犯人は意外な人物
「……え?」
ガイドの和田が、マイクを握ったまま石のように固まる。
ちょうど彼女に背を向け、サロン席からビールを受け取ろうとしていた虎太郎は、背筋を走る異様な寒気にゆっくりと振り返った。
「お前……何やってるんだよ、冗談だろ……?」
振り返った虎太郎の視界に飛び込んできたのは、ガイドの側頭部に冷徹な銃口を突きつける、香川の姿だった。
「すぐに止まられては困る。運転手、適当に走り続けてもらおうか。許可なく停車、あるいは減速した瞬間、ここにいる人間を一人ずつ殺す」
言い放つ香川の声には、先ほどまで虎太郎と軽口を叩き合っていた面影など微塵もなかった。
無機質な、まるで機械のような表情。
以前からクールな男ではあったが、今の香川は感情という機能を完全に切り離した「殺戮者」の貌をしている。
『まさか……香川くんが……っ!』
無線越しに北条の、珍しく狼狽した声が響く。
完全なる見込み違い。
北条は運転手かガイドのどちらかが『神の国』の協力者である可能性を疑っていたが、潜入させたはずの「一課の刑事」そのものが牙を剥くとは、想像すらしていなかった。
「後部座席の皆さん。そのロープで、そこの刑事の両手を縛れ。今、彼に抵抗されるのは不都合なのでね」
香川が左手で、どこに隠し持っていたのか太いナイロンロープを客席へと放り投げた。
「し、しかし……」
「彼を拘束したら、私たちは……!」
客たちが激しく動揺する。
現状を打開できる唯一の希望である虎太郎を自らの手で縛る――それは、このバスの全権を香川という「悪魔」に明け渡すことを意味していた。
「構わない、縛るのが嫌ならそれでいい。その代わり、一人ずつ順番に射殺していくだけの話だ」
香川の銃口が、震える議員たちの一人に向けられる。
「……いいんだ。やってくれ。下手に加減するとあいつに見抜かれる。しっかり、頼むな」
乗客を盾にされては、抗う術はない。
虎太郎は冷静に、自ら両手を後ろに回して拘束を促した。
「す、すまない……私たちに、立ち向かう力があれば……!」
「気にすんな。あんたたちが死なない方が先決だ。そのうち、上手いことやってくれるさ。俺の仲間たちが、な」
虎太郎を縛る手の震えに対し、彼は不敵な笑みさえ浮かべて応じる。
「いつまでかかっている。密談はやめろ、しっかり縛ったんだろうな!」
香川の鋭い怒号が車内に響く。
「そんなにカリカリすんなよ。ほれ、見ての通りガチガチだ。これじゃぁ俺、なーんにも出来ねぇわ」
「……次は足だ」
「へいへい。いいぜ、遠慮なくやってくれ」
両手の次は両足。
虎太郎は抗うことなく、素直に足を揃えて差し出した。
「ごめんなさい、本当に……ごめんなさい……!」
真っ青な顔で、泣きそうになりながら虎太郎の足首に縄をかける乗客。
その震える肩を安心させるように、虎太郎は低い、だが力強い声で囁いた。
「心配すんな。きっとどうにかなる。あんたたちは必ず無事に帰れるさ。……俺の仲間を、信じてろ」
最悪の裏切り、そして絶体絶命の拘束。
だが、縄目の奥で虎太郎の瞳は、静かな闘志を燃やし続けていた。




