夜
「さぁ、新鮮な魚介類をふんだんにご堪能いただきましたところで……」
時刻は夜。
バスガイドの和田が、赤ら顔で満足げな笑みを浮かべる参加客たちを前に、晴れやかな声でマイクを握っている。
「いい……ツアーだったな」
「ああ。一人の客としてなら、文句のつけようがない完璧な行程だったよ」
シートに深く身体を沈め、虎太郎と香川が同時に深い溜息を吐き出した。
結局、ツアーは終始和やか、かつ「大満足」という言葉以外見当たらない内容で幕を閉じようとしていた。
「これで五千円か。満足どころかお釣りがくる。完全に赤字だろうな」
「採算度外視、というより、何かの慈善事業かと思うほどだ」
スカイツリー周辺、屋形船での昼食、そして豊洲市場での夕食と周辺散策。 虎太郎と香川は、神経を研ぎ澄ませて参加者や乗務員の挙動を監視し続けてきた。だが、結局判明したのは……。
「参加者たちの絆が深まった。……それが唯一の収穫か?」
有力な都議会議員と大企業の取締役たちが、この一日で親睦を深め、親しげに連絡先を交換し合う――そんな、極めて健全で友好的な光景だけだった。
『なーんだぁ! そんなに良いツアーだったら、虎の枠、私がもらえば良かった!』
『全くだ。俺たちの飯は結局、ずっとコンビニ弁当だったからな……』
バスを追跡していたあさみと辰川が、無線の向こうで拍子抜けしたように愚痴をこぼす。
『まあまあ、僕の予感だって外れることはあるさ。それよりも、何もなくて良かったじゃないか。犯罪なんて、起きないに越したことはないんだからね』
北条はいつもの飄々とした調子で、不満げなメンバーたちを宥めた。
無線機を通じて特務課を包んでいた緊張の糸が、ふっと緩んでいく。
「……もう、俺たちも飲むとするか。悪いが香川、ビールを調達してきてくれないか? 俺はおつまみをガイドさんにもらってくる」
「お? お前にもそんな殊勝なところがあるんだな。了解だ」
ツアーの間、寝食を共にした虎太郎と香川。
反発し合いながらも、同じ目的を持って動くことで、互いに抱えていたわだかまりが、夜の帳に溶けるように少しずつ消えていくのを感じていた。
虎太郎が、談笑が続く後部座席の方へ歩いていく。
「すみません、ビール二本、もらっていってもいいっすか?」
「おぉ、刑事さん! 今日はお疲れ様! お陰で安心して楽しめたよ。さぁさぁ、二本と言わずこのケースごと持っていってくれ!」
参加者たちは、自分たちの安全のために常に目を光らせていた虎太郎たちを、いつの間にか「頼もしい護衛」として好意的に受け入れていた。
「に、二本でいいっすよ……。もらっていきます」
虎太郎は苦笑いしながら、差し出されたケースから冷えた缶を二本だけ引き抜いた。
窓の外では、夜の浅草の街並みが近づいてくる。
「さぁ、そろそろこのツアーも終点でございます。まもなく浅草駅付近に停車いたし……」
その時だった。
「――止まらないでもらおうか」
和やかな車内の空気を一瞬で凍りつかせる、一人の男の冷徹な声が響き渡った。




