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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第6話:人間の可能性

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追い詰める

桜川雪が、持参した茶封筒から三件の事件の資料と検視記録を、主のいない虎太郎のデスクへ広げる。

その紙束の上に、北条は無造作に、自らの手帳を投げ置いた。


バサリ、という重苦しい音が司令室に響く。

雪の肩が、わずかに強張った。


「ど……どうしたんですか、北条さん。らしくない……」


少しだけ怯えたような、困惑の色を見せる雪。

だが、北条はその言葉を冷徹に聞き流し、淡々とした口調で問いを投げかけた。


「……ちゃーんと、雪ちゃんの法医としての経験を踏まえた上で、君なりの見解を聞きたいんだ。この三つの事件――君は『どれが一番最初に起こった』事件だと思ったかい?」


北条の瞳の奥に、鬼気迫るような冷ややかな光が宿る。

雪は、戸惑うように少しだけ考える素振りを見せた。

二人の間に、心臓の鼓動さえ聞こえそうな、言いようのない沈黙の時間が流れる。


「……もちろん、これっス」


雪が細い指で指し示したのは、あの公園で鉢植えにされた男の写真だった。


「同時に発見されたのであれば、死亡推定時刻の操作なんかも考えられるっスけど……。一目見てわかる通り、一件目と二件目の事件は発生日時が離れすぎてるっス。発見日が日を跨いでしまえば、どんな小細工も通用しない。だから……」


真剣に、遺体の状況を元に導き出した「正解」を語る雪。

しかし、その回答こそが、北条の仕掛けた罠の入り口だった。


「はぁ……」


北条は、心底がっかりしたような、大きく深い溜息を吐いた。


「残念だよ、雪ちゃん……。それは、一番最悪の回答だ」


「…………どういうことっスか?」


雪の表情が、一瞬にして凍りつく。

北条の言葉の意味を、本能が警戒し始めていた。


「僕、言ったよね?『法医の経験を踏まえた上で』って。その結果が今の答えだと言うのなら、君は法医として致命的に無能だったことになる……」


北条は、資料の上に置かれた手帳を無造作に開いた。


「二番目に見つかった、あの『彫刻』と呼ばれた遺体。立ったまま殺害され、水槽に沈められた。君のその報告は、一見正しかった。でもね……」


北条は、手帳に記した独自の調査結果を突きつける。


「僕は被害者がどこで、どう生きてきたかを調べていたんだ。足取りと一緒にね。そうしたら彼、食肉工場勤務だったんだよ」


北条がパラパラと手帳を捲り、一つの事実に指を置く。


「二人目の被害者。実は彼こそが、一番最初に殺害されていたんだ。殺害現場は……工場の食肉保存用、大型冷凍庫だ」


雪の瞳のハイライトが、ふっと消える。


「冷凍庫で麻酔を打って眠らせ、立ったまま固定して、じっくりと凍死させた。そして低温を維持したまま水族館へと運び、あの冷たい水の中へ沈めたんだ。……これほど徹底して死体を冷やし続けられたら、通常の死亡推定時刻なんて、何のあてにもならない。そうだよね?」


「…………どうしても、私を犯人にしたいみたいっスね」


雪が、その愛らしい顔に冷酷な憎悪を浮かべ、北条を睨みつける。

だが、北条はその鋭い視線を、軽やかな笑みで受け流した。


「うん。だって、君が犯人なんだもん」


司令室に、逃れようのない真実が確定した瞬間だった。



「酷いなぁ。北条さんと私の仲じゃないっスか。ずっと協力してきた私が犯罪者? 冗談きついっスよ」


やれやれ、と大げさに肩をすくめて溜息を吐く雪。

だが、北条の不敵な笑みが消えることはなかった。


「本当だよ。ずっと信じてきた君が犯人だなんて、心底がっかりだ。……でも、皆を上手く出し抜いたつもりかもしれないけれど」


北条が、自らのこめかみを人差し指でトントンと叩く。


「僕、ここには少々自信があるんだ。出し抜くならよっぽど緻密に練ってくれないと、すぐに見破っちゃうよ?」


穏やかな口調。

しかし、その奥底には静かに煮え滾るような怒りが満ちていた。

優しくて愛らしかった奈美が、言葉にするのも悍ましい姿にされ、太陽のようだった虎太郎から生気が失われた。

その元凶が、目の前の「仲間」であるという事実に。


「ちゃーんと償ってもらわないと、ねぇ?」


その「ゆるい」語り口が、逆に逃れられない蛇の締め付けのような圧力を生んでいく。


「……でも、まだ甘いっス。一人の死亡推定時刻に異論を唱えただけに過ぎないっスよ。私がその薬物を使ったという決定的な証拠にはならないっス」


雪が言い切るより早く、北条は数枚の分析資料を彼女の手元に叩きつけた。


「こ、これは……」


「薬品の購入履歴だよ。毒物劇物取締法は伊達じゃない、取扱店はすべて絞れる。購入者を片っ端から洗い、団体名で購入されたものについては事務や総務に一件ずつ確認した。そして……」


北条が、手帳の別のページをめくって突きつける。


「今回の事件で使われた全薬品の『在庫』が、不自然に欠落している場所が一つだけ見つかった。雪ちゃん、君がいる法医学研究所だ」


「…………」


さらに北条は、一枚の検証データをデスクに置いた。


「研究所に残された薬品がどれだけ減っているか。その減った量で、一連の犯行……被害者の加工や保存が可能かどうかを検証した。もちろん人形を使ってね。君に代わる有識者が『十分に可能だ』と太鼓判を押してくれたよ。君の研究室にある薬品だけで、この芸術作品はすべて完成させられるんだ」


「ひとりで……そこまで調べたっスか?」


初めて、桜川雪の表情から余裕という名の仮面が剥がれ落ちた。


「ひとりじゃないよ。……もう、出てきてもいいよ」


北条が静かに声をかけると、デスクの下に身を潜めていた志乃と悠真が、ゆっくりと姿を現した。


「なんだ……ちゃんといたんじゃないっスか」


「仲間がいたから、この事件は解決できた。そして、僕の仲間は僕が必ず守るよ」


その瞬間だった。

北条は見た。

桜川雪の瞳から微かに残っていた人間的な光が消え、底知れない闇を湛えた「冷酷な女医師」の顔へと変貌していくのを。


特務課の司令室は、もはや静かな対峙の場ではなく、剥き出しの狂気と執念がぶつかり合う戦場へと変わっていた。



「……一件目の被害者」


追い詰められていく。

その事実に反して、桜川雪の声は温度を失い、無機質な響きへと変わっていった。


「土に埋まっていた、あの彼のことっスね。私は彼を助けようとした。……北条さん、あなたもその目で、私が必死に処置する姿を見ていたはずっス」


切断された両足の患部を固定し、激痛に悶える被害者をなだめ、これ以上傷が広がらないよう細心の注意を払っていた。

その献身的な姿は、確かに北条の脳裏に深く刻まれている。


「……ああ。見ていたよ」


「死亡推定時刻を操作し、高度な薬品を駆使してまで犯行を隠蔽しようとする人間が、あんな『お粗末な現場』を残すと思うっスか? 私が犯人なら、もっと死因を特定しづらい方法を選ぶ。……あんなやり方、法医としての私への侮辱っスよ」


雪の理路整然とした主張に、志乃と悠真の間に迷いが生じる。

その言い分は、あまりにも「正論」だった。

もし彼女が犯人なら、もっと完璧にやるはずだ――その心理的なバイアスが、二人を惑わせる。


しかし、北条の瞳から光が消えることはなかった。


「そうだね。今、志乃ちゃんと悠真くんは『それもそうだ』と納得しかけている。……だが雪ちゃん、その『お粗末な事件』こそが、君自身を容疑者から遠ざけるための、最大の演出トリックだったんだ」


北条の言葉に、雪が誰にも聞こえないほど微かな音で舌打ちをした。


「被害者を見つけ、医師として救おうとする。これ以上の『アリバイ』はない。周囲の意識を、他人の凶行に晒された被害者を救う献身的な法医へと、強力に刷り込むことができる」


「私は……本当に助けたかったっス。彼が、暴れて死んでしまうまでは」


「そう。そこだよ」


北条は、静かに、だが重く、雪に人差し指を突きつけた。


「僕はあの日の光景を、一コマずつ脳内で再生したんだ。被害者が暴れた、その決定的な瞬間をね。……きっかけは、虎太郎の声でも、彼が自分の足の欠損に気づいたときでもなかった。雪ちゃん――彼がパニックに陥ったのは、君の顔を見た瞬間だ。君は犯行時、あえて自分の顔を見せたね? そして、救出の場で再会したとき、彼が怯えて暴れ出すことを確信していた」


「…………」


「君が現場に到着したときの一言目。『まだ生きてる』。あれは安堵の声じゃなかった。ここで殺さなければならない獲物が、すでに死んでいては計画が狂う。……そう思ったからだろう?」


不気味なほどに合致していく、パズルのピース。


「駆けつけて、救助を演じる。その『聖母の芝居』を完結させるには、被害者が目の前で息絶える必要があった。自分の無力さを嘆くフリをすることで、君への疑念を完全に封殺する……。それこそが、あの事件の真の目的だ」


北条の鋭い視線が、雪の瞳の奥を射抜く。

沈黙が司令室を支配し、時計の刻む音だけがやけに大きく響いた。


「……ふふっ、あははは……っ!」


不意に、雪が笑い出した。

それは狂った鳥のさえずりのような、乾いて歪な笑い声。

並の刑事なら「何がおかしい!」と激昂するところだが、北条はただ、冷徹にその笑みを見守っていた。


「どうだい、雪ちゃん。自分の描いた『最高傑作』を他人に解説される気分は。……その笑みが、僕の推理が正解だと物語っているよ」


桜川雪、こそが犯人。

北条が引いた最後の一線によって、彼女の「仮面」は音を立てて崩れ去った。

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