!」
北条の冗談を真に受けた受付嬢が手元のタブレットを操作し始めたのを見て、虎太郎が慌ててツッコミを入れる。
放っておいたら、本当にオペ室まで担ぎ込まれかねない勢いだ。
「なんだい虎。せっかくの男前になれるチャンスだったのに」
「望んでねぇよ! おかげさまで婚約者もいるんだ、今の顔で十分だわ!」
「あ、あのぅ……本日は、いったい……?」
漫才のような掛け合いに、受付嬢が困惑した表情で北条に尋ねる。
「あ、ごめんね。僕ね、警視庁特務課の北条って言います。さっき署の方からアポがあったと思うんだけど、院長先生に会いたくてね」
二人が移動している間に、司の指示を受けた志乃が既に裏で手を回していた。
「あ……はい、承っております。すぐにお取次ぎいたしますね」
受付嬢が手際よく内線をかけると、すぐに案内がなされた。
「右手のエレベーターで十階へ。降りて真っ直ぐ進んだ突き当たりが院長室ですので」
「了解。ありがとう!」
北条はひらひらと受付嬢に手を振ると、エレベーターへと歩き出す。
「なぁ北条さん。整形外科の院長に何の用があるんだよ。……もしかして、長島綾は『整形美人』だったとか?」
「おぉ、なかなかの名推理だ。それを確かめに行こうと思ってね。その結果次第じゃ、次の訪問先で犯人が『王手』になるかもしれない……」
北条が、笑みの消えた真剣な眼差しで廊下の先を見据える。
(おいおい……俺には犯人の見当なんて、一ミリもついてねぇぞ。このおっさん、一体どんな回路で繋がってんだ……?)
容易く真相の入り口に辿り着いた北条に、虎太郎は改めて格の違いを痛感していた。
院長室前。
北条が重厚な木目調の扉をノックすると、中から落ち着いた声が返ってきた。
「どうぞ、お入りください」
「失礼しますよ。……おぉ、立派な部屋だぁ」
室内は派手さこそないものの、広く、そして塵一つないほど完璧に整えられていた。
その中央、デスクに鎮座しているのが、院長である葛西浩だ。
「警察の方が、当クリニックにどのようなご用件ですか? 必要な届け出は済ませていますし、当然、違法な施術など一切しておりませんが……」
少しばかりの警戒と不安を滲ませ、葛西が問いかける。
「いやいや。このクリニックの評判は、僕もよく存じ上げておりますよ。僕が今日知りたいのはねぇ……。あ、ここ、座ってもいいかな?」
「あ……ええ。どうぞ」
北条は断りを入れつつ、勧められる前にソファーへと深く腰を下ろした。
主導権を完全に握ったまま、彼はゆっくりと、毒を忍ばせた「問い」を口にする。
「事件解決のためなら、捜査への協力は惜しみません。……それで、一体どのような事件なのですか?」
葛西院長は、穏やかな、しかしどこか見透かすような澄んだ瞳で北条と虎太郎に視線を送った。
「連続殺人事件です。今、都内を騒がせている……」
「連続殺人、ですか。その凄惨な事件と、当クリニックにどのような繋がりが?」
北条は何も答えず、懐から数枚の写真を静かに取り出した。
それを、まるでトランプのカードを配るように、テーブルの上へ等間隔に並べていく。
「長島綾さん、吉野礼子さん、君島妙さん……。この事件の被害者たちです。……皆さん、このクリニックに通っていましたよね?」
「……えっ!? マジかよ」
北条の爆弾発言に、隣で虎太郎が素っ頓狂な声を上げた。
このクリニックに来る目的が「被害者の共通点」の確認だとは、自分はおろか、本部の特務課メンバーにも共有されていなかったはずだ。
「北条さん……もしかして、悠真に頼んでたことって……」
「あぁ。被害者たちの既往歴、それと過去から現在に至るまでの『生活の変化』について、ね。……執念深く洗ってもらったのさ」
北条は既に、被害者たちの共通点を予測し、その先に潜む「影」の正体をも絞り込んでいた。
「こちらのクリニックでは、施術の前に必ず丁寧なカウンセリングを行うそうですね。どんな小さな整形であっても、初診の当日にメスを入れることは決してない。その誠実さが口コミで広がっている……。僕ね、このシステムは本当に素晴らしいと思いますよ」
「ありがとうございます。コンプレックスに耐えかねて思い詰めて来院される方も、一時の感情で勢い任せに来院される方もおられます。一度カウンセリングを挟んで、気持ちを整えていただく。その上で確固たる決意があれば、我々が全力でその一歩を支える。それが当院の矜持です」
「利益重視のクリニックが多い昨今……頭が下がりますよ、本当に」
北条と院長の間で交わされる、静かな肯定の言葉。
虎太郎は、全く話の着地点が見えないまま、二人の顔を交互に見守るしかなかった。
「……それで、彼女たちの何をお知りになりたいのですか? プライバシーの問題もあります。捜査とはいえ、極力必要な情報だけに留めていただきたいのですが」
「うん。僕も、無神経に根掘り葉掘り聞くのは性分じゃなくてね。二つだけ、教えてもらえればいい。一つは『被害者たちは、身体のどこを整形したのか』。そしてもう一つは、『カウンセリングで、彼女たちは共通の悩みを口にしていなかったか』……この二つだけだ」
北条は、深い悲しみを湛えた瞳を院長に向けた。
「親からもらった身体を大切に、なんて昔は言いましたけどね。僕は、ここで新しい自分を手に入れ、希望を持って歩き出す人たちの姿を、尊いものだと思っています。……そんな彼女たちの希望を、文字通り『根こそぎ奪い去った』犯人が、僕は、どうしても許せないんですよ」
この言葉が、葛西院長の心に深く刺さった。
目の前の男が、単なる「事件屋」ではなく、自分の仕事の価値を理解し、被害者の尊厳を重んじていることを確信したのだ。
葛西は無言で立ち上がると、背後の棚から数人分の分厚いカルテを取り出した。
そして、並べられた写真の横に、それぞれを静かに置いていった。
葛西クリニックを後にした二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
「なぁ……。さっきの院長の話で、被害者の共通点ってやつ、分かったのか?」
「……まあね」
カルテに目を通した後の北条の様子は、明らかに変わっていた。
のんびりした空気が削ぎ落とされ、抜き身の刀のような鋭利な殺気が、その背中から滲み出ている。
「被害者は全員、顔の美容整形を受けていた。……カウンセリングで彼女たちが口を揃えて言っていたのは、容姿のせいで受けてきた、凄惨な苛めと差別の記憶だ」
葛西院長が絞り出すように語った真実。
施術前と後では、彼女たちは文字通り「別人」へと生まれ変わっていた。
華やかな世界へ飛び込んだ者、人生で初めての恋人を得た者。
「新しい人生に、やっと希望を持った。その矢先に犯人に目を付けられ、玩具のように殺された。……どうして人間っていうのは、見た目だけで何でも序列を決めたがるんだろうねぇ」
北条が吐き捨てた言葉には、砂を噛むような苦さが混じっていた。
「犯人さぁ……。絶対に、許せないよね」
「……お、おう」
その瞳に宿った暗い熱に、虎太郎は本能的な恐怖を覚えた。
レジェンドと呼ばれた男の、これが「執念」の本質なのか。
「それにしても、被害者がみんな整形美人だったなんて驚いたわ。俺には全く分からなかった。みんな、あんなに自然だったのに……」
「現代の美容外科技術の進歩は、僕たちの想像を遥かに超えているからね。きっと、もっと複雑で難解な『技法』が使われているのさ」
「ホントにな……。でも、本宮さんは……彼女の恋人は、そのことを『知ってた』のかな?」
虎太郎の素朴な疑問に、北条が不意に足を止めた。
「……きっと、『知ってた』んじゃなくて、『知った』んだと思うよ。だから……あんなふうに、『残した』んだろうね」
「……?」
北条の答えは、今の虎太郎には理解不能だった。
だが、それが犯人の正体に直結する重要なパズルの欠片であることだけは、確信できた。
「次はどこへ行くんだ?」
「もうすぐ、悠真からデータが届くはずだ。……全く、あの子は仕事のタイミングが完璧だね。虎、君も少しは見習いなさい」
「……うるせーよ」
悪態をつく虎太郎の耳元で、北条のスマホが短く震えた。
悠真からの着信通知だ。
「次はね……貸倉庫の取扱業者のところへ行こう。最近は便利でね、小さなコンテナが手軽な料金で借りられる。僕も今度、大事なものを預けるために借りようかなぁ」
「貸倉庫の業者? なんでだよ!」
「まあ……付いてきなよ。答えはそこにある」
行動パターンが全く読めない。
だが、北条の足取りは確実に、迷いなく「犯人の潜伏先」を射抜いている。
「あー、司ちゃんにお願いがあるんだった。……彼女にしか、頼めないことがね」
「司令に?」
北条は司令室への直通ラインを繋いだ。
「もしもし、司ちゃん。……一つ、力を貸してほしいんだ。……そう。僕の見立てが正しければ、犯人は今――『それ』を完成させようとしている」




