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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第6話:人間の可能性

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稲取の援護と事件の終わり

手錠の冷たい感触が雪の両首を締め上げる。

彼女はその重みを受け入れ、抵抗することなく、静かに両手を差し出した。


「私の研究も、これで終わりっスね……」


自嘲気味に呟く彼女を見つめる北条の瞳には、怒りと同時に、言葉にできないほど深い悲痛が宿っていた。


「雪ちゃん……君がしてきたことは、研究などではない。ただの非道な殺人だ。人間の可能性を信じるのなら、どうしてそれを『生かす道』に捧げられなかったのか。……それだけが、悔しくてならない」


「……」


「君には、心から信頼できる誰かが必要だったんだ。僕も、今さらながら反省しているよ。仲間として事件に向き合ってきたつもりだったが、君の孤独な深淵にまでは気づけなかった。それは、僕の未熟さゆえだ」


「……なんで。なんで、北条さんが反省なんてするんスか」


雪の瞳に、初めて動揺が走った。

刑事として、あるいは仇として罵倒されることは覚悟していただろう。

だが、北条は彼女の犯した罪を、自分自身の痛みとして分かち合おうとしている。


「理由なんて一つだよ。……君を、仲間だと思っていたからさ」


「なか……ま……っ!」


その言葉が雪の胸を貫いた。

この時、初めて彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。

『仲間』――それは雪にとって、最も遠く、縁の無い言葉だと思い込んでいた。

自分は研究さえあればいい。

孤独こそが、研ぎ澄まされた思考を生む。

人付き合いなど邪魔なだけだと、そう信じて生きてきたのに。


「雪ちゃん、ちゃんと罪を償うんだ。酷いことをしたのは間違いない。その罪とどう向き合い、どう贖っていくか……。それが、君に課せられた新しい課題だよ」


北条が諭すように、優しく、重く告げる。

しかし、雪は泣き崩れながら、絶望に満ちた顔で首を振るばかりだった。


「……もう、無理っス……。もう、遅すぎたんスよ……」


「何が無理なんだ」


「私を逮捕しても、『神の国』は終わらない。全ての痕跡を消すために……『粛清』が始まるっス。そうなったら、私も……!」


「粛清だと?」


北条の表情が凍りつく。

組織に関わった人間が、何一つ代償を払わずに去ることなど許されない。

秘密を握りすぎた者は、口を封じられる運命にある。

雪は震える手でポケットからアルミ製の小さな薬品瓶を取り出した。


「秘密を漏らされる前に、『粛清』しなければならない。あるいは、されなければならない……。それが、組織の絶対的な掟っス……!」


その小瓶が自害用の劇薬であることは、誰の目にも明らかだった。


「やめるんだ、雪ちゃん!!」


北条が必死に腕を伸ばす。

だが、雪はその手をすり抜け、狂おしい決意と共に小瓶を口元へと運んだ――。


―――バァン!!―――


司令室を震わせる、乾いた一撃。

放たれた弾丸は寸分の狂いもなく、雪の手から小瓶を弾き飛ばした。

砕け散ったアルミの破片が床に散らばり、強烈な薬液の臭いが立ち込める。


呆然とする雪と、安堵の笑みを浮かべる北条。

その視線の先には、硝煙の立ち上る銃口を向けた男が立っていた。


「……警察学校ナンバーワンの狙撃センス、健在だね」


「……馬鹿野郎。こうなることを見越して、俺に協力要請を出しやがったな。北条さんよ……」


扉の向こう、影の中から姿を現したのは、捜査一課長・稲取だった。



正確に雪の手にあったアルミ瓶を撃ち抜いた稲取へ、北条は惜しみない称賛の拍手を送った。


「さすが稲取くん……。捜査一課、いや、警視庁で随一の射撃センスだね。あんな小さな的を、この高低差で完璧に射抜くなんて。まさに神業だよ」


「何言ってんだよ北条さん……。俺とあんたの射撃記録、大して変わらねぇことくらい知ってるだろ」


「いや、それでもだよ。今の僕なら間違いなく外していた。それどころか、躊躇って(ためらって)雪ちゃんに怪我をさせていたかもしれない。結果、撃ってくれたのが君で本当に良かった」


北条は、捜査一課を直接訪ねることで稲取のスケジュールを事前に把握していた。

もし彼が不在であれば自分がその役割を担うつもりだったが、心の奥底には拭えない不安があった。

奈美の無惨な死、そして虎太郎の抜け殻のような表情。

それらが脳裏に焼き付いている今の自分に、狂いのない狙撃ができる自信がなかったのだ。


「それはそうと……。北条さんは、最初からアイツが最後は自害するかもって踏んでた。そういうことだよな?」


稲取は、北条がわざわざ一課まで足を運んできた時点である種の違和感を覚えていた。

普段なら内線一本で済ます男が直接現れる――それは、何かが起きるという明白な予兆だった。

本当は近隣の聞き込みに出る予定だった稲取の足を止めたのは、『北条が動けば、事件が動く』という捜査一課に流れる暗黙の了解だった。


(それにしても……予想外にも程がある。桜川雪が犯人なんて、誰が想像できたか。全く、いつから目星をつけていたんだか……)


北条の、静かなる捜査センスに稲取は内心で舌を巻いた。


「……死なせて、欲しいっス……」


北条一人に全ての逃げ道を断たれ、最後の手札であった「自決」さえも防がれた雪。

残された道は、死を持って組織の掟を果たすことだけだと、彼女は固く信じ込んでいた。


「警察はね、一人たりとも死なせてはいけない仕事なんだ。たとえどんなに凶悪な事件の犯人であっても、日本の警察は命を奪わない。だから、君も死ねないし、僕らも死なせない。単純なことだよ」


絶望に沈む雪に対し、北条はかつて仲間として接していた時と同じように、穏やかで慈愛に満ちた声で諭した。


「……りたい」


雪の口から、掠れた声が漏れ出す。


「謝りたい……。虎太郎さんに、謝らせてほしいっス」


それは、一人の人間としての、切実で純粋な後悔の言葉だった。

だが、北条は静かに、そして残酷なまでに優しく首を振った。



「それは、まだ早い」


がっくりと項垂れる雪に、北条は静かに言い渡した。


「……え?」


「今の君はまだ、感情だけで口にしているに過ぎない。正しく逮捕され、然るべき裁きを受け、ゆっくりと、そして確実に罪を償う……。謝罪はその先にあるべきものだ。謝って罪が消えるなら、僕たち警察なんて必要ない。謝罪と贖罪は別のものだよ、雪ちゃん」


稲取の背後に控えていた捜査一課の刑事たちが、雪を拘束しようと一斉に動き出す。

だが、それを稲取が片手で制した。


「待て。今突入したって……アイツのためにはならねぇ」


北条のやり方を熟知している稲取だからこそ、部下を止めた。

北条はただ犯人を捕まえるだけではない。

己の犯した罪の重さを、その魂に刻み込ませる。

逃げ場のない真実と向き合わせ、真の意味での「人間」へと戻す。

それが北条という刑事の流儀なのだ。


「ちゃんと罪を償って、いつか君が誰かのために何かができるようになったとき。その時は必ず、僕が虎に会わせる。それが何年、何十年先になってもだ。だから……安易に答えを急がないことさ」


「うっ……うぅ……っ」


雪が力なくその場に崩れ落ちる。

北条はその細い手を優しく、だが力強く取り、一緒にゆっくりと立ち上がった。


「さあ、取調室へ行こう。今日は僕が君の話を聞く。カツ丼は経費じゃ出せないから……そうだね、何か美味しいものでも食べよう。少し前に誘ったディナーよりは、だいぶショボくなっちゃうけれど」


雪の歩んできた不遇な人生を知り、長い間、背中を預けて事件に挑んできたのもまた事実。

だからこそ、北条は自らの手で彼女の物語に終止符を打ちたかった。


「はい……」


雪は素直に従った。

逮捕されるならこの人であってほしい――彼女もまた、そう願うように両手を委ねていた。


「北条さんが……もう少し若かったら、よかったのになぁ……」


異性との幸福な縁に恵まれなかった雪が、自嘲気味に小さく溜息を吐く。


「今は年の差婚なんて珍しくないよ。孫のような奥さんをもらうおじいさんだっているくらいだ。いつか君が改心して戻ってきたとき、僕がまだ独り身だったら、考えておいてよ」


「ふふっ……その時は、私だっておばあちゃんっスよ」


雪の口元に、一瞬だけかつてのような苦笑いが浮かぶ。

二人は司令室を出て、廊下で待機していた捜査一課の面々とすれ違った。


「……一番奥の取調室、空けてある。そこを使ってくれ」


北条の背中に、稲取が低く声をかけた。


「いいのかい?」


「あんたしかいねぇだろ、適任は」


「……恩に着るよ、稲取くん」


交わした言葉は少なかったが、それで十分だった。

稲取は『元仲間』である雪への情を汲んで取り調べを北条に託し、北条はその無言の気遣いに最大限の敬意で応えた。


「さあ……長い夜になるよ」



雪が北条に連れられ、静かに取調室へと消えてから十分。

司、辰川、あさみの三人が、嵐の去った後のような司令室に合流した。


「みんな……無事みたいね」


「……北条さんは?」


「もしかして……もう、終わってるのか?」


三人は、志乃と悠真だけが残された室内を見回し、矢継ぎ早に問いかける。


「先程、北条さんが犯人を……。雪先生を取調室へ連れて行きました」


志乃が、まだ震えの止まらない声で呟くように答えた。

無理もない。もし北条の読みが僅かでも外れていれば、今頃自分が「次の標本」にされていたかもしれないのだ。

その恐怖と緊張が、彼女を憔悴させていた。


「北条さんが、すべてを暴いてくれたよ。先生も逃げられないと悟ったのか、自ら命を絶とうとしたんだけど……」


悠真が志乃を労わるように肩を支え、事の顛末を司たちに伝えていく。

そして、入り口付近で静かに佇む稲取へと視線を向けた。


「……あの警部さんが、寸分の狂いもない射撃で助けてくれたんだ。まるで、北条さんとあの警部さんだけが、この結末をあらかじめ共有していたみたいに」


「……そう。北条さんのことだもの、最初からすべてを見越して稲取さんに協力を仰いでいたのね。一体、いつから頭の中で事件を解決していたのかしら。つくづく恐ろしい人だわ、特務課に引き入れて正解だったけれど」


司は感嘆の溜息を吐いた。

かつて北条を特務課に誘ったのは、他ならぬ司本人だ。

ある凄惨な事件をきっかけに、共に捜査一課を離れた二人。

数年後、司が特務課を立ち上げる際、少年課に転属していた北条を口説き落としたのだ。

北条の知性は、この課の要石であると確信していた。


「取り調べは……やはり、北条さんが?」


「ええ。今夜は自分が担当すると言って……」


志乃の答えに、司は納得したように頷く。


(ええ、そうね。雪と面識があり、彼女が僅かでも心を開いている北条さんが対峙するのが最善。彼女に余計な気を起こさせないためにも……)


「んで? 先生は結局、単独の愉快犯だったのか?」


辰川が重苦しい空気を破るように尋ねる。


「いいえ、『神の国』の関係者でした。彼女はその中でも、『幹部』だと……」


「あの地味な先生が、凶悪犯罪組織の幹部、か……」


司令室に集まった五人は、断片的な情報を繋ぎ合わせ、その全貌を整理していく。静寂の中に、紙資料をめくる音と、重苦しい思考の気配だけが満ちていく。


「とにかくさ……」


沈黙を破ったのは、あさみだった。


「『アイツ』に早く知らせてあげようよ。犯人が逮捕されたよって。……まあ、それで奈美さんが帰ってくるわけじゃないし、気持ちが晴れるとも思えないけど。それでも、犯人が捕まったという報せは、遺族にとって一つの区切りにはなるはずでしょ?」


あさみの言葉は、どこまでも虎太郎を案じていた。

特務課の仲間として、彼が背負わされたあまりに重すぎる絶望を、少しでも分かち合いたいという願いが込められていた。

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