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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第6話:人間の可能性

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全容

「……さすが北条さんっス!」


静まり返った司令室に、桜川の乾いた拍手が響き渡る。

その顔には、親しみやすかった「雪ちゃん」の面影は微塵もなく、ただ獲物を解剖台に乗せた法医のような、底知れぬ狂気が渦巻いていた。


「その反応は……雪ちゃんが犯人だと認めた、という解釈でいいのかな?」


「どうせ、これ以上上手く取り繕ったところで、北条さんは論破してくるんでしょ?……あぁ、相手が悪かった。まずは北条さん、あなたから始末しておくべきだったっス」


小さく笑いながら、桜川は演劇のカーテンコールのように両手を広げた。


「大正解っス! この三件の事件、すべて私がやったっス!」


悪びれる様子もなく、むしろ自分の『作品』を誇るかのように言い放つ桜川。その歪んだ矜持に、北条の表情はかつてないほど険しく歪んだ。


「命と向き合わなければならないはずの君が、これほど簡単に、無惨に命を奪うなんて……。何を考えているんだ、雪ちゃん……!」


「そう。向き合ったからこそっスよ。私は医師として、『人間の可能性』を追求したかったっス」


桜川は一転、心底寂しそうな、迷子のような表情を見せた。


「人間は脆い……あまりに脆すぎるっス。大地から栄養を摂取することもできず、光合成もできない。水中では暮らせず、少しの傷で容易に損なわれる。一度切り離された部位は、二度と再生することはない……」


トントン、とリズムを刻むように虎太郎のデスクを叩き、彼女は虚空を見つめる。


「だから、どの薬品を使えば人はより長く、より強く在れるのか。どうすれば失われた組織は再生の兆しを見せるのか……。私は人間の、次なる可能性を探りたかった。北条さんも、先の事件を見たでしょう? 人がまるで虫のように、無価値に次々と死んでいく……あの光景に、私は絶望したっス」


「先の事件……」


北条の脳裏に、凄惨な集団自殺の光景が蘇る。

あと一歩、自分の手が届かなかった、失われた無数の命。

北条は拳を血が滲むほど固く握りしめた。


「あぁ、盟主様は何てことをしてくれたんだ、私はそう思ったっス。あんな形で人間の脆さを見せつけなくても……って」


「盟主? ……もしかして、君は……」


北条の直感に、鋭い閃光が走る。

その『何か』を察した桜川は、冷ややかな笑みを浮かべ、自身の襟元に指を掛けた。


「……一応、幹部っスよ」


ぐい、と引き下げられた胸元。

そこには、毒々しく蠢くような『蠍』の刺青が刻まれていた。


「……それは、僕も予想していなかった」


北条の指先が、怒りと、そして身近に敵を置いていた自分への痛烈な悔しさで小さく震える。


「動機は……あの集団自殺事件なのか?」


「そうっス。人間を、これ以上弱いままにしてはおけない。そう確信したからっス。人間は、もっと強く、気高くあるべきなんスよ!」


「馬鹿な……! 被害者たちだって、気高き意志を持った一人の人間じゃないか!」


ついに、北条の理性が決壊し、怒号が司令室を震わせた。

だが、桜川の瞳は、凪いだ水面のように冷え切ったままだった。


「……だから、あの男たちを選んだんです。あんな『人間のクズ』は、私の高潔な実験の礎にでもならなければ、生きている価値なんてないでしょう?」


桜川は、氷のような冷徹さで、そう言い放った。



「……彼らは、私が冴えない研究オタクだとでも思って、声をかけてきたっス。適当に口説いて関係を持つのは簡単だ――そう、甘く見ていたんでしょうね」


桜川は、懐かしむように、だがどこか突き放したような口調で当時を振り返る。


かつての桜川雪に、特定の恋人や愛する者はいなかった。

彼女の情熱はすべて、帝都医科大学の准教授室に捧げられていた。

研究テーマは『人体の持つ無限の可能性の追求』。

あらゆる疫病や外傷に対し、人間の免疫力と再生力を極限まで向上させる術はないのか。

それは、一見すれば高潔な理想を掲げた研究だった。


周囲からは、若き才女の挑戦として応援され、彼女自身も困難な課題にやりがいを感じていた。

……しかし、その白衣の下には、もう一つの、そして真の顔が隠されていた。


彼女は、カルト組織『神の国』の専属医師でもあったのだ。


医師免許を持ち、かつては名医として大学病院でその名を馳せたほどの卓越した技術。

それが、表立って病院にかかることのできない「訳あり」の構成員たちにとって、どれほどの救いとなったかは想像に難くない。


桜川は重宝された。

その腕を見込まれ、やがて「盟主」と呼ばれる男から直々に幹部への椅子を提示された。


だが、彼女がその誘いを受けたのは、組織の理念に共鳴したからでも、人を救いたかったからでもない。

彼女にとって人体とは、薬品と処置に対する反応を確認するための「高度な試験管」に過ぎなかった。

薬が効けば純粋に悦び、処置が成功すれば達成感に浸る。

その後、患者がどのような人生を辿ろうが、彼女の関心の外だったのだ。


周囲からは冷笑を込めて「頭のネジが数本ぶっ飛んでいる」と評されることもあったが、彼女にはそれが最高の賛辞にさえ聞こえていた。


そんなある日のことだ。

一人の男が、彼女の日常に土足で踏み込んできた。


毎日を刹那的に生きているような、派手な装いの若者。

隙あらば彼女の肩や腰に手を回し、吐息が触れるほどの距離で馴れ馴れしく囁きかける。


男としての魅力など微塵も感じなかったが、あからさまに肉体関係を求めてくるその浅ましさに、彼女は一つの「インスピレーション」を得た。


(この無価値な欲望を武器にすれば、この男を最高の『実験台』に仕立て上げられる)


「――あなたのお誘い、受けてもいいっスよ。だから……私の家に来てほしいっス」


言葉巧みに男を誘惑し、自室へと招き入れた。

桜川が取り出したのは、鈍く光る注射器。

派手な男は、日頃から「薬物」の類に親しんでいたのだろう。

あろうことか、彼は彼女が差し出した猛毒に対し、欠片の警戒心すら抱かなかった。


「……ハッ、クスリ打ってからヤろうってか。アンタも『そっち側』の人間だったんだな。いいぜ……最高に興奮する!」


男は期待に顔を歪め、自ら腕を差し出した。

だが、彼が誘われたのは、蕩けるような快楽の天国ではない。

二度と這い上がることのできない、冷たく無機質な地獄の底だった。



「頼む……殺さないで……っ!」


急速に薄れゆく五感。

泥のように沈んでいく意識。

その淵で、男は必死に命乞いをした。

自らの肉体に起きた異変――内側から神経が焼き切れるような感覚が、ただ事ではないと本能が叫んでいた。


「大丈夫、殺したりはしないっスよ。むしろ、できる限り生きていてほしい。人間の可能性を……私に見せてほしいっス。……もっとも、あなたが生き残れる確率は、限りなくゼロに近いっスけど」


雪は無機質な瞳で、もう一本の注射器を男の頸動脈へと突き立てる。


「や、やめ……! 殺さな……」


必死に四肢を動かし、逃れようと抗う。

だが、投与された劇薬はすでに男の運動神経を完全に支配していた。

震える指先ひとつ動かすことさえ、今の彼には許されない。


「死なないでくださいね……。あなたが生き永らえることが、人類の新たな可能性を見出す最初の一歩になるんだから」


……男の意識は、底知れない闇へと滑り落ちた。


「いやぁ、結局は期待外れだったっス。必死に生にしがみつこうとする執念。その輝きは、あまりに短く、脆かった。もっと……醜く、泥臭くしがみついて欲しかったっス」


雪は、壊れた玩具を捨てる子供のような、純粋で残酷な失望を口にする。


「もう一人は……正直に言うっス。明確な殺意が湧いたから、殺した。それだけっス」


二人目の被害者。

水槽の中に沈められたあの男。

彼は、幸福の絶頂にいた。


「君に一目惚れした。結婚を前提に、付き合ってくれないか?」


街で声をかけてきたその男は、しかし、間近に迫った自らの結婚を隠して雪に近づいたのだ。


「私も、騙されそうになったっス。とても紳士で、誠実で……『ゆっくり歩幅を合わせていけばいい』なんて、優しい言葉をくれたから……」


恋愛という感情に免疫のなかった雪にとって、その言葉は福音のように響いた。

初めて、研究以外の何かに心が動いた。だからこそ……。


「完全に、心を許したっス。彼の家に行き、これから私たちは結ばれるんだと、本気で信じた……。でも、その瞬間に彼のスマホに届いたんスよ。婚約者からの、愛に溢れたメールが」


自分は、結婚前の独身最後を楽しむための、都合の良い浮気相手に過ぎなかった。

その事実は、雪の凍てついた心を粉々に打ち砕いた。


「それでも、一度は『恋』というものを教えてくれた彼を、傷つけたくはなかった。彼の幸せを壊さないよう、私は何も言わずに部屋を出たっス。連絡先を消し、繋がりをすべて断った。……それなのに」


二度と交わることはない。

そう決意していた雪だったが、ある日、街で偶然彼と再会してしまう。

黙って立ち去ろうとした彼女の手を掴み、男は事もなげに笑って言い放ったのだ。


『もう君に未練はないよ。でもさ、あの時の続きくらいはしておこうよ。せっかく会えたんだし……寂しいんだよ、いろいろとさ』


その瞬間、雪の中で美しく輝いていた思い出が、音を立てて醜く崩落した。


「――殺そう。そう思ったのは、彼が初めてだったっス……」


雪の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

それは、失われた愛への哀悼か。

それとも、自分を裏切った人間という種への、果てしない絶望なのか。



「……それでも、彼との思い出を考えたら、遺体に余計な細工をしようとは思わなかったっス。せめて、きれいなままで逝かせてあげたかった……」


悲痛な表情を浮かべ、自嘲気味に呟く雪。

だが、北条の声は零下まで冷え切っていた。


「……花束は、彼への手向けかい? それとも、自分への言い訳かな」


「私の理想の彼のまま、永遠にしてあげたかった。それだけっス」


「……勝手だね。自分で殺しておいて、死者に願望を押し付けるなんて、まかり通るわけがないだろう」


北条は吐き捨てるように言い放つ。

そもそも、彼女がその身勝手な手を下さなければ、被害者は二人とも今もどこかで息をしていたはずなのだ。


「動機が……あまりに緩すぎるよ、雪ちゃん。二件とも、君が冷静にさえなれば回避できたはずだ。許すことも、情状措辞の余地も、これっぽっちもありはしない」


「分かってるっス。そんなもの、求めるつもりもさらさら無いっスよ。北条さんに暴かれた時点で、私は終わった。そのくらい、理解できてるっス。……もう、どうあがいても逃げ切れないこともね」


それは、すべてを投げ出した人間の、空虚な諦念だった。

しかし、それだけでは北条の胸中に渦巻く業火は鎮まらなかった。


「最後に……奈美ちゃんを手に掛けた、その真意を聞きたい」


北条の瞳に、鬼気迫るまでの殺気が宿る。

それを見た瞬間、雪の顔に、不気味な歓喜の表情が滲み出た。


「――それは、アンタ達のせいっスよ」


「僕たちの……せいだと?」


「連続女性殺害、放火、銀行立てこもり、通り魔……。そしてあの大規模な集団自殺。これだけの惨劇に『神の国』が関与していると分かっていながら、アンタ達は尻尾すら掴めていない。あまりに煮え切らないから、私が少し、焚き付けてあげた訳っス」


雪は、無力な子供を嘲笑うかのような残酷な笑みを浮かべた。


「身内にまで牙を剥かれれば、アンタ達だって必死になるでしょう? 大切なものを壊されれば、本気になるでしょう? ……現に、ほら。今回もこうして、私の元まで辿り着いた。私の目に狂いはなかったっス」


「そんな……そんなふざけた理由で、彼女を……!」


「真面目も真面目、大真面目っス。もし今日、誰も私のところに辿り着かなかったら、次はそこの二人のどちらかを殺して、この司令室を飾ってやろうと思ってたっスよ。……あまり、私をガッカリさせないで欲しかったっス」


「雪ちゃん、君は……! 君という人間は……!」


怒りにわなわなと震え、理性の(たが)が外れそうになる衝動。

北条はそれを、奥歯が砕けんばかりの力で必死に堪えた。

彼は重く、鈍い音を立てて腰から手錠を取り出す。


「……雪ちゃん。君を、連続殺人容疑で逮捕する」


カチリ、と冷たい鉄の音が静まり返った司令室に響き渡った。

それは、かつての「仲間」に引導を渡す、あまりに悲痛な決別の音だった。

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